16. ジブリールとミラ
「ミラー!あんたまだやってたの?」
「あ、もう——終わります」
エメラルド宮へ続く回廊を進むと、目当ての人影はすぐに見つかった。
執務が終わり、もうじき城門が閉じられる。王族は晩餐の前にそれぞれ着替えたり身支度を整え、部屋に一度入る。
このタイミングでメイドらは清掃に入る。
「ミラ、そこはいいんだよ。朝の清掃でやんだから」
その名前に目をやれば、一人の少女が目に入った。
「でも、落ち葉が……」
「明日の朝になればまた積もっちまうんだから」
「はあい」
ミラは自分の背よりも長い箒を持って必死で落ち葉を集めていた。
時折風に飛ばされて、せっかく集めたものがまた拡がっていく。まだ小さな体では掃き掃除さえうまくできないようだ。
それでもメイド服を着てあれこれと動き回っている。少しの間見ているだけでも、ミラは止まることなく動き続けていた。
確かに子供というものは落ち着きなく動き回ったり、無尽蔵の体力を持っている化け物だと、息子を見て思ったことはあったが。
——こんなにも、休みなく働き続けるものなのだろうか。
落ち葉と追いかけっこをしたかと思ったら、道具を集めるために右へ左へと走り回る。拭き掃除を始めたと思ったら、あっという間に洗濯物を運び始める。
頼まれた仕事が終わるや否や、仕事をもらいに行っているのだ。
それでひっきりなしに動き回っている。
「ミラーー!あんた、ご飯食べたの?」
中年のメイドに声をかけられている。
「まだです。でも……」
「もういいから、さっさと食べてきな」
「じゃあ、この荷物だけ」
中年メイドがひょい、と籠ごと荷物を受け取った。
「やっとくから行きな!あんたね、子供がご飯を抜いちゃいけないよ。でかくなるもんもならないんだからね」
「はい……」
仕事を取り上げられて、ミラは目に見えてしょんぼりしていた。
「あの子は、そんなに働くのが好きなの?」
ずっと付き添って来ていたダイヤモンド宮のメイド長に尋ねてみる。
「どうでしょう。直接お尋ねになってみては」
ちょうどミラがこちらに向かって歩いてきていた。
もう春とはいえ、メイド服だけで小さな肩が寒そうに見える。
ミラが回廊の側まで来て、それまで白い柱と一体化していたジブリールと、はたと目が合う。
「ご挨拶なさい。王妃殿下でいらっしゃいます」
メイド長がそう言ったから、ミラは目を真ん丸にして、慌ててお辞儀をした。ぎこちないお辞儀ではあったが、教えられたとおりにやっているようだ。
「——元気そうね」
「は、はい!」
何と言っていいのか迷って、少し沈黙が流れる。
ランセルフと同じ年と言っていたが、あまりにも小さすぎるんじゃないだろうか。二人がぶつかれば、間違いなくミラが吹き飛ばされるだろう。
「顔を上げなさい」
間近で顔が見たくなった。
ゆっくりと上がった顔をじっと見つめる。
夫にはまるで似ていない。
夫は優しさが顔面に出て目尻が下がって目も少し細い。
けれどミラはどちらかと言うとくっきりとした顔立ちで、目はくるりと大きかった。瞳の色も、濃い翡翠色。これほど濃い色の瞳は、ジブリールも見たことがない。瞳の色が遺伝すると決まっているわけではないが。
夫に似ているところを探したが、ついに見つからなかった。
あまりにまじまじと見すぎたのだろうか。ミラが居心地悪そうに背後のメイド長をチラチラと見ている。
「——仕事は、楽しい?」
「はい!」
即答した。
その言葉に嘘はないようだった。
「イグルスと遊んでくれているようね」
「あ、はい。一緒に遊んでいただいてます」
「イグルスが、無理を言っていないかしら?」
「とんでもないです。イグルス様は、本当にお優しくて、いつもお気遣いいただいてます」
イグルスとは縁遠い単語が出てきた。
この年でもうこんなことも言えるだなんて、思ったよりも世渡り上手な子供なのかもしれない。
「無理に言わなくてもいいわ」
少し低い声になった。
ミラはそれに臆することもなく、顔を輝かせている。
「いえ!イグルス様は、私に本を読んでくださいます。はじめは、私が字がわかると思って、読んで、と持って来られたんです。それが、私が読めないとわかると、次からは教えるように読んでくれて。私の表情を見ながら、待ってくれるし。読めたら楽しいから、ミラにも教えてあげる、って」
本当にイグルスとの時間を楽しんでいるようだ。
「一緒に絵を描いていたときも、何を描いてほしい?っていつも聞いてくれて」
次から次へと、イグルスとの楽しい思い出を語りそうだ。
これには少し、ジブリールも純粋に驚いた。
「でも、あの子は……やんちゃが過ぎる事があるでしょう……?」
「やんちゃ……ですか」
ミラは考えるように首を傾げる。
「たしかに、室内よりは外で体を動かす方が好きです。でも、それも、いつも私に聞いてくれます。今日は何をやりたい?って」
本当は外で遊びたいのだろうと思って、外の遊びを提案すると、本当に嬉しそうにする。
「私が鈍臭くて、ボールを受け取れなかった時、痛くない?って何回も。本当にお優しいです」
「そう……」
ジブリールはそう言うのがやっとだった。
手を焼かせると思っていた息子を、こんなにも屈託なく褒めてくれる。
この子は人の良いところを見るのが上手なのだ。
つまり——優しい子なのだ。
だからイグルスも懐いているのだろう。
「——いいわ、行きなさい。晩御飯をしっかり食べてらっしゃい」
ジブリールが言うと、ミラは今度は普通に頭を下げて、駆け出して行った。
少し話したら、教わったお辞儀の仕方をうっかり忘れたのだろう。
「申し訳ありません」
「いいのよ。まだ小さいのだから」
後ろ姿が見えなくなってから、ジブリールは呟くように尋ねた。
「ミラは母親に似ているのかしら」
「顔ですか?ミラの母親は……暗めの茶髪に、目も比較的落ち着いた茶色でした。顔はあまり似ていませんね。身体が華奢なところはよく似ていますが」
「美しい女性だったの?」
「え……?いえ、ごく普通の、何と言うか、標準的な」
質問の意図を測りかねて、メイド長がやや歯切れが悪くなる。
「そう……」
しばらくの、沈黙。
「——北の塔の横に、あの子の母親を弔う事を許して頂きました」
「ええ」
「ミラは毎晩訪れて、時折一人で泣いているようです。城を訪れる親子の姿を、つい目で追っては見つめている。そういう日は決まって目を腫らしています。本人は気づかれていないと思っているようですが。——と、同室のメイドから聞いております」
「………………」
「自分の不遇を、不遇とは思っていない子です。ただこの城で恩返しがしたいと。心根が優しいのだと思います」
「貴方……珍しいわね、貴方がそんなに庇うだなんて」
指摘されてメイド長は少しばつの悪そうな表情を浮かべた。
「申し訳ありません」
「いいのよ。よく分かったわ」
健気で、心根の優しい子。
——そうね。子供に罪はないわ。
ジブリールは踵を返した。




