21. ミラの父
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
「アースさん、カッシュさん、助けてもらってありがとうございます」
決闘とやらが一瞬で終わって、ミラは二人にお礼を言った。
「それは全然いいんだけど。ミラちゃん、いつもあんな感じなの」
準備運動にすらならなかったような二人の様子に少しホッとする。
「いつもじゃないですよ」
カッシュは転がった四つの身体を順番に蹴って起きないのを確かめている。なんとか土下座をさせようとしていたようだったが、ピクリとも動かない。つまらん、と呟きながら帰ってきた。
「いやいや、あれはひどいよ。普通男どもで女の子取り囲むか?それだけで犯罪だよ」
「ははは」
騎士団でも働いていたことがあるから、取り囲まれるのに関してはそれほど怖くない。
「ミラちゃん、こんなところにいないでさ、戻——」
アースの台詞は、カッシュの手によって阻まれた。
バチン!と良い音がする。
「ばっか、お前、主命に背く気か!」
「あ、しまった、つい」
「……………?」
「ミラちゃん。つらくない?」
「はい。大丈夫です。私はやっぱり幸運です。こうして、助けてくださる方がいつもいて」
そう言うと二人はなんとも言えない顔をした。
つらくない、と言われてしまうと、次になんと言えば良いか、わからなくなってしまう。
二人は帰り道だからと下宿先まで送ってくれた。また来るね、と言って王城に帰っていく。
王立学園でたまに顔馴染みに会うことはあっても挨拶程度を交わすだけだったから、ここまで話したのも久しぶりだ。
情けないところ、見られてしまった。
ミラは疲れてしまって、そのままベッドに倒れ込んだ。
メイドの仕事に対してああ言われるのは、腹が立つけど、仕方ない。
まだまだメイドの仕事は地位の低い仕事だ。
——母親がたぶらかして……。
ローガンの台詞が、今更になって頭の中で回り始めた。
違う。
ミラは激しく首を振った。
お母さんはそんな人じゃない。お父さんの事は、聞けなかったけど……後ろめたいようなことをする人じゃない。絶対に。
ミラは部屋の片隅、衣装ダンスを見つめた。
そこにはミラの母が残した木箱がある。開け方のわからない箱。いっそ壊してしまえば、何かわかるかもしれない。
今日まで開けられずにいた。
何度か開けようかと思った時はあった。
そう、例えばミラが十三の時……。
五年前、王国の端で長らく行われていた小競り合いが一区切りついた。
何年もの間国境に駐屯していた第一騎士団の分隊が王都へ凱旋した。
メイド見習いとしてある程度の仕事を覚えたミラは、慌ただしく仕事に追われた。
いち段落して、夜。
ミラは久しぶりに母のお墓を訪れた。最近では毎日ではなく週末に行っていたが、最近忙しくて少し間が空いてしまった。
小走りに人気のない道を走り墓地へ辿り着く。
母の墓の前に人影があった。
「——あの……」
恐る恐る声をかけると、その人影はばっと振り返った。
くたびれた顔をした中年の男だった。見かけない顔だ。先日帰国した随員の一人だろうか。
体格からして兵士のようだけど、身なりを見ればあまりいい暮らしをしていない人、という印象だ。
「君……君が、ミラちゃん、かい」
「はい……」
「俺、ガヤクっていうんだ。サビナの……」
久しぶりに聞く母の名前だった。
「お母さんの、知り合いですか」
「知り合いっつうか……」
ガヤクの歯切れの悪い言い方に。ミラの胸がざわりとなった。
「その……国境に派遣になるまで、俺、王城勤務で。その……十三年前……」
ガヤクはぼりぼりと頭をかいた。
「なんていうか、サビナとそういう仲だった」
そういう仲、がどんなことを指すのか、ミラにはもうわかる。
でも、母とこの人が……?信じられなかった。
「つまり……俺が、君の父親なんだ」
「え」
「知らなかったんだ。サビナが子供を産んでたなんて。知ってたら国境になんて行ってねえ。——いや、こんなこと言っても仕方ねえよな」
驚いて声も出ないミラに、ガヤクは目の前で膝をつき、見上げてきた。
十三年間、ずっと、自分にもどこかに父親がいるんだと思っていた。
きっと何か事情があって、別れてしまったんだって。
いろんな父親を想像した。外国人、病気、怪我……散々考えた父親像と、目の前のこの男とはなかなかつながらなくてミラはどうしていいのかわからなかった。
「ごめんな、ミラ。本当にごめん。一人にして。つらかったろう……?」
ガヤクはそう言ってずず、と鼻をすすった。
「遅くなっちまったけど、これからは親子として……一緒に、やって行かねえか?」
親子。
ミラにとって、これほど心揺さぶられる言葉はなかった。
「サビナの分まで、お前には幸せになってもらわねえと。な、いいだろ?」
ガヤクはそう言ってミラの頭を撫でた。ぎこちない撫で方ではあったが、ミラはその感触に、つられて泣きそうになった。
ガヤクは国境へ派遣された第一騎士団の雑用係、いわゆる雑兵というやつだった。
仕事としては、前線で騎士等の雑用をこなすこと。食事を作ったり、武器や馬の世話をしたり、宿舎を整えたりと内容は多岐に渡る。時には騎士等と共に戦闘に駆り出されることもある、過酷な仕事だ。
危険な仕事だが、その分実入りは良い。
荒くれものの集まりだ、とメイド仲間は言っているが、そんな荒くれものとメイドが良い仲になるのは、実は珍しいことではなかった。
よくある組み合わせだ。
「ミラ、お父さんって言う人がいたって本当かい……!?」
ミラの父親の噂は、瞬く間に王城に広まった。
ミラがその日の仕事を終えて部屋に帰ると、同室メイドのタリーラが心配そうに聞いてきた。
タリーラは長年ミラと同室の、家族のような存在だ。ミラも姉さん、と呼ばせてもらっている。
ミラが生まれた時ミラの母と同室で、血まみれの出産現場を目撃したのも、このタリーラだ。サビナが死んだ後はミラと同室になって、何かと世話を焼いてくれている。
世話焼きだし気のいい人で、上級メイドになったというのにまだミラが心配だから、と一人部屋ではなくミラと同じ部屋を使い続けてくれている。
「しかも、国境から帰って来た雑兵だって?」
「うん……。ガヤクって人。知ってる?」
タリーラはしばらく腕を組んで考えたが、首を振った。
「知らないね。十三年前っていうと……私もまだ見習いだったからねえ。自分の事に必死で。サビナさんとそんな仲の人がいるってのも、気づかなかったしね」
お腹が大きくなったのも気づかないくらいだ。自分の事で精一杯だった。
「——あんた……どうすんだい」
「どうって……どう、なんだろう」
一緒にやって行かないかっていうのは、一緒に暮らそうって事だろうか。
普通の、家族のように?
それを思うとミラの胸は高鳴った。
「わ、わかんない」
「——だよね。急にだもんね。ねえ、急がなくていいだろ?しばらくは、今まで通りしながらさ、少しずつ距離を縮めて行った方がいいよ」
「うん……私も、お父さん、ってどうすればいいのか、わかんないし」
そもそも、家族と暮らすという事がどういう感じなのかミラは想像できなかった。
一緒に食べる食事。一人でない生誕祭。ただいま、お帰りという関係。
頭を撫でてくれて、名前を呼んでくれる声。
自分だけの、家族。
ミラの頭の中は次第に期待で膨らんでいった。
タリーラの心配そうな顔も気にならないほどに。




