ひとひらの かけら-1
ぱきん……と小さな音を立ててアレキサンドライトの指輪が砕けた。
「……っ。」
待って。
まだ、全然ラフター様の傷が塞がっていない。
彼は目の前で短く浅い呼吸を繰り返している。
血が、止まらない。
なのに、真っ青になる私を見て安心させるように優しく微笑むラフター様。
「君が崖から落ちた時、大量の魔力を使って、もう残りが無かったんだろう。……すまない、君のお母さんの大事な形見なのに……僕のせいで残った僅かな魔力を……。」
そんな事どうでもいい。
大事じゃないとは言わないけれど、それでも貴方の命に比べれば……。
紫水晶も無い、いつ助けが来るとも分からない。
こんな重傷でこれ以上防御壁を張らせる訳にいかないのに、媒体石がなくては私は何も出来ない。
「ウィステリア!出てこい!!」
ミゲル様は、ラフター様の張る防護壁を魔法で何とか壊そうとしている。
「エルナ……これを。」
ラフター様が私の手に何かを握らせた。
手の中を見ると、一瞬時間が止まったようだった。
「……なぜ。これを……?」
あの時ゴミ箱に捨てて砕けた紫水晶だ。
一つだけ、欠けずに残った花びらは何を示すのか。
未練か。
残った愛か。
それとも、愛してほしいというひとひらの希望か。
それをなぜ彼が持ち歩いているのか。
「エルナ、大丈夫だ。一つだけ砕けていない紫水晶があるから、これを……使って。アレクが来るまで防御壁を張るんだ……。大丈夫。騎士団と来るよう……伝えている。」
彼の指先がだんだんと冷たくなっていく。
「防御壁より、これでラフター様の傷を……。」
「ダメだ、絶対ダメだ。こんなに深い傷に癒し魔法なんて使ったら、君の命が危ない……。僕は……守りたくて来たんだ。」
力の入らない手で私の手を握る。
血の気の引いた手が、心を恐怖で支配していく。
――――――彼を失う。
「愛してるよ。エルナ。……愛してるなんて言葉では言い表せないほど……。君を傷つけて……そんな資格はないけれど。それでも……どうしようもないほど、愛してる。だから……最期ぐらい守らせて欲しい。」
溢れる涙が止められない。
もういいの。
なぜあんなにも頑なだったのか。
自分の心を守るために壁を作り上げた。
頑固な自分の愚かさに後悔しても遅い。
こんなことになる前にもっと出来たことがあるはずだ。
彼から欲しいのは命をかけた愛の証明ではない。
二人の未来を歩む時間だ。
繋いだ手を引き寄せ彼の結婚指輪にキスを落とす。
「…………愛する人に愛してもらえるってこんなに幸せなのね。」
彼と私の手の中にある媒体石に魔力を込める。
指の隙間から仄かに光が溢れ出る。
途端、激しく持っていかれる魔力も。
うるさくなる心臓も。
大きくなる脈も。
薄くなる呼吸も。
彼を失う恐怖に比べれば、苦しくない。
――――――私にも守りたいものがある。
――――エルナが僕の結婚指輪にキスした瞬間。
信じられない幸福感が心を満たした。
突如、二人の手の中にある紫水晶のネックレスが仄かに光り、体の痛みも、苦しさも消えた瞬間、―――その幸福感は恐怖へと落ちていく。
真っ青になり、呼吸を乱す彼女が何をしたのか明白だ。
「エルナ!!やめてくれ!!自分の為だけに魔法を使ってくれ。」
また君を守れないまま、失うのか。
僕だけ取り残されるのか。
僕のためなんかに癒し魔法を使って欲しくない。
「ラフター……様。ごめんなさい……。私も、貴方を傷つけた……。何も言わないことで、貴方を傷つけた。」
完全に傷が塞がるも、恐怖は増していく一方だ。
不安がザワリと足元から這い上がり、混乱が心を制していく。
手も、足も震える。
涙が止まらない。
「何を……言って。」
浅い呼吸で彼女はゆっくりと話し始めた。
「あの結婚式の次の日の朝、……愛されていないと知った時。本当のことを知って傷つけばいいと思った。どうせいつかは分かることだから。……本当のことが分かって、結婚を解消したとしても、…………愛されなくても、貴方の心に大きく何かを残したかった。プライドを砕いてしまえばいいと。後悔すればいいと。……間違っていたと……。だって、実際……傷ついたでしょう?」
あの日の朝、彼女に投げつけた言葉は、どれだけ彼女を傷つけたか。
「君にはその権利がある。僕をやり込める権利があって当然だ。それに、そんなの、傷つけられたうちに入らない……。」
彼女が謝ることなんて何一つない。
エルナは瞳いっぱい涙を溜め、それでも優しく微笑む。
「……ごめんなさい……。結局、また貴方を傷つけることになって。」
「君を失いたくない。エルナ、置いていかないでくれ。エルナ……エルナ。」
彼女を抱きしめる腕に力が籠る。
だんだんと彼女の体から力がなくなっていくのが分かる。
そんな風に微笑まないでくれ。
この先、どうやって生きていけばいいんだ。
2度も君を失って――――――。
「――愛してくれてありがとう。」
そう言って、彼女が透き通る紫の瞳を瞼が隠した。
その時、アレクと騎士団が洞窟に流れ込んできた。
「ラフター!エルナ!無事か!!!」
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