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#11 企て①





「夕霧を捕えたって?!大手柄じゃないか!野分!」





いつも以上に興奮した様子の義道が、野分の背中をバシバシと叩く。

その熱烈な祝福を受けながら、野分は渋柿を口に含んだような表情を浮かべた。



あの後、清麻呂は検非違使を屋敷に呼び込み、ことの顛末を話した。

夕霧が身につけていてた水干と小刀、そして芳しい香りを放つ黒曜石のような黒髪を添えて。



女盗賊・夕霧は夜中に藤原邸に盗みに入り、屋敷の中を物色している最中に家来に見つかった。

逃走を図ろうとした彼女は誤って足を滑らせ、近くにあった鏡台の上に倒れ込んでしまった。

突き出した鏡台の骨はそのまま彼女の喉を貫き、いともあっけなく夕霧は死んでしまった。

不浄である死体を屋敷に置いておくのはためらわれたため、近くの浮浪者に頼み、鳥野辺へと捨ててくるように伝えた。

それがまさに夕霧であったという証拠を残すため、彼女の衣や愛刀、そして独特な香りが残る黒髪を切り取り、献上したのだと。





 ──全くの作り話である。




しかし検非違使も、都中の人々も、誰もがこの話を信じた。


『見目麗しい若君が悪名高き女盗賊を成敗した』という美しい物語は、人々を楽しませる最高の娯楽となったからである。


仮にも警察として機能するはずの機関が、なんの調査もせずにそんな作り話を信じていいのか。

野分はこの時代の公的機関に対して、底知れない不信感を抱えていた。



夕霧はあの後、本当に厩肥作りに手を貸してくれた。

今は都の外にある清麻呂の土地に小屋を立て、仲間と共に暮らしている。


清麻呂の言ったとおり容易に逃げ出せる環境にもかかわらず、彼女は真面目に厩肥作りに精を出してくれていた。

彼女の手下である若衆や街中で見かけた動けそうな浮浪者に声をかけ、都中の牛糞を集めてくれている。



もちろん野分も屋敷の仕事が終わった後に牛糞拾いはしている。

しかし、拾っても拾っても、道ゆく牛たちは糞を落としていく。

範囲は広いし、集めた牛糞は想像以上に重い。



一人では到底できなかっただろう。



野分は改めて夕霧に感謝の気持ちを伝えに、その小屋に向かった。

これはその時の話だ。










「──まあ、あんたは私の命の恩人だからねぇ」


夕霧は髪を靡かせるような仕草を見せたが、「おや、そういえば短くなったんだった」と、行き場のない手を口元に添えて笑った。



白粉を落とした褐色の肌に、短くなった艶髪がよく映えていた。

着ているものも以前の美しい水干姿とは違い、農夫のような質素さだった。

しかし野分は、以前の夕霧よりもこちらの方が美しいように感じていた。



「それにしても、盗賊から髪を奪う貴族なんか聞いたことがないさね」



ケタケタと笑いながら、竹筒に入れてある水を飲み干す。



「夕霧はさ、いつから盗賊やってたの?」

「おや、盗賊の生い立ちに興味があるのかい?お嬢ちゃん」



相変わらず掴みどころのない、のらりくらりとした口調だった。

立ち入ったことを軽々しく聞いてしまったと気づき、慌てて口に手をあてがう。

そんな野分の仕草を面白そうに眺めながら、夕霧は静かに語り出した。



「私はねぇ、橋の下に捨てられた子だったんだよ」



足元に咲いている野の花をプチッと摘み取って眺めがら、彼女は続けた。



「たまたまそこに住み着いていた貧しい人たちが、赤ん坊だった私を育ててくれたんだ。明日食べるものさえなかった人たちが、見ず知らずの赤ん坊をだよ?」

「……いい人たちだね」



あまりにも馴染みのない話に、野分は浅い相槌しかできなかった。

それでも、夕霧は優しい微笑みを浮かべながら続きを聞かせてくれた。



「そう。いい人たちなのさ。貧しいだけでね。だけどある日、そこの仲間がとある貴族に言いがかりをつけられてね。自分の扇を盗まれたと言ってきた」

「……」

「もちろん、その人は盗みなんて働いていなかった。それでも貴族は難癖をつけてきて、仲間を引き連れては私たちの小屋に押し入ってきてた。ご丁寧に、柱や壁を破壊しながらね」

「ひど……。でも、扇は出てこなかったんでしょ?」

「もちろん。ただただ、家を荒らされただけさね。ひどい有様になった小屋を見て、満足そうにニヤついていたあいつの顔は、今でも忘れられないよ」



他人事のようにククッと喉を鳴らす夕霧とは対称に、野分の眉間に皺が浮かぶ。

若々しい反応を見せる野分の頭に、夕霧の手がポンッと乗せられた。



「私もね、あの時は今のあんたみたいな顔をしていたよ。納得できなくってねぇ。それであいつに抗議しようと、屋敷に忍び込もうとしたんだ。一人でね」

「何歳の頃の話?」

「十……だったかね?」

「無謀なことするなぁ」

「本当にねぇ」



野分の頭のてっぺんに花を挿して、くすくすと笑う。



「塀をよじ登っていたとき、向こう側からあいつの声が聞こえてきたんだ。ちょうど私たちのことを話していたのさ。さも、笑い話のようにね」

「……」

「扇の話はでまかせであり、虫の居所が悪かったからやっただけ。あいつはそう言ったのさ」



夕霧の目が、宙を捉える。

何を見ているのかはわからない。

ただただ、どろりとした禍々しさだけが、その瞳に渦巻いていた。





「だから本当に盗んでやった。あいつの期待どおりにね」





怯えきった野分に気づき、夕霧はいつもの調子でパッと明るく笑ってみせた。

だけど野分には、笑い返すだけの心のゆとりは持ち合わせていなかった。




「その後はずっと、金持ちから盗んでは貧しい人に分け与えていったんだ。もちろん足がつかないように、食べ物や別の品物に交換してからね。……それでも、貧しさっていうのはなくならないもんだね」

「……そっか」



夕霧の横顔を見つめる。

化粧で隠されていた傷が、うっすらと浮き上がっている。

みみず腫れのようなものや、抉れているもの。

大小さまざまなそれは、彼女が今までいかに奮闘してきたかということを雄弁に物語っていた。



「あんたがさ、言ってくれたろ」

「え?」

「街の人たちを助けたいからだって」



あの晩、野分は確かにそう言った。

なんの保証もない夢物語ではあったが、嘘をついたつもりはなかった。


夕霧は天に向かってググッと腕を伸ばし、その状態のままで野分を振り返る。



「同じ目的なら、協力してもいいかなって思ったのさ」



逆光に照らされた彼女の顔は、どこか吹っ切れたような爽やかさだった。



「それに、潮時だったしねぇ。あんな男一人に捕まっちまうなんてさ」

「要は強いから、仕方ないよ」



真顔の野分がすかさず相槌を入れると、夕霧はふっと頬を緩めて、「そうかい」と楽しそうに笑った。



「いずれにしても、私の象徴だった天竺の香も、この牛糞の匂いで消えちまったしねぇ。女盗賊・夕霧はもうこの世にはいないのさ」



彼女は短くなった髪を後ろ手に撫であげ、薄紅色の唇で弧を描いた。

そのまま、くるりと身を翻して駆け出していく。



「かっこいいよ!夕霧!」



風のように走っていく夕霧に向かって野分が叫ぶと、彼女は振り向きもせずに手を振って、あっという間にその場を去っていった。







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