12 親友
しばらくして、涙をふくと彩はそっと5階へ戻った。
静かに階段を上り、気が付いた時には彩はカラの部屋の前にいた。
彩は金属のドアをノックして呼びかけた。
「カラちゃん?」
カラは部屋の中で誰かと通話中のようだった。
中の様子は見えない。でも、ドアの前に立つとかすかに声が聞こえていた。
カラはすぐにドアを開けた。
「アヤヤン、どうしたの?」
カラは廊下の様子を確認しながら、そうたずねた。
「怖いから、一緒にいていい?」
カラは彩を部屋に招き入れた。
「うん。入って入って。今日は死体を見ちゃったもんね。しかも、死体があるのって、あたし達の部屋のすぐ近くだもん」
「……うん」
ちょうど彩の部屋とカラの部屋の間に桜の木がある。そして、立花の死体が。
「あたしは幽霊とか信じないからいいけど。アヤヤン、反対側の部屋と交換してもらったら?」
彩は首を横に振った。
「ううん。悪いからいいよ」
誰も今日は桜の木の傍の部屋に泊まりたくないだろう。
それに、桜の木から離れても、どうせ彩の脳裏には立花の姿が浮かび続ける。
焦りと絶望と怒りのこもった目。
おかしな角度にぐらりと曲がった首。
だらりと力なく曲がる重たい手足。
あの光景と感触が消えることはない。
それに、彩が恐れるべきなのは、死人よりも生きている人間かもしれない。
椅子に座って、しばらく沈黙が続いた後、カラはつぶやいた。
「あー。もう。おなかすいたねー。結局夕飯なしじゃん。水だけじゃん」
「そうだね」
彩はそう相槌を打ったが、食欲は全くなかった。
もしも今、眼前に素晴らしいごちそうが並んでいても、何も食べられそうにない。
「食堂もカフェも、すぐそこにあるのにねー。ゾンビがいなければ、すぐに食べにいけるのに。あーあ。フルーツパフェが食べたいなー……」
カラは手足をのばして、子どものようにバタバタした。
いつもと同じ調子のカラを見て、彩の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。
彩の口は自動的にいつもの調子で動いていた。
「避難したら、食べに行こうよ」
異常な精神状態の中で普通に話す自分を見ているのは不思議な気分だった。
一方、カラは完全にいつも通りの調子で言った。
「うん、もう全力で頼もー。フルーツパフェもフルーツサンドも。フルーツパフェタワー作っちゃうもんね。お金とか、全然、惜しくないもん。お札とか、ここじゃただの紙切れじゃん。なんにも使えない。もーう。今までケチケチしてて損したー」
「カラちゃん、前からあまり、ケチケチしてなかったけどね」
「そだっけ?」
「うん。ほら、東京に旅行に行った時なんて、たくさん買い物しちゃって、持ち帰れないから宅配便頼んで」
言いながら、大量の荷物を持ち歩いているカラの姿を思い出して、彩はすこし笑ってしまった。
こんな時に笑っている自分にとまどいながら。
カラは力強く言った。
「だって、原宿だよ? 渋谷だよ? ギャルの聖地だよ? 買うっきゃないじゃん。買わなきゃ損じゃん」
「そうだね」
カラはアメリカにいた時に日本のギャル文化を知って好きになったらしい。
海外目線のギャル文化だったせいか、ちょっとだけでなく今の流行とずれているけど。
彩がカラと仲良くなったのは、約2年前の留学生歓迎会だった。
その時からカラは異彩を放つギャルファッションで、もう誰も使わないギャル語をちりばめた日本語を流暢に話していた。
でも、留学生にはゴスロリファッションの人もコスプレっぽい人もいたし、アニメで変な日本語をおぼえた人もいた。だから、ギャルファッションの死語使いが一人まざっていても、そんなにおかしくはなかった。
ギャルと無縁の地味な彩は、以前一度、なんでギャル文化が好きなのかカラに聞いてみたことがある。
カラは「だって、ギャルって、女の子をガチにエンジョイしてるじゃん? バリ楽しんでるじゃん? だからずっと憧れてたんだー。やっぱ女の子に生まれたからには、ガチで女の子を楽しまなきゃ」と言っていた。
彩は別に好きで女の子に生まれたわけでもなく、女の子を楽しみたいとも思わない。だから、「ふーん」と聞き流した。留学生には妙な角度で日本文化に興味をもつ人もいるから、そんなものかと思っていた。
でも、後で、カラがただ女の子として生きるために時には犠牲を払わなければいけないことを知って、彩の見方は変わった。
わたしも全力で毎日を楽しもう。
カラと一緒にいて、彩はそう思えるようになった。
趣味じゃないから、ギャルファッションには染まらなかったけど。
カラは残念そうに言った。
「でも、きっと今は原宿も渋谷も、どちゃくそゾンビまみれなんだろなー。行ける時に旅行行っといてよかったね」
「うん。そうだね。今はもう旅行なんてできないもんね」
今は県をまたいだ不要不急の移動は禁止されている。
それに、渋谷も原宿も、すでに立ち入り禁止の隔離地区に設定されている。
隔離地区内の街の様子はわからない。だけど、ゾンビで溢れているのは間違いない。
「でもさ、あたし達って、ラッキーだったよね。あたし達は、パンデミック始まる前にキャンパスライフおくれたじゃん? ちゃんと街に出かけられたじゃん? おいしいものいっぱい食べて、洋服いっぱい買って、超楽しかったもん」
この、普通は絶望する状態でもポジティブな発想をできるカラに感心しながら、彩はうなずいた。
「うん。そうかもね」
「でも、あたしは、まだまだ、あきらめないけどねー。もっと、エンジョイするよ。アヤヤン、避難したら、フルパ祭りだからね。フルーツパフェタワー作るから」
パフェをタワーにしたら、どうやっても容器の上に出てるクリームやフルーツが崩れ落ちてしまうのでは、と想像しないではいられなかった。でも、彩はうなずいた。
「うん」
ちょっとした沈黙が流れ、やがて、彩は言った。
「カラちゃん……。あのね。以前、お兄ちゃんの話をしたこと覚えてる?」
「うん。ずっと意識がないまま入院しているんだよね?」
彩は入院している兄のことはカラに話していた。でも、なぜそうなったのかは、話していなかった。
「うん……」
彩が数秒沈黙していると、カラはたずねた。
「病院の様子はどう?」
「わからない。でも、感染拡大地域にあるから、機能していないと思う。たぶん、お兄ちゃんはもう死んでるか、じきに死んじゃうと思う。看護してくれる人がいないと、延命はできないから」
6年以上、兄は死んだも同然の状態だった。それでも、生き続けていた。
いつか目覚めるかもしれないという希望があった。
今は、もうない。
カラは無言で彩の手を握った。
「あのね、カラちゃん……。ううん。なんでもない」
彩は言いかけて、やめた。
「私、やっぱり部屋に帰るね」
立ち上がる彩に、カラは言った。
「だいじょうぶ? いつまででも一緒にいるよ?」
「だいじょうぶ。そんなにカラちゃんに迷惑かけられないよ」
「そんな水くさいこと言わないでよ。あたし達、超マブダチじゃん」
カラなら、そう言うと思っていた。
カラなら、きっと何があっても助けてくれる。
でも、彩は首を左右に振った。
「ありがと。カラちゃんのおかげで、ずっと毎日楽しかった。カラちゃんと友達になれて本当によかった。でも、今はバイバイ。また明日。おやすみ」
彩はドアを開けた。
カラは笑顔で手を振った。
「おやすみー。あたしもアヤヤンと会えてよかったよ。BFF」
彩はひとりで自分の部屋に戻った。
カラを巻き込むわけにはいかない。
これ以上、誰かを巻きこむわけにはいかない。
部屋に戻って一人になると、「やられる前にやる」といった木村の言葉がこだまのように何度も頭の中に響いた。
木村が彩にたどり着くのは、たぶん、難しくない。
来訪者がやってきたあの時、彩にはアリバイがない。
彩は窓から暗い外を見た。
ここから、立花の死体は見えない。
今は暗闇がひろがっている。
でも、もしも今が昼間でも、葉の茂った桜の木は全てを覆い隠しているはずだ。
暗がりに佇みながら、彩はまるで桜の木が自分を守ってくれているように感じた。




