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16 ゾンビ、車を運転する

 工学部の建物を出ると、俺はすぐに建物に沿って右側に曲がり、さっき死体がぶらさがっていた窓の方を見た。

 それから、窓の下の地面を。

 そこに落ちていたビニールひもをもう一度確認しようと思ったのだ。

 ところが。

 

(あれ? ビニールひもがなくなってる?)


 窓の下の地面には、何もなかった。


(俺の見間違いだった? いや、そんなはずない……)


 俺はたしかに見た。

 さっきはこの辺りにたくさんビニールひもが落ちていた。

 俺は窓の下に近づいて、こっそりヘルメットを外して地面をよく見た。

 よく観察すると、ビニールひもの切れ端が一本だけ、草に引っかかっていた。

 やっぱり、俺の幻覚ではなさそうだ。


(風で飛んじゃったのかな?)


 そう考えた時、近くで歌声みたいな唸り声が聞こえた。


「うーうー♪」


 俺が振り返ると、そこにいたのは、いつもここでゴミ拾いをしているボランティアに熱心なゾンビ学生だった。

 ご機嫌そうな声をあげながら、ゾンビは俺の後ろを通過していった。

 俺はゴミ拾いゾンビを見送りながら、突然、気が付いた。


「あ……! ビニールひもはあのゾンビにゴミとして拾われちゃったのかぁ! ……ゴミだもんな」


 俺が一人でそんなことを言っていると。

 ゴミ拾いゾンビは、何かをぽとっと落としていった。

 あのゾンビは何でも拾っては落としていくから、何か落としたこと自体は不思議じゃないけど。

 地面に落とされたものは、スマホだった。


 俺は地面に落とされたスマホを拾った。

 スマホは耐衝撃に強そうなタイプのケースに入っていた。

 ケースは損傷している。でも、スマホの電源は普通に入っている。

 ただし、ロックがかかっている。


「うーん。落ちてるスマホを持って行くのは泥棒だし、その辺のゾンビのスマホをもらってもしかたがないけど……」


 俺はもう一度、ゴミ拾いゾンビの様子を観察した。

 ゴミ拾いゾンビはゆっくりのろのろ歩き続けている。

 行動範囲は、昨日見た時も今日見た時も、ほぼ同じだ。

 けっこう狭い範囲をひたすらぐるぐる歩き回っている。

 その範囲内には、当然、ビニールひもが落ちていたあの窓の下も含まれる。


(ひょっとしたら、このスマホ……)


 俺はとりあえずスマホをポケットにいれた。


 駐車場に行こうと向きを変えて、そして、俺はまた異変に気が付いた。


「あれ? 変なものがある」


 向こうの建物の入り口に、変な銀色の大きな長方形の物体があった。

 図書館から工学部棟に向かう時は目に入らない場所だから、来たときは気が付かなかった。

 でも、工学部から出ていく時は自然に目に入る位置にある。


(あんなの、昨日はあったかな?)


 幅の広い大きなロッカーを横倒しにしたみたいな箱だ。

 俺は巨大な箱に近づいていった。

 すると、箱の横から突然、ひょこっとゾンビが顔を出した。


「うわっ! びっくりした!」


 叫ぶ俺を見て、ゾンビはニヤッと満足そうに笑って、また箱の中にひっこんだ。


 びっくりしたー。

 ゾンビのびっくり箱かよ。

 誰がこんなもの設置したんだ?


(ま、いいや。ゾンビと遊んでないで早く車を取ってこよう)


 そう思ってゾンビックリ箱から顔をあげた俺は、もう一度叫んでしまった。


「うわっ! こわっ!」


 目の前のガラスのドアのところに、ものすごい形相のゾンビがべったりと張り付いていた。

 女子学生ゾンビだけど、髪を振り乱し、目を見開き、歯茎をむき出しにして、「うーうーうーうーうー」と唸りながら両手と顔をガラスに押し付けている。

 なんとなく、「うーらーめーしーやー」と言ってる気がする。そうじゃなくても、すごく恨みがありそうだ。

 でも、俺に対しては無反応で、ただひたすら、すごい形相のままガラスに張り付いている。


(なにここ? ゾンビのお化け屋敷?)

 

 なにはともあれ、俺は西浦先生に教えてもらった駐車場に向かって歩いて行った。


 駐車場は工学部棟からけっこう離れていた。

 たぶん500メートル以上は離れていた。

 でも、西浦先生が丁寧に地図を描いてくれていたので、迷うことなく到着できた。


 俺はだだっ広い駐車場で西浦先生の車を探した。

 教えてもらった車の特徴は、最大5人乗れる普通サイズの平凡な白い自動車だ。

 いくらでもありそうな車だけど。

 駐車場にはほとんど車がとまっていない。それっぽい車は1台だけだ。


 西浦先生の車のキーは、持っていれば自動的にドアを開錠できるタイプだった。

 俺はドアを開けて車に乗りこみ、シートベルトを装着した。

 車を運転するのは初めてだから、なんだかちょっとワクワクする。

 俺はエンジンスイッチっぽいボタンを押した。


 だけど、何も起こらなかった。


(そういえば、発車の仕方を知らないぞ)


 俺はスマホをとりだし、車の運転の仕方を検索した。……ネットが使える状態でよかった。


 えーっと。エンジンをかけるには、ブレーキペダルを踏みながら、ボタンを押すっと。

 ブレーキペダルってどれだ?


 足元にはペダルがふたつある。

 俺は、順番に、踏みながらボタンを押していった。


(よし。エンジンがかかったぞ)


 俺はスマホで説明を見ながら、左側のレバーをDに動かした。

 ブレーキペダルから足を離すと、車はゆっくりと前進をはじめた。


(よし。無事に発車できた。で、この後、どうすんだろ。もう一個のペダルを踏むのかな?)


 俺は右側のペダルを踏んでみた。

 とたんに、車が急発進して、向かい側の車にぶつかりそうになって、俺は慌てて、ハンドルを右にまわした。

 車は何とか右に曲がったけど、今度はすぐ目の前に別の車が迫っていた。

 慌ててブレーキペダルを踏もうと思った俺は、もう一度アクセルペダルを踏んでいた。


(ぶつかるー!)


 車内に警報音が鳴り響き、衝突寸前、車はとまった。

 西浦先生の車は、ペダルを踏み間違えがちな高齢者も安全な、勝手に停止する衝突防止装置付きのセーフティ・サポートカーだったようだ。


(ふぅー。よかった、よかった)


 これなら、俺がどんな運転をしても大丈夫そうだ。

 安心した俺は堂々と運転し、何度か歩道に乗り上げ、何度も安全運転サポートシステムに停止させられた。

 建物に衝突しかけたこともあったけど、それより、ゾンビが道路の真ん中に座ってたり、ぼーっと立ってたりするもんだから、そのたびにシステムが作動して停車するのだ。……まぁ、ゾンビも生きている人間に違いはないし、サポートがなかったら俺は間違いなく何人か轢いていたから、よかったんだけど。 

 警報音を聞きすぎて耳が痛くなった。


 数十分後。

 俺はようやく工学部前にたどり着いた。

 俺は車から降りて、建物の中に入った。

 エレベーターで4階に上がると、すでに工学部の人達はバリケードのところに集まっていた。

 俺が到着するなり、ザワチンさんがかすれた声で言った。

 

「あんまり遅いから、どこかに衝突してるんじゃないかと思って心配したよ」


 俺は安心させようと思って言った。


「大丈夫です。何をやっても衝突はしませんでした。サポカーってすごいですね」


「君は一体何をやってたの!?」


 ザワチンさんの裏返った叫び声が響いていたけど、俺は気にせず言った。


「車は入り口前にとめてあります。ちょっとバリケードを延長しないといけないんですけど、ここにある物を使っていいですか?」


 西浦先生は軽く頭を下げた。


「お願いします。使ってください」


「それと、運転してみて気が付いたんですけど、サポートカーはゾンビに近づくと止まっちゃうんですけど、大丈夫ですか?」


 俺は外に出てゾンビを押し退ければいいだけだけど。西浦先生達はそういうわけにはいかないはずだ。


「大丈夫です。手動で解除できますから」


「そうなんですか。じゃ、俺は車までバリケードを延長するから、出発の準備をしておいてください」


 エレベーターでバリケードの材料を運んで、俺はすぐにバリケードの延長を終えた。

 バリケードの下とか変なところにゾンビがいないことをもう一度確認してから、俺は4階に戻った。


 俺は工学部の西浦先生に言った。


「準備はできました。でも、皆さんが降りて行ったらゾンビが集まってくるから、すぐに乗りこんでください。あと、大丈夫だとは思うけど、俺が汚染されたものを触った手袋であちこち触れているので、接触感染に気を付けてください。できたら手袋をしてください」


 西浦先生はうなずいた。

 西浦先生はすでに手袋をしている。


「わかりました。一点、確認したいのですが、門は開いていましたか?」


「正門はしまってるけど、駐車場の近くの裏門は開いてました。駐車場の方に向かってください」


「わかりました。それじゃ、皆さん、行きましょう」


 ところが、そこで、カラが言った。


「あたしは行かない。みんな、バイバイ」


 工学部の人達が口々に聞き返した。


「大鳥さん?」

「カラちゃん?」


 

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