26 夜の出来事3(木村)
立花が復讐で殺された。
このままじゃ、自分も危ない。
そう悟った木村は、TGS1の置いてある部屋で、犯人の手がかりを探していた。
だが、何も見つからなかった。何も変わったところはない。
木村はふと、傍に立っているロボットに注意を向けた。
TGS1。
(ひょっとして、TGS1が……?)
それしか、考えられなかった。
立花はここにいる誰よりも体格がいい。力で立花に勝てる者はいない。
もしも立花が殺されたなら、TGS1が殺したに違いない。
それに気が付き、木村はTGS1の開発用のパソコンに飛びついた。
だが、ログインすることができなかった。
「クソッ。なんで、パスワードが変更されてるんだ? 西浦研の誰かが……?」
急にぞわぞわと恐怖が背中を走り出した。
もしも西浦先生が犯人なら。
ターゲットの顔をTGS1におぼえさせ、襲わせるプログラムを作ることぐらい、朝飯前だ。
いや、西浦先生じゃなくても、西浦研究室の院生やポスドクなら、それくらいできる。
今にもTGS1が襲ってくるのではないかと思えてきて、木村は部屋の外に出た。
とりあえず、別の部屋に入り、そこにいても不安になって、トイレの個室に逃げこんだ。
誰が犯人かは、わからない。
だが、敵がTGS1なら、意味するのは絶望だ。
手越先生がほとんど趣味で開発しているTGS1は、実は、ちょっと爆破されても壊れない強度で、金属のドアでもへしおるほどの力を持っている。
そういえば数日前、手越先生は、言っていた。
「TGS1でゾンビの頭蓋骨を破壊することもできるはずだ。TGS1をゾンビに汚染されたくなかったが、こうなったらTGS1でゾンビを殲滅するしかないかもしれない」と。
もしも、手越先生が、その調整を実行していたら。
そして、そんなTGS1にターゲット殺害プログラムが組み込まれたら。
ターゲットになった時点で、死が確定する。
木村の全身が恐怖でガタガタ震えていた。
その時、恐怖でいっぱいの木村の心の中に浮かんだのは、メグミだった。
(メグミに会いたい)
木村がメグミに出会ったのは、パンデミックが始まる少し前だった。
メグミは優花ほどの美人ではなかった。
メグミは、優花ほど頭がよくはなかった。
それでも木村はメグミに惹かれた。
メグミの優しさと温かさに。
遠野優花は完璧な女だった。
美しく、頭もよく、道徳的にも人間的にも立派だった。
完璧すぎて、辛かった。
優花と一緒にいると、いつも不安だった。
自分の本性を知ったら、優花はどんな目で見るだろう、と。
木村は自分がクズだとわかっていた。
いつも他人の目ばかり気にしていて、平気で人を裏切る卑怯なクズだと。
自分を悪い奴だと思いたくない。
だけど、友達だったはずの野村を自殺未遂に追い込んだ時に、思い知った。
俺はクズだ。
でも、好きでクズになったわけじゃない。
本当は立派な男になりたかった。
ただ、そうなれないだけだ。
いつもいい子でいるようにしてきた。
みんなに好かれるようにしてきた。
空気を読んで、忖度して、見た目にもマナーにも気をつかい、とにかく相手が聞きたい発言をするようにしてきた。
そうやって生きてきたら、なぜかクズになってしまった。
どうすればよかったのか、今でもわからない。
木村は思った。
もしも、なぜ犯人に命を狙われているのか説明すれば、優花は自分を蔑み、見捨てるだろう。
優花は完璧で常に正しくて氷のような女だ。
でも、メグミなら受け入れてくれる。
メグミなら、ダメなところもクズなところも含めて、ありのままの自分を受け入れてくれる。
(逃げよう。メグミのところに)
数時間前に入っていたメグミの「会いたい」というメッセージに「今行く!」と返信をして、木村は、TGS1の設置してある部屋に忍び込むと、大急ぎでアルミ板でできた箱を外に運びだした。
大鳥カラの発案で作った「脱出用装甲」と名付けられた、ただの箱だ。
外を見ることができる透明プラスチックの窓がついていて、移動がしやすいように、下部には車輪がとりつけてある。
基本的に、それだけだ。
発案した大鳥カラ本人が、「こりゃ、ダメそう」と言って、放置していたものだ。
でも、今はこれに頼るしかない。
木村はエレベーターまで、アルミの箱を持っていき、1階に降りた。
そこで、「脱出用装甲」の横の出入り口を開き、中に入った。
歩いて行くと入口のドアにぶつかった。
脱出用装甲から手は出せない。
そのまま体重をかけて押し、木村は重たいドアを開けた。
外は明るい月夜だった。
キャンパス内の街灯はまだついている。
F棟の出入り口の位置はちゃんとわかった。
だが、数メートル動いた辺りで、何かにぶつかった。
寝ぼけたような唸り声が聞こえた。
「うう?」
ゾンビだった。
木村は大急ぎで、後退し、向きを変えた。
何かが追いかけるようにアルミ板を叩いた。
木村は必死に移動した。
だが、すぐに周囲から、沢山の唸り声が聞こえるようになった。
視野が狭いため、ゾンビがどこにいるのかはわからない。
ゾンビの唸り声と気配だけが、どんどんと迫ってくる。
しかも、脱出用装甲下部の車輪は、足もとの段差や石にひっかかり、簡単にひっくりかえりそうになる。
転んだら終わりだ。
転べば、逃げ場がない箱の中で、ゾンビが足の方から襲ってくる。
脱出用装甲が揺れた。
ゾンビが、アルミ板の向こうから押してくる。
木村は恐怖で震えながら、押し倒されないように、必死に板ごしに押し返した。
木村は深く後悔した。
(ちくしょう。最悪だ。大鳥カラのバカやろう!)
大鳥カラの罠だったんじゃないかと思えるほど、この「脱出用装甲」は使えない。
激しい恐怖に震えながら、木村は思った。
(これなら、TGS1に襲われるほうが、ましだった……)
でも今更、どうしようもない。
轟音のような唸り声が響く中、左右両側からゾンビが押してくる。
そして、前からも押されるようになった。
このまま相撲のように押し合えば、押し勝っても負けても、おそらく、倒される。
倒れれば、もうどうしようもない。
木村は後ろに方向転換をした。
車輪は邪魔だ。
木村は両手を上にあげ、脱出用装甲の天井部分を持ち上げた。足首から下は、板の下に出てしまうが、しかたない。
その状態で、木村は必死に小走りで走り出した。
この箱の中では、小走りにしか走れないのだ。
一度後ろに戻り、弧を描くように、F棟へ向かって進み続けた。
ゾンビの手が、脱出用装甲の下から伸びてきたこともあった。
だが、靴に触れただけで済んだ。
必死に逃げている内に、自分がどこにいるのかわからなくなった。
腕は痛い。息は苦しい。
いっそ、もう死んでしまいたい。
そう思いながらゾンビに追いまわされ、何度も何度も押し倒されかけ、どれだけの時が経っただろう。
脱出用装甲が何かにぶつかった。
木村は必死にプラスチック板ごしに場所を確認した。
目の前にガラスがある。
横に動いて行くと、何か引っかかる部分もある。
これはたぶん、F棟の入り口のドアだ。
F棟の入り口に到着した。
(やった! 俺はやったぞ!)
だが、激しい唸り声が周囲から響いていた。
左右も後方もゾンビに囲まれている。
それでも、後はこの入り口を開けて中に入るだけだ。
後ろからゾンビに押されながら、木村はその力を利用してドアを押し開けようとした。
だが、開かなかった。
ドアはカギが閉まっている。
もう身動きがとれない。
(クソッ。クソッ! ここまで来て……ここまで来て、やられてたまるか!)
木村はメグミにメッセージを送ろうとした。
中からあけてもらえばいい。
だが、途中まで打ち込んで、木村は指をとめた。
ここまで降りてきてドアを開けるのは、危険だ。
メグミを危険にさらすことになる。
木村は、スマホをポケットにしまった。
心の中で、メグミに話しかけた。
(メグミ。俺はクズだけど。おまえのことは、愛してたよ)
ゾンビに押され、アルミの箱が倒れようとしていた。
木村は、バランスを取るための努力をやめようとした。
このまま倒れ、ゾンビの餌食になる。
最悪な最期だ。
悲惨な最期だ。
だが、もうどうしようもない。
その時、突然、ドアが少しだけ開いた。
メグミの声が響いた。
「タカくん!」
「メグミ!」
木村はゾンビがドアの中に入らないように、回転して脱出用装甲の出入り口をドアの開口部と合わせた。
そして、アルミの箱をその場所に置いたまま、脱出用装甲の出入り口を開け、自分だけがドアの中へ入った。
木村はすぐにドアを全力で閉めた。
「メグミ、鍵を」
メグミがドアの鍵を閉めた。
これで、もうゾンビは中に入ってこられない。
木村はメグミを抱きしめた。
「メグミ! メグミ! 会いたかった」
「あいたかったよ……あい……たか……った……」
メグミは激しい息遣いで木村の口に唇を当てた。
メグミは舌をいれ、むさぼり食うようにキスをしてきた。
木村の舌は吸い込まれ、メグミの歯が歯肉や舌にしきりに当たり、痛みが走った。
メグミらしくないキスだ。
まるで相手に噛みつくようなキス……。
木村は、メグミを押し離した。
スマホの光を、メグミにあてた。
メグミの皮膚には、はっきりとわかるゾンビマークが浮かんでいた。
メグミはすでに感染していた。
木村は口を拭った。
口の中で、唾液と血の味が混ざり合っていた。
間違いなく、今ので、感染した。
木村は呆然と立ち尽くし涙を流した。
(俺は何をやってるんだ? あんなにがんばってここにたどり着いて……)
「タ…カ……くん?」
メグミの声で、木村は現実に引き戻された。
メグミはすでに正気を失いかけている。
木村はメグミをもう一度抱きしめた。
「会えてよかった。最後はずっと一緒にいよう。もうずっと離れないよ」
二人は一緒にすごした。
ゾンビウイルスの感染拡大欲求に負けた木村が、メグミを捨てて、非感染者を狙ってM棟に戻る時まで。




