#16 勝負の行方②
「これはこれは、道長様!」
晴明は目を大きく見開きながらも、小走りで男に駆け寄る。
驚きと困惑が入り混じったような不自然な笑顔を貼り付けては、丁寧に頭を下げた。
「そなたがこの力比べに参加すると、小耳に挟んでな。政務の息抜きに見学させてもらうことにした」
「都一お忙しい道長様にお越しいただけるなんて、恐悦至極にございますが……、それよりもおやすみになられた方が良いのでは?また寝てらっしゃらないのでしょう?」
晴明が彼の肩を、手の甲でサッサっと払う。
魑魅魍魎と言われる類のものが、きゃあきゃあと小さく悲鳴をあげながら散っていったのを、野分は見逃さなかった。
「おお、肩が軽くなった。さすがだ、晴明」
「恐れ入りますぅ」
晴明が手を揉み合わせながらヘコヘコと頭を下げる。
昔から憧れていた天才陰陽師が上司らしき人を相手に腰を低くしている様子を見て、野分の中にわずかに残っていた晴明への幻想がガラガラと音を立てながら崩れ去っていった。
「ではな。期待しておるぞ」
「はいっ!ありがとうございますっ!」
まるで新人のようにピシッと背筋を伸ばして、直角に頭を下げる。
相手は去り際に野分たちの方へと目線をやると、紳士的な笑みを浮かべては桟敷席の方へと歩き去っていった。
「ぶはぁ!びっくりしたぁ!まさか道長様までいるなんてな!」
額にどっと汗をかきながら、晴明が息を吐く。
義道は依然としてプルプルと震えているし、清麻呂はいまだに市女笠を深くかぶって顔を隠していた。
「何?もしかしなくても、今の人って、すごい人だったの?」
一人呑気な野分に、垂衣の奥から清麻呂が細めた目を光らせた。
「今のは右大臣様じゃ。藤原氏の氏長者でもあらせられる」
「右大臣……お雛様の下にいる、あのおじさんの人形と同じ?」
「……そなたに教えても無駄じゃったな」
「まあ、とてつもなくえらいお方ってことだよ」
普段の調子に戻った晴明が、楽しそうに笑う。
「それにしても、道長様まで呼ぶなんてなぁ。こっちも本気でやるしかなくなっちゃったじゃん」
かったるそうに天に向かって口を開いている晴明の脇腹に向かって、
「最初から本気でやってよ!」
と、野分は肩肘を打った。
わざとらしく「ぐえっ」と呻きながら苦悶するふりを続ける晴明を置いて、すたすたと中へ進んでいく。
お堂の中に入ろうと角を曲がった瞬間、前方から駆けてきた人と盛大にぶつかり、野分はそのまま尻餅をついた。
「いたた……」
「んもうっ!どこを見て歩いているのよ!」
それはこちらのセリフだと、一言文句を言ってやろうと顔を上げた。
そこには気の強そうな、見るからに高貴な召し物を身に纏った女性が立っていた。
この時代の貴族には珍しい、柔らかなウェーブがかった髪が野分の目を引く。
動かない野分を不審に思ったのか、その人は彼女の視線の先を辿るようにして自分の手をそこに向けた。
みるみるうちに、彼女の顔が青ざめていく。
「きゃあ!私の鬘がっ!」
慌てて体を左右に回転させながら、必死に何かを探す女性。
なにか落とし物をしたのかと思い、野分も一緒になってあたりを見渡す。
すると、柱の奥に何やか黒い毛束のようなものが落ちているのが見えた。
野分がそれの正体を確かめようと手を伸ばすと、バチィンッ!と手の甲が何かによって打ち払われた。
「触らないでっ!」
女性はそそくさとそれを拾い上げて頭に被ると、真っ赤な顔をこちらに振り向かせながら、
「覚えてなさいよっ!」
と、悪役の捨て台詞のようなものを残して小走りで逃げていった。
まるで当て逃げのように去って行く彼女を茫然と見送る。
後から追ってきた晴明と義道は、床に座り込んでいる野分を発見すると、
「何してんだ?野分」
と言いながら、義道が不思議そうに野分をヒョイっと持ち上げて立ち上がらせる。
「お待ちしておりましたよ、皆様方」
突然、お堂の床に巨大な影がにゅっと伸びてきた。
その根元を辿っていくと、そこには巨僧・寂暁が樹木のように立ちはだかっていた。
周りに置いてある仏像に引け劣らないほどの屈強な体を揺らしながら、こちらに悠然と歩み寄る。
「これまた随分派手に人を集めたねぇ」
「勝手に集まってきたのですよ」
寂暁は蝋を固めとったような白い歯を見せて、余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「皆に楽しみを与え、この世の苦痛を忘れさせるのも功徳の一つでしょう?」
「……それより他に、やるべきことがあると思うけど」
ぼそっと呟いた野分の言葉に、寂暁が笑顔のまま顔を近づける。
突然近づいてきた岩のような顔を避けるため、野分はとっさに義道の影に隠れた。
寂暁は喉の奥で面白そうに笑うと、
「さあ、本日の対戦種目を決めましょう」
と、お付きの者に筆と紙と箱を用意させた。
本日の勝敗を決めると言っても過言ではない大事な場面に、野分がゴクリと喉をならす。
晴明は、ガチガチに肩を固めている野分の背中をぽんっと叩き、
「未来から来たお嬢ちゃんがいるんだから、大丈夫だろ〜?」
と、こっそりと耳打ちして微笑みかけた。
本気で言っているのか、緊張を解すための冗談なのか。
野分はブリキのおもちゃのようにギギギッと口角を吊り上げ、ぎこちない手つきで紙と筆を手に取った。
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