3 怪しい男
西浦先生の指示に従い、木村が階段の非常用ドアを開け、ドアの向こうの人物に声をかけた。
「どうぞ。はいってください。でも、常にソーシャルディスタンス、2メートルの距離を保ってください」
「わかりました。失礼します」
そう言って入ってきたのは、黒いスモークのフルフェイスマスクをかぶった、見るからに怪しい男だった。
カラは思わず、けっこう大きな声でつぶやいた。
「うわ、あやしー!」
優花がカラをたしなめた。
「カラちゃん。いきなり失礼でしょ。ゾンビパンデミックだから、ああいう格好の人もいるかも」
たしかに、フルフェイスヘルメットや手袋は感染防止に役立つかもしれない。
パンデミックが始まってから、マスク、手袋、フェイスガードあたりは、みんなの標準装備になっている。
だけど、この暖かい季節にネックウォーマーまで?
しかも、この怪しい男は、どこにも皮膚を露出しているところがない。
あやしい男は、探るようにそこにいる人達を見わたした。
西浦先生は、怪しさに気が付かないかのように愛想よく言った。
「よく来てくれました。私が西浦です」
怪しい男は西浦先生の方を向いて、軽くフルフェイスヘルメットの頭を下げた。
ヘルメットをはずす気はないらしい。
「中林先生に言われてきました。西浦先生。何をすればいいですか? 徒歩での避難は難しそうですけど。俺はゾンビに襲われないので、できることがあったら言ってください」
怪しい男は本当にゾンビに襲われないらしい。
ゾンビは必ず非感染者を襲うはずなのに。
ますます怪しい。やっぱり怪しい。どう考えても怪しい。
そんな表情を、みんなが浮かべていた。
それなのに、西浦先生は何も疑っていないようで、怪しい男に頼んだ。
「2つ、お願いしたいことがあります。駐車場にある僕の車をここの入り口までもってきてくれませんか? あとは、1階のエレベーターと入り口の間のルートを確保してもらえれば、そうすれば、ここから避難できるはずなんです」
フルフェイスヘルメットの男はうなずいた。
「わかりました。それくらいなら、俺にできると思います」
「じゃ、ほんとに避難できるの?」
カラがそうつぶやいたところで、苦虫をかみつぶしたような顔の手越先生が言った。
「待ってくれ。西浦さん。疑いたくはないが。大事な車のキーを預けて、そのまま盗まれたら大変だ。脱出手段がなくなってしまう。しかも、ゾンビに襲われないということは、やはり、感染者である可能性が一番高い」
ゾンビウイルスの感染者は、感染の初期には外見や言動からはわからない。
そして、こっそり感染拡大を謀ることが多い。
そう言われている。
この怪しい男は、実は感染していて、ここにいる人達を感染させようとしているのかもしれない。そう手越先生は疑っているのだ。
手越先生に続いて宮沢が言った。
「僕もそう思います。西浦先生。まずは彼が感染していないことを確認しましょう。せめてヘルメットくらいはずして顔を見せてもらわないと。顔も見せない人を信用するなんて、危険すぎますよ。さぁ、そのヘルメットを……」
一瞬、あやしい男が小さく後ろに動いた。
まるで、やましいことがあるように。
まるで、何かを知られることを恐れているように。
それに気が付くと、カラは口をとがらせて言った。
「もーう。ザワチン。いいじゃん、別に。あやしい人に失礼だよ? アランが派遣してきたんだから、きっと、この人は変な薬を注射されて、ゾンビに襲われなくなってんだよ」
宮沢はかん高い声で言い返した。
「大鳥さん。そんな便利な薬があったら、今頃パンデミックは終わっているよ? ゾンビウイルスに薬はないんだよ!」
「わかんないじゃん。流通はしてなくてもさ。アランがなんかいい薬を作ったのかも」
そこで木村が提案した。
「こうしたらどうですか? ゾンビウイルスに感染してから発症までは、長くても24時間らしいです。24時間待って問題がなかったら、車のキーを預ければいいんじゃないでしょうか?」
「だめだよ。ニッシーには時間が……」
カラがそう言いかけたところで、西浦先生が遮った。
「僕のことなら心配いりません。すぐに避難したところで、どうしようもありませんから。今更あと1日待ったところで、危険なことも起こらないでしょう。ですが、せっかく来てもらったのに、この方に24時間も待ってもらうというのは……」
あやしい男は急いで手をふって言った。
「俺はいいですよ。どうせ指定図書を探しに大学には何度も来ないといけないので。じゃ、今日は避難用のバリケードを作るだけにして、俺はまた明日来ますね?」
西浦先生は申し訳なさそうに言った。
「そうしてくれますか? 申し訳ありません。助けてもらっておきながら」
「大丈夫です。じゃ、バリケードを作ってきます」
そう言って、怪しい男はまるで逃げるように速やかに去っていった。
それを見て、西浦先生以外の誰もが、やっぱり怪しい、と思った。