12. イグルスとの時間
ミラは週に数回、イグルスの遊び相手として呼ばれるようになった。
遊び相手の時用に、と、今まで見たこともないような服が渡された。
侍従長から渡されたけれど、これはきっと国王の指示だろう。手触りの良い生地で作られたブラウスとスカートだった。高級な服というのは、どこもチクチクしないし、しわにもならないし、何よりものすごく軽い。
「——どうしましょう。私、何か無礼なことをしてしまったら……」
「大丈夫だよ、国王陛下はとてもお優しい方だから。本当に、ただの遊び相手としてお望みなんだろうよ。あんたはまだ九つだからね」
どうすればいいのか、と戸惑うミラに、メイド長はそう言って励ましてくれた。
「もっと、王子殿下にふさわしいご学友が、いると思うのですが」
「まあ、第三王子殿下はちょっと気難しい年頃だからね。ちょっとやんちゃしても、ご学友と違ってわたしらには気を遣わなくていいだろう」
そうして、はじめは畏縮していたミラだったが、イグルスの遊び相手は、やってみると単純に楽しかった。
イグルスは確かに元気いっぱいだったり、あれは嫌これも嫌という事はあるが、優しい子だった。ミラが困りましたね、と言うと譲ってくれたりもする。
もちろん非常に我儘なこともあるが。
それでも、四歳と九歳の子供として、散歩をしたり、虫を捕まえたり、ボールやロープで遊んだり。
あまり子どもと遊んだことのないミラにとっても新鮮だった。
時折、カザールが覗きにやってくる。
初めはひたすら恐縮して言葉も返せなかったが、何度となく顔を合わすうちに、普通に話せるようになった。
国王陛下だというのに、本当に気さくにミラに話しかけてくれた。
イグルスのお父さん、という立場を強調するように。
そして時に、ミラの父親のようにしてくれることもあった。
ある時はイグルスの頭を撫でた後、ミラの頭も撫でてくれた。ミラはその日、一晩中その温かな感触が忘れられなかった。
またある時は、ミラの荒れた手に、とクリームをくれた。恐れ多い、と言うミラに、イグルスと手を繋ぐ時に備えて、と、気を遣わせないように言ってくれた。
本当に、素晴らしい人なのだとミラは思った。
ミラが部屋を訪ねると、イグルスは満面の笑みで走り寄ってくる。
「ミラ!」
「イグ様!」
イグルスの要望で呼び方も変わった。
走ってきた勢いのままミラにダイブしてくるイグルスを抱きとめ、数歩後ろに押される。扉の所の護衛兵士が支えてくれなければ尻餅をついていたかもしれない。
「ミラ、きょう、なにする?」
「何しましょう。この前の続きしますか?」
前回訪問した時にしたお絵かきが、途中で終わっていた。
「きょうはね、あにうえがくるの」
「え、そうなんですか」
「うん。レオにいさま」
「では、私は……」
予定があるのなら、と思って帰ろうかと思ったら、イグルスが手を掴んできた。
「だめだよ。ミラもあそぶ」
「ええと、第一王子殿下は、どのようなご用件でいらっしゃるのですか?」
「ミラと遊びたいって。ミラはイグのともだちなのに」
そう言ってイグルスが口を尖らせる。ぷっくりと丸いほっぺが更に膨らんで、風船のようだ。つつきたくなるほど可愛い。
「ミラはイグとなかよしなのに」
ね、と言われて、掴んだ手にぎゅっと力を入れられる。
こうして懐かれるのは素直に嬉しい。
ね、と二人で言って笑い合った。
そうしていると、そのうちレオンが遊び部屋にやってくる。
「——や、来たよ」
自然にそう言って入って来た。
二人は向かい合って床に座っていた。床ではあるが、毛足の長い絨毯の上なので、ここはそうしても構わない場所だ。
「何してたの?」
どう挨拶をすればいいのか、と思っていたミラだったが、レオンはそう言って本当に普通の友達や兄弟といった様子で入って来たので、ペコリと頭を下げるしかしなかった。
「えほん」
二人で絵本を読んでいた。ミラも何とか読める絵本だ。
「イグ様に、文字を教わっていました」
「ぼくせんせいー」
そう言ってイグルスは誇らしげに胸を張る。
「イグ先生、この文字はなんて読むんですか?」
ミラが乗っかってみて聞けば、イグルスは絵本をのぞき込んで、うーん、と唸る。
「これはねえ、くも、だよ。あめがふりそうな、くろいくもだって」
「なるほど」
ミラが文字をなぞる。
そうやって二人で読みかけの絵本を読み終わって、読めたー、と2人で喜んでいる。
それを見ていたレオンが感心したように言った。
「大人しく絵本読んでるなんて、すごいねイグ。いっつも最後まで読む前に走り出してるのに」
「そんなことしないもん」
ミラが絵本を片付けていると、イグルスがゴロリとレオンの前に転がった。
「あにうえ、まほうみせてください」
「魔法?どの魔法?」
「なんでもいいよ、たのしいやつ」
魔法はイグルスくらいの頃から早ければ使えるが、思い通りに使えるようになるのは初等教育を受けて十か十二歳になってからだ。
ミラもイグルスもまだ魔法が使えない。
「ミラ!なにみたい?」
イグルスに聞かれるが、何と聞かれても、今までほとんど魔法を見たことがない。
「なんでしょう……私、魔法を見たことがないので。何ができるのかもよくわかってないんです」
へえ、とレオンが眉を上げた。
レオンは思い出せないくらい昔から魔法が身近にあったが、同じ王城住まいでもそんなものだとは知らなかった。
「絵本にあるように、魔物に炎の矢や氷の雨を降らせたりするんでしょうか」
「できるよ!」
「いや、無理だよ」
レオンがすかさず否定した。
「何でイグが答えるの」
「レオにいさま、できないの?」
「できるけど、危ないからここでは無理。いや、ここでなくても攻撃魔法は駄目でしょ。兵士が駆けつけてきちゃうよ」
城内には特別な結界があり、大規模な魔力は感知される。
「じゃあ、あれやって。すべりだい!」
「お尻が濡れたって言って泣くでしょ」
「イグ、なかないもん!」
イグルスがむっと起き上がって、ドン、と床を叩く。
「滑り台ですか?」
「ああ、ほら、月の庭園に芝の丘があるでしょ?あそこを一部凍らせて滑ったんだ。でもそしたらお尻が濡れて冷たいって泣いたんだよ」
なるほど、とミラが少し考えた。
「私、ちょうどいいの持ってきます!第一王子殿下、先にイグ様と行ってそれ、作っておいて下さい!」
ミラはそれだけ言って駆け出していってしまった。
「え、あ、ミラ……!?」
「ミラ、いっちゃった……レオにいさまがいるからいけないんだ」
「いや、何か思いついたみたいだよ。月の庭園で待ち合わせだよ」
「あそぶの?」
イグルスの輝いた目に、レオンは苦笑した。
「うん、作っとこうか。——あんな風に指示されたのは初めてだな。新鮮」
レオンはイグルスの手を引いて月の庭園へ向かった。
氷の滑り台を作り終わった頃、ミラが持ってきたのはイグルスがすっぽり入ってしまいそうな、巨大な鉄鍋だった。
「おまたせしましたー!」
満面の笑みで、その鍋を重たそうに背負いながら走って来る。
「それなに?」
「これに入って滑れば濡れませんっ!」
にかっと笑う。
「初めてこれを見た時から、乗ってみたかったんです」
「それ鍋だよね。乗り物じゃないよね」
「何がいいって、ほら!ここ、持ち手があるんです!」
「うん、鍋の持ち手だね」
ミラは聞く耳を持たない。
「すっぽりハマっていい感じですよね!」
「すごーい!!」
「まって。危なくない?」
レオンのその質問に、ミラはドン、と胸を叩いた。
「はい!まずは私が!」
そう言ってミラは鍋を背負ったまま丘を駆け上がった。鍋を背負って、亀のようになっている。
てっぺんから手を振って、一気に滑り降りた。
ゲラゲラという笑い声があっという間に近づいてくる。
「っはは、ははっ!すご、すごいです!楽しすぎます!」
「つぎイグ!イグが!」
イグルスが大興奮で飛び跳ねる。
「あ、危ないよ」
「大丈夫です、二人で乗りましょう!」
止める間もなく、二人はてっぺんに登ってしまった。
「いっくよ——っう、うわあああああ!」
「ひゃはははは!」
イグルスの悲鳴とミラの笑い声が鳴り響く。
二人して興奮が天井知らずに高まっていた。
「ああ、もう……!」
こうなったら一緒に楽しんだほうがいい。
レオンは滑り終わった二人に向かって走り出した。
今年の冬は寒いらしいですね。
私はとても寒がりなので、つらいです・・・でも冬が好き。




