#9 夕霧③
「なんじゃ、騒がしい……」
夜着の上から一枚羽織っただけの状態の清麻呂が、薄暗闇の中からぽてりぽてりと足音を鳴らしながら、ゆっくりと姿を見せた。
大きなあくびをしながら目を擦り、明らかに今まで寝ていましたという様相だ。
しかし、烏帽子だけはきっちりと被っていた。
清麻呂は、皆に取り囲まれている人物にじっと目を凝らす。
二、三回しょぼしょぼと瞬きを繰り返してから近づき、夕霧の周りをチョロチョロとうろつきながら観察した。
そして、鼻をヒクヒクと動かして彼女の香りを嗅ぐと、
「ヒイィッ!これは夕霧ではないか!」
と、弾かれたような勢いで身を引き、要の背中に隠れた。
なんとも鈍臭い反応に野分が苦笑していると、
「若様の書斎に入り込んだところ、野分が捕らえました」
と、要が蕩々と説明を始めた。
「野分は首に刃物を押し付けられても怯むことなく、危険も顧みずに盗人確保に尽力いたしました」
「なにっ?!醜女が?」
清麻呂は野分の首元に目をやる。
刃を当てられた際に傷つけられた皮膚から、一筋の血が流れているのを確認すると、「ふむ」と小さく頷いた。
「やるではないか、醜女!良い良い!褒美を取らせる」
「え!本当に?!」
「ああ。麿が嘘をつくとでも?」
「いやだって、今ままでの散々な扱いの数々を考えたら、また意地悪されるんじゃないかって思って」
「つくづく失礼なやつじゃな、おぬしは」
清麻呂は、ジトッとした横目で野分を睨みつけるが、今回ばかりはそれ以上の嫌味は口にしなかった。
「まあ、今日は大目に見てやろう。夕霧を捕まえたとあれば、麿の名声もさらに轟くであろうな。さあ、欲しいものを言ってみよ。絹か?米か?それとも香か?」
にこにこと上機嫌な清麻呂が、野分の周りを飛び跳ねる。
いつもこうしていれば可愛いものをと思いながらも、野分は必死に頭を巡らせていた。
「ねえ、この人ってこれからどうなるの?」
「もちろん検非違使に引き渡すが?」
検非違使というのが平安時代の警察だということは、野分も知っていた。
「……それからどうなるの?」
「こやつは頻繁に盗みを働いているからの。二度と盗めぬように、腕でも切り落とされるんじゃないかのう?」
清麻呂はケタケタと笑っているが、野分は一緒には笑えなかった。
「なんじゃ、醜女。こやつに復讐したいのか?八つ裂きにするか?」
愛らしいまん丸ボディからとんでもないことを言い放ってくる清麻呂。
野分は虫のような動きを繰り出して、部屋の隅まで退き彼から距離を取った。
「はあ、冗談に決まっておろう。しかし、命を危ぶまれたのはそなたじゃからな。冗談抜きにして、お主が沙汰を下しても良いぞ」
「えっ!」
ぱぁっと明るくなった彼女の顔を見て、清麻呂がフンッと得意気に鼻を鳴らした。
(ふふん!醜女も麿の寛大さにようやく気付いたかの!これで反抗的な態度を改め、麿に従順に尽くすようにな……)
「じゃあさ!牛糞集め、興味ない?」
「……は?」
声をあげたのは夕霧ではなく、清麻呂だった。
「清麻呂、土地持ってない?都中の牛糞を集めて置いておけるくらいの土地!」
「は?」
「丁度、牛糞を集めて発酵させくれる人が欲しかったんだよねぇ!まずは半年くらいお願いできない?」
「……野分。おぬし、結構えげつない罰則を考えるものじゃな」
うぷっと呻き声をあげながら袖を口に当てて、白い目で野分を見つめる。
しかし彼女はどこ吹く風である。
「いや、あの大量の牛糞を処理しないと絶対にやばいし、牛糞って肥料にもなるんだよ!」
「そんなもの聞いたこと……」
「おやまあ。よく知ってるねえ、お嬢ちゃん」
清麻呂の言葉を遮って、夕霧がくくっと喉を鳴らした。
「厩肥ってのは地方の農民が使っている肥しさね。内膳司の園の耕作にも使われてるって噂だけど、まさか聡明で物知りな民部省少輔様が知らないわけがないよねぇ?」
床に転がされている夕霧が、悠然と会話に入り込んでくる。清麻呂はわなわなと拳を震わせ、
「そーんなこと、知っておるが?!麿が知らぬはずなかろうっ?!戯言も大概にせよっ!」
と、真っ赤になった頬をぷりぷりと膨らました。
野分は床にしゃがみ込み、夕霧に目線を合わせながら、
「夕霧さん、その厩肥の作り方って知ってる?」
「まあ、顔見知りが作ってたからねぇ」
「ちなみに、一緒にやってくれそうな人っている?」
「それなりに当てはあるさ」
「じゃあ!任せてもいい?!」
と、キラキラした星を目に浮かべて嬉しそうに迫った。
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