#19 神通力対決⑧
崇拝とも取れるような民の熱烈な反応に満足したのか、清麻呂はいつもの調子を取り戻し、胸を張ってふんぞり返った。
晴明は野分に向かってちょいちょいと手招きをして、
「こちらの天女様をお見送りして差し上げて〜」
と、呑気な声で彼を指差す。
野分は慌てて二人のもとに駆け寄り、清麻呂の片手を手に取って彼の体を支えた。
清麻呂は『天女』を演じ続けながら、雨水滴る重い袖で顔をさっと隠し、科を作りながら静々と歩いている。
しかし、その袖の下の顔は怒りが無数の皺となって刻まれ、まるで梅干しのように真っ赤に染まっていた。
(とんだ貧乏くじじゃっ!そなた……帰ったら見ておれよ……)
天女から一転、地獄から這い出てきた亡霊のようなおどろおどろしさを孕んだ笑みを浮かべて、清麻呂が低く唸る。
野分は錆び付いたブリキのおもちゃのように、ギギギッと顔を逸らしたまま、春告を引いて来た義道にずぶ濡れの天女を引き渡した。
義道と清麻呂を乗せた春告が、まるで出立のファンファーレのように嘶き、厳かさに拍車をかけながら寺院を飛び出していく。
それを見送った野分は、晴明のいる場所まで踵を返した。
野分が戻ると、ざわついている会場の真ん中で複数の僧侶たちが頭を地面に付けて蹲っていた。
それを見下ろす寂暁の視線には、凍てついた氷が相手の体を貫くかの如き冷ややかさと、地獄の業火が亡者を焼き尽くすかのような憤怒の色が入り混じっている。
それに耐えかねてか、僧侶たちが次々に言い訳を口にしはじめた。
「どうしても……勝ちたくてっ……」
「私たちにできることは、これくらいしかなくて……」
嗚咽混じりの言い訳を並べる僧侶たちに、寂暁からかけられる言葉はなかった。
体がひしゃげてしまうのではないかと思うほどの重圧だけが、ただただ彼の体から発せられていた。
「まぁ、さ?イカサマしたくなる気持ちは分かるよ?だって、天才陰陽師相手だし?」
場を明るくしようとする晴明が、軽口を叩く。勝負は終わったのだから、別に彼はこの場に居続けなくてもいいはずだ。
しかし、このままにしておくと死人が出そうな雰囲気である。
自分が関わった行事で死人が出るという後味の悪い結果にはしたくはなかった。
「…………恥以外の何ものでもない」
岩のように動かなかった寂暁が、静かに呟いた。
「そなたたちは、私の力を信じようとはしなかった。これは私の不徳の致すところである。我らは同じ場所で修行をしているにもかかわらず、統率も取れず、信頼も築けず、己の弱い心に打ち勝つ術を身につけることもできなかった。勝利という欲に囚われ人を騙すなど、仏門に入った者のすることではない。そんな我らに、一体どうして勝ち目があるというのか。勝負は最初から決まっていたのだ」
筋肉で覆われた分厚い背中が、珍しく丸まっていた。
僧侶たちは悔し涙を零しながら、誰一人として声をあげようとはしなかった。
これでは埒が開かない。
このまま放置していたら、翌日の夜までこの状態でいそうな彼らを眺めながら、晴明が濡れた頭をボリボリと掻きながら、うんざりするように言い放った。
「さすが坊さん、辛気臭いねぇ。天女様も言ってただろ?両者とも、今後は人のため、世のために尽くせってさ。だったら、今から汚名挽回するしかないじゃない?……ちなみに余談だが、今なら民の信頼を回復させるとっておきの秘策がある」
ニヤニヤと笑う晴明の顔に、僧侶たちの視線が集まる。
晴明は野分の元へと歩み寄り、彼女の背後に回ると、
「このお嬢ちゃんに協力すればいい!」
と、胡散臭そうな笑顔を浮かべて、野分の両肩ポンポンと叩いた。
「このお嬢ちゃんは、市中の端っこにある診療所で行き倒れた病人たちの看病をしている。今回はその一環として僧坊酒が必要だったんだ。寺に溜め込んだ酒や食料をこの子に提供すれば、患者たちのために使ってくれる。そうすれば救える民の数も増える。人手も足りてないみたいだし、僧侶から何人か手伝いに行けば、さらに民たちからも感謝されるはずだ。いやらしい話、徳を積むにはうってつけだと思うがねぇ」
自分の言葉にうんうんと頷きながら八の字に練り歩く晴明を、他の者は口をぽかんと開いて見ていた。
「そっちは信頼を回復できて、こっちは民を助けられる。どちらも利のある、いい話だとは思うけど、どうかねぇ?」
まるで悪役のような笑顔を浮かべているが、言っていることは至極まともだった。
野分としても、予定していた酒以外に食料や人手を出してもらえるのなら万々歳だ。
「私からも、お願いします!力を貸してください!」
こちらが騙したというのに、相手から頭を下げられている。
そのおかしな状況に、僧侶たちは顔を見合わせながら、誰かが口を開くのを待っていた。
「──よろしい」
嗄れた声が後方から聞こえた。
僧侶たちがざっと平伏し、寂暁も頭を下げる。
野分が振り向くと、算術勝負の際に声をかけてきたあの老人が、算術勝負に参加していた少年・玄南に手を引かれて、ゆっくりとこちらに歩んできた。
「まずは非礼をお詫び致す。身内の恥に巻き込み、相済まなんだ。そなたの清らかな心と比べて、我らの心のなんと矮小なことか。俗世の欲を削ぎ落とすためにも、ぜひ我らに協力させてほしい」
歳を取って小さくなった体をさらに丸めて頭を下げる老人に、野分は慌てて駆け寄り、
「ありがとうございます!助かります!」
と、その皺だらけの手を優しく握って笑顔を浮かべた。
「は〜、やれやれ。雨も止んだことだし、もらうもん貰って帰ろう、お嬢ちゃん」
ビシャビシャの裾を両手で持ち上げて蟹のような歩き方をしながら、晴明が泥濘の中を歩いていく。
最後の最後まで締まりのない晴明の姿に苦笑を浮かべた野分だったが、今回のこの結果は晴明なしでは得られなかっただろう。
野分は小走りで彼に追いつくと、
「ありがとう!晴明さん!さっすが、天下一の陰陽師ーッ!」
と、彼の功績を称えた。
「はっはっは!もっと褒めていいぞ!」
「よっ!天才!男前!都一、頭の切れる男!運を味方につけた男ー!」
「あっはっはっは……ほぁっ!?」
野分の言葉に気分良く浸っていた晴明は不意に泥濘に足をとられ、そのまま顔からべちゃりと地面に倒れ込んだ。
周りの僧侶たちも観客たちも、ポカンとその姿を眺めている。
「………最後まで気を抜いちゃダメだね……」
「………勉強になったわ」
地面に突っ伏したままの晴明の横にしゃがみこんだ野分は、せめてもの気遣いで、ずれた烏帽子を元の位置に直してあげた。
こうして野分の長い一日は、最後の最後まで締まらないまま幕を閉じたのであった。
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