14. ダイヤモンド宮の主人
王城の数ある宮のうちの一つ、ダイヤモンド宮は代々王妃殿下の起居する宮である。
今の主は合理主義で有名で、無駄を嫌う性格だった。
ダイヤモンド宮の中でも効率的に物は配置され、メイドも無駄のない洗練された動きをするものばかりだ。
侍従長は一つ深呼吸をしてから、ダイヤモンド宮の扉を開けた。
この宮に入るときは、この熟練の男でも、少し緊張する。
完璧に整えられた赤い絨毯を歩き、執務室へと向かった。
ノックをすればすぐに返事があった。
「入りなさい」
「失礼致します」
執務室はいつも通り整理整頓されている。日常的に膨大な量の執務をこなしているのに、書類が散らかっているのを見たことがない。
「お呼びでしょうか」
「ええ。聞きたいことがあって」
侍従長は姿勢を正して続きを待った。
ジブリール王妃。今年三十九になる。四人の息子を生んだ今もなお、国王の寵愛を一身に受け、その冷たく見えるような美貌も衰えていない。ただ、榛色の眼光だけは年々鋭くなっているような気はする。
「あの子はどうかしら」
「あの子……」
ジブリールは執務机から立ち上がり、窓辺まで歩く。そうして少し遠くを見つめた。
初め、四人の王子たちの事かと思った。とりわけ末の王子はまだ九つ。まだ少し手のかかる年頃である。しかしジブリールの視線が王都の方へ向いているのをみて、執事長は察した。
「ミラですか」
ジブリールは視線を離さないままに続けた。
「ラぺス卿とカルニコス卿が学園へ赴いたそうね。表向きは学園からの要請だそうだけれど」
トン、と手に持っていた扇でもう片方の手を打つ。
「おまけに、うちの馬鹿息子が今日もまた街へ行ったようじゃない」
「は……」
「——困ったものね」
ジブリールの低い声に、侍従長は何か言わねばと思った。
「ミラは、夏季休業中で休暇を楽しんでいるのではないでしょうか。学園の仕事に集中しているのでは。あれこれと考えられる子でもありませんので」
「そうね。……問題は、周りの男どもね」
ジブリールは短くため息のように息を吐いて、侍従長を見つめた。
「——ミラに手紙を送って、三日後の慰問先を伝えて頂戴」
「は」
侍従長は短く返答して部屋を出た。
余計なことは言うまい。言う必要もない。
自分はただ、命じられたとおりに手紙を渡すだけだ。
「——これは」
ミラは一通の手紙を持ち、掲げてみた。
街歩きから帰ってきたら、手紙が届いているよ、とおかみさんに渡された。
シンプルな白い封筒。しかし、よく見れば白い中にも立体的な模様がある。そして極めつけに、封蝋。紛れもなく、知る人ぞ知る、王妃が私的に使用する印章だ。
開けてみると嗅ぎ慣れたダイヤモンド宮で使われている香りがする。
ジブリールの筆跡ではなかった。だが、紛れもなく王室から来た手紙だ。
『三日後、ガンダ孤児院に慰問に訪れます』
それしか書かれていない。
「——これはつまり、来い、って事だよね……」
返事はないのについ独り言をつぶやいてしまう。
王妃殿下からのお誘いとあれば、勿論断ることなどできない。
そして、三日後。
ミラはガンダ孤児院を早朝から訪れていた。
あの手紙には時間がかかれていなかった。しかし、メイドたるもの、主人より後で到着するなどあってはならない。——もうメイドじゃないけど。
孤児院はジブリールが運営している事業の一つと言うだけあって、とてもきれいに整備されている。
早朝から子供達が手際よく、朝食の用意をしていた。
実はこの孤児院には何度かメイド時代、仕事で訪れたことがある。
「あれ?ミラねえちゃん!」
「——ほんとだ、ミラ姉ちゃんだ!」
すぐに見つかって取り囲まれた。
卵をカゴに入れた子供、箒を持った子供。朝ごはんの前のお勤めをしているようだ。
「きょうは、王妃様のおつかい?」
「今日王妃様くるんだよ」
そうやって教えてくれる子供達は相変わらず元気そうだ。
「うん、王妃様に会いに来たの。せっかくだから掃除手伝うね。みんなは朝ごはん食べてて」
王妃殿下がお越しだというのだから、この孤児院をしっかり掃除しておこう。
子供から掃除道具を受け取ったあたりで、院長が子供から聞きつけたのか建物から出てくる。
「ミラさん!」
「あ、院長先生!ご無沙汰してます」
院長とは言っても、まだ若い先生だ。
初等学校の先生をしていた時に、孤児の子どもたちが学校へ来るのを見て、生活の方を支えたい、と数年前に転職して来た。志の高い優しい先生だ。
「朝早くから、どうしたの?」
「王妃殿下がお越しだと聞いて」
「あら。内密にという程ではないけれど、特に他には言っていないのに……どうして知ってるの」
「手紙をもらったんです」
ミラが白い封筒を見せると、ああ、と言って院長は表情を緩めた。
「お約束なのね」
「約束、なんでしょうか。——来いと言われたわけじゃないんですけど」
「で、どうしてうちの掃除道具をもっているの?」
「あ、今から朝ごはんですよね。私、早く着きすぎちゃったみたいなので、掃除でもして待ってます」
「ミラがしてくれたら綺麗になるから助かるけど……あなた、別にメイドじゃないんだから、そんな、いいのよ。殿下が来るのは、十時くらいだからゆっくりして待っていたら?」
「いえ。せっかくなので。ホールから掃除しておきますね」
ホールはみんなが集まって催し物や運動をしたり、会を開いたりする広場で、生活スペースの別棟にある。机と椅子も多いから掃除する場所がたくさんあるはずだ。
ミラはそう思って、ホールに向かって駆け出した。
「——貴方何やっているの」
呆れたような声に、ミラははっと後ろを振り返った。
「——っあ、王妃殿下!」
質素なドレスを着ているが、存在感は十分ある。王妃を筆頭に侍女と護衛で十人くらいの集団が、いつの間にかホールに入ってきていた。
ミラは持っていた掃除用具を置いて、急いで頭を下げた。
「お久しぶりでございます」
「頭を上げなさい。——それで、どうして貴方はここで掃除をしているの」
時計を見れば、掃除を始めてから二時間も経っていた。——しまった。楽しくてつい、机の脚にたまった汚れを取るのに夢中になって、部屋の中の全ての机と椅子をひっくり返してしまっていた。
呆れたような人々の視線の先には、掃除するはずがとんでもなく荒らされたように見える机と椅子の数々が。
「も、申し訳ありません。つい。その、散らかって見えますが、これでも元よりは綺麗になってるんですよ!」
ミラは言い訳のように早口で言って——いや、言い訳以外の何物でもないが——真っ黒になった雑巾を掲げて見せた。
それでも王妃の冷めた視線は変わらない。
「私は貴方に、ここの掃除をさせるために呼んだんじゃないわよ」
「そう、ですよね……」
ジブリールはそっと頭を押さえ、はあ、と溜息をついた。
「相変わらずのようねミラ」
「はい。王妃様も、変わらずお美しくて、お元気そうで、嬉しいです」
「………………」
王妃は数人の護衛騎士に目配せをして、片づけを指示した。
「ついてらっしゃい」
有無を言わせない口調に、ミラは小さく返事をした。




