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#18 算術対決③



「民一人あたりの年間米消費量が大人千斛さか、子供はその半量っていうけどさ、実際にそれだけ食べれてる民がどこにいるのよ!実際はその半分も食べれてない人がほとんどだよ!」



野分が観客たちが立ち並んでいる方向をビシッと指差す。




「栄養が足りてないから皮膚はカサついてるし、髪だって枝毛だらけでボサボサ!爪だって割れてるし、骨が曲がってたり歯が虫歯だらけの人だって大勢いる!」




人差し指に他の指を添えて、手を垂直に立たせる。

彼女はそれをそのまま横へとずらした。

伸ばした腕がピタリと止まったのは、一般の民がぎゅうぎゅうとへし合っている立ち見席と、貴族たちが悠々と座っている桟敷席のちょうど間だった。





「──私には、ここに深い溝があるように見える。同じ国に住んでるのに、衣服も肌艶も、全く違う。これって、どう見てもおかしくない?」




野分の呟きに、民衆たちがざわざわと騒ぎはじめた。

貴族たちは居心地が悪そうに扇を開いては顔を隠したり、目線を逸らしたりしている。

そんな桟敷席の中、ただ一人だけ野分をじっと見据えている人物がいた。


右大臣・藤原道長だ。





「あとさ、どうして大人を賄うことを優先して計算させたわけ?子供の方が体力ないんだから、優先させて食べさせるべきでしょう?だから、私は大人と子供を同数で計算したの!大人一人当たりの米消費量を五百斛(さか)、子供はその五分の四の数にしてね」




ふんっと息を吐いて腕を組み、その場で仁王立ちをしている野分の横で、少年がハッとしたように自分の机の上の算木に手を伸ばす。

そして目にも止まらぬ勢いでそれらを動かし、野分が今言った条件に合わせて問題を解いていった。

少年は最後の算木をカチッと置くと、野分の机の上に広げられていた彼女の回答と照らし合わせた。





「……………………合ってる」





少年は、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。

真っ青になりながら、隣に立っている野分の顔を見上げる。

野分はふふんっと鼻先で笑いながら、彼をチラリと見下ろした。

満足そうに笑顔を見せつけたあと、再び顔をあげると、彼女は桟敷席に並んでいる貴族たちに向けて声を張り上げた。





「ここに集まっている人の中には、国の根幹に携わっている人もいるんでしょう?」






野分は自分を見つめる道長を、負けじと真っ直ぐに見つめ返した。






「どうか、いま一度、民の生活の現状について考えてください。食糧が──、栄養が行き渡れば、民の健康につながります。病気になっても回復する可能性が増えるし、病気になることを未然に防ぐことだってできる。民が元気なら、納める年貢だって増えるはず。そうすれば、国自体が元気になる。だから、お願いします。もっと、民の生活を知ってください」






そう言うと野分は、その場で体を直角に曲げた状態のまま、少しも動かなくなってしまった。



ざわめく民たちの中には、野分の勇気ある行動を褒め称える者、彼女の意見に乗じて日頃の鬱憤を叫ぶ者なども出始め、会場は一向に落ち着きを見せない。


収拾の付かなくなったこの状態に僧侶たちが手を焼いていると、桟敷席の方から道長が一人、こちらに向かって歩いてきた。


彼は野分の前まで歩みを進めると、その顔に微笑を浮かべながら彼女の前に佇んだ。


会場の喧騒は、嘘のようにピタリと止んでいた。






「確かに、お嬢さんの言う通りだ。民の生活向上については改めて考え直す必要がある。しかし、今回は算術勝負のはず。出された問題に対しての解を示すことが本題であろう。よって、勝者は僧侶側だと言わざるを得ないのではないか?」






野分の下げた頭に、道長の言葉が降り注ぐ。

義道が脇に控えていた僧侶に向けて微笑みかけると、慌てた僧侶はその場に平伏する勢いで頷き、






「この勝負、当院側の勝利!」





と、声高らかに告げた。





この勝敗に納得のいかない民と納得した民たちの声が忙しなく飛び交う中、道長は野分に微笑みを残したまま、悠然と自分の席まで戻って行った。




残された野分は、




(……偉い人って、本当に余裕があるんだなぁ)





と、漠然とした思いでその背中をぼんやりと見つめていた。





しばらく立ち尽くしていた野分だったが、頭頂部をこつりと優しく叩かれて我に帰った。

振り向くと、義道が不服そうに顰めた顔をグイッと近づけ、





「お前も人のこと言えないじゃないか!」





と、野分の鼻先を指でぐっと押し上げてきた。

しかし、その顔はどこか嬉しそうだ。





「マジごめん!本当にごめん!何してんの自分!ああ〜!ほんと馬鹿!!私のばか!!」





まるで壊れた人形のように自分の頭を無心で叩く野分の肩を、晴明が両手でポンポンと叩く。




「まあ、やっちゃったものはしょうがないんじゃない?」




ここに来てもまだ他人事のように緩んだ雰囲気を纏っている晴明の袖を、野分がガシッと握りしめる。




「晴明さんだけが頼りだから!!お願い!勝って!なんとしてでも勝って!」


「うわぁ……。俺、そういう風に期待されると、本領発揮できないんだよねぇ。それよりも、君のご主人様がすごい顔して睨んでるから、後で覚悟した方がいいかも」





野分を引き離すために上体を反らせながら、晴明が観客席を指差す。







そこには、垂布を引き千切らんばかりに握り締め、充血した目をカッと見開き、紅をさした唇を歪に歪めた、まるで阿修羅の如く怒り狂っている清麻呂の姿があった。






「うううっ……うわああああん!!!」





泣いても叫んでも、もう遅い。




そんなことは分かりきっていたが、野分は帰った後の自分の処遇を想像すると、腹の底から込み上げる情けない声を止めることができなかった。










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