#18 算術対決②
不審に思った少年は、算木を動かす速さを緩めて、口の端を吊り上げた。
(あーあ。こんなところで心折れちゃって、可哀想に)
さしずめ、観客たちから向けられている視線というものを改めて認識してしまって、その圧力に耐えきれなくなったのだろう。
客席の方を向いたまま固まっている彼女から、少年はそう推測した。
(こんなの、勝負するまでもないよね)
少年は唇から歯を覗かせながら、余裕綽々といったように、ゆるゆると机の上の棒を動かし始めた。
まるで積み木遊びでもしているかのように少年が算木を動かした、その時。
ガシャンッ!
隣の机の上から、算木がバラバラと床に降り注いだ。
「──え?」
振り向くと、何もない机に向かって筆を構えている野分が、そこにいた。
彼女は一度、鼻から深く息を吸い込み、数秒かけてそれを吐き出した。
そして、目をカッと見開いたかと思うと、目の前の机に向かって一心不乱に筆を走らせ始めた。
「えっ?!」
算盤の升目を全く無視して、まるで紙にでも書くかのように、机を文字で埋めていく。
落ちた算木を拾うこともせずに、見たこともない文字をすごい勢いで綴っていく彼女に、少年は圧倒されるばかりだった。
数秒間目を奪われていた少年は、ハッと我に帰ると、再び自分の算木を動かし始めた。
(何?何してるの、この人。何、あの文字)
少年の額に、嫌な汗が滲み出す。
二人の間に立ち込め始めたただならぬ熱気に、会場中の人間が拳を握り締めながら、その様子を窺う。
そして互いの机から音が消えた直後、二つの腕が風を切る音と共に天へと突き上げられた。
肩で息をしながら項垂れている二人を、審判の僧侶が唖然とした表情で見つめる。
そして別の角度から見ていた他の僧侶に視線を向けると、相手がこくこくと頷いた。
それに応えるように、僧侶は大きく首肯したのち、
「両名同時である!」
と、声高に叫んだ。
僧侶勢と野分勢、そして観客たちの強張った筋肉がほぐれ、観客席の人垣の稜線が、ふにゃふにゃと下に沈んだ。
「解答の正誤によって勝敗をつける。両者、紙に書いた解を掲げよ」
厳かな僧侶の声を合図に、野分と少年はあらかじめ記入していた紙を胸元に掲げた。
そこに書かれている数は、同じではなかった。
野分の解答を横目で覗き込んだ少年は、ニヤリと口の端を吊り上げる。
「この問いの正解を読み上げる」
丸めてあった筒状の紙を、審判が開いていく。
観衆と僧侶、晴明や義道、そして清麻呂。
そこにいる皆の心臓が早まっていく。
「解は──、大人148名、子供1名!」
僧侶の言葉に少年が立ち上がり、解答を書いた紙を掲げて観客席へと見せつける。
それを見た民衆はワッと湧き立ち、少年に対して称賛の声を浴びせた。
「お姉さん、残念だったねぇ。せめてもの悪あがきで早く手を挙げたんだろうけど、そもそも回が間違ってちゃ意味ないよねぇ。あーあ、恥ずかしい。惨めってこういうことをいうんだね!勉強になるなぁ」
穏やかな笑顔を浮かべて機嫌よさそうに、くるくると回る少年。
屈辱を味わった野分をさらに追い詰めるかのような言葉を浴びせるも、野分は挑発に乗ってこない。
ただ、観客席の一点を見つめて、何かを決意したかのように固く拳を握っている。
「ちょっと、お姉さん。なんとか言ったら……」
想像した通りの反応が返ってこないことに苛立った少年が、野分の肩を手を掛けようよすると、野分はそれを手で振り払い、その場にすくっと立ち上がった。
そして肺の大きさの限界ギリギリまで息を吸い込むと、
「そもそも、この問題はおかしすぎる!!!」
と、会場にいる人間の鼓膜を突き破らんとするほどの大声で叫んだ。
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