#16 勝負の行方①
そして迎えた、決戦の日。
野分一行は清麻呂邸に集合し、最終打ち合わせを行っていた。
「いい?なにがなんでも勝って。でも絶対に無理しないで」
「とんでもなく矛盾しておるなぁ」
寝不足で目蓋がぼってりと浮腫んでしまっている野分を、清々しい顔の清麻呂がケタケタと面白そうに笑っている。
あの日以降、野分は清麻呂からみっちりと算術を叩き込まれた。
晴明がいた手前言えなかった皮肉をこれでもかと浴びせられつつ、毎晩行灯の油が切れるまで、慣れない算木での計算に明け暮れていた。
診療所での仕事後の疲れている体に鞭打ちながら、彼の理不尽なスパルタ指導にも文句を言わず、ぐっと堪えてきたのだ。
これで勝てなかったら、きっと清麻呂に張り手をかましてしまうだろう。
「……何よりも、命大事に。人命第一」
「そんな物騒なものなのか、今日の力比べって」
馬に乗せた武具を整えながら、義道が緊迫した面持ちで生唾を飲む。
「いや、あいつらだって仏に仕える身だからさ、殺生まではしないと思うんだけどね?でもまあ、面子のかかった試合だし、何してくるかはわからないよねぇ」
いつも通り、へらへらと締りのない顔で晴明が歩み寄り、義道の肩をぽんっと叩いた。
聞いてないぞと迫る義通を無視して、野分は横の清麻呂をチラリと横目で見る。
「さっきから思ってたけど、なに、その格好……」
「似合うであろう?」
頭にかぶった市女笠から伸びた垂衣を指先でかき分けると、紅を引いた唇が艶やかに弧を描く。
彼はなぜか女性が着る壺装束を身につけていた。
「今回、麿は無関係ということになっているからな。後々変なことに巻き込まれないためにも、姿は隠した方が良かろう」
「あ〜……、確かに清麻呂はそうした方がいいかもね」
彼の女装に驚きもせずに晴明が頷く。
なんのことだかわからない野分は首を傾げながらも、まじまじと清麻呂の横顔を眺めた。
彼女の隣に立っているのは紛れもなく清麻呂のはずだ。
しかし、どこからどう見ても、儚げで透明感のある女性にしか見えない。
美青年姿の今だからこそ似合うものの、いつもの二頭身に戻ったときのことを想像すると、無意識に肩が震えてしまう。
「なんじゃ、そなた。武者震いか?」
緊張で体を震わせているのかと勘違いした清麻呂が、ニヤついた声で尋ねる。
「まあ、安心せよ。そなたがしくじったとて、勝敗に影響はないわ」
「なんでよ?」
「こちらには主計権助殿と義道がおるのじゃぞ?負けるはずなかろう?」
逆に不思議そうな顔をして、彼は平然と言い放った。
野分は、だったら自分があんなに徹夜する必要はなかったのではないかという考えをぐっと押し込め、自分の太腿をスパンッと叩いた。
「よしっ!いざ行かん!酒取り合戦へ!」
野分が腕を掲げると、三人は彼女に続いて「おおーっ」と声を出した。
一人は腹の底から雄々しい声を張り上げ、もう一人はヘロヘロと中途半端に腕を掲げ、もう一人はわざとらしくしなを作りながら。
あまりにも三種三様すぎる鬨の声に、彼女は「なんだかなぁ」と締まらない心地で馬にまたがり、約束の会場へと向かうのであった。
*
「うわ、何これ……」
会場付近の道端には、ずらりと牛車が並んでいた。
その反対側にある門には溢れんばかりの人だかりができている。
「……やってくれたな、あの坊主ども」
居並ぶ煌びやかな牛車を眺めながら、晴明が呆れたようにひくっと口の端を吊り上げる。
「どういうこと?」
「俺たちは、あいつらの金稼ぎに利用されたんだよ」
淀んだ空気を吐き出しながら、半目の晴明が答える。
三人はそのまま人混みをかき分けて寺の中に進んだ。
縄が張り巡らされた敷地の向こう側に、見るからに一般大衆とは異なるやんごとなき人々が、緋毛氈の敷かれた席に座っている。
「ほら、あそこ。貴族用の桟敷席が設けられている。きっと、俺たちとの勝負を見世物にして一稼ぎしたんだろうなぁ」
悔しそうに遠くを見つめては下唇を噛んでいる晴明の肩を、突然、義道の大きな手が掴んで前後に揺さぶる。
「あばばばっ。なになに?なんだい、義道殿?どうしたの?」
「あわわわわっ!」
緊張感の全くない晴明の体が、ぐにゃんぐにゃんと波打つ。
されるがままになっている彼が振り返ると、義道は見たこともないくらい青ざめた顔をして一方を見つめていた。
視線の先に、晴明が目を凝らす。
山のようにいた人だかりが岩のように真っ二つに割れ、間に道ができていた。
その奥から、一人の男がこちらに向かって歩いてくる。
「晴明。久しいのう」
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