狂気ー1
外の風が吸いたいと言ってテラスに出ると、むせ返るような見事な庭の花の香りがした。
家族は近くにいるからと気づかってくれた。
テラスから空を見上げると吸い込まれそうな夜空にはキラキラと星が瞬いている。
それを見て思うのはやっぱりラフター様の瞳だ。
「どこにでも着いてくるのね……。」
目を開ければ彼と同じ瞳の空。
目を閉じれば自分の部屋と同じ花達の香り。
彼から離れたいと思うのに、いざそれを感じ取ると心が軋む。
本来ならアレクお兄様のことがなければ彼に会うこともなく、ひっそりと父に会い、花屋を続けていたはずだ。
私の事が無ければ、彼は彼に相応しい身分の、相応しい容姿の女性と結婚していただろう。
どうにも出来ない自分の感情が溢れ、制御しきれない涙が溢れた。
「ウィステリア?」
後ろから思いがけない声が聞こえ、振り向くとミゲル様がいた。
「……あぁ、やっぱりウィステリアだ。どうしたの?泣いてるの?」
「ミゲル様……。貴方も来ていたのね。」
「うん、君に会えるかもと思って……。……どうして泣いてるの……?」
彼は相変わらず優しい。心配そうに覗き込んで、ハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう……。ちょっと……気持ちの整理がつかなくて……。」
「……庭に出てみる?綺麗な花がたくさん咲いていたよ。」
その時サリバン様がキョロキョロとダンスホールを歩いているのが視界に入った。
私を探している訳ではないかもしれないが、会いたくはない。
「そうね、貴方に話したいこともあったし……。ちょっと外に出ましょうか。」
そのまま彼は給仕から飲み物を二つ取って来て、庭のベンチまで連れていってくれた。
足元には所々小さな灯りが灯され、綺麗な花が幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「綺麗なイヤリングだね、藤の花がウィステリアにぴったりだよ。」
腰掛けて飲み物を渡してくれた彼が、以前と変わらない笑顔で褒めてくれた。
飲み物を一口飲むと、ホッと一息つけた。
「母の形見なの。……実は記憶が戻って……。私の媒体石は紫水晶だったわ。貴方が色々と探してくれたのは高位貴族が使う高級な石ばかりだったから気づかなかったみたい。あの頃は色々と助けてくれてありがとう。本当に感謝しているわ。」
すると彼は自分のことのように満面の笑みで喜んでくれた。
「よかった。あのまま媒体石が分からなかったら……と思っていたけど。そうか、本当によかったね。」
その笑顔でホッとする。
「で、どうして泣いていたの?君は今幸せなんだと思っていたけど……。」
「……幸せよ。お父様も家族みんな私によくしてくれる。でも……。記憶を失う前にラフター様と色々あって、うまく自分の気持ちに付いていけないの……。」
離れたいのに、いざ他の女性と去っていく彼を見るのが辛い。
本当は分かっている。
彼が好きだ。
でもあの時の言葉が頭から離れない。
あの投げつけられた言葉を許したくない。
許したら負けな気がする。
自分に負けな気がする。
意地を張り続けているのも分かっている。
でも彼は義務感だけで私を妻にしておこうと思っているんじゃないかという考えが頭からこびりついて離れない。
私を傷つけたから。
私の初めての相手だったから。
本当は公爵家の娘だったから。
私の愛を踏み躙ったから。
私を騙したから。
彼を縛るものはなんだろう。
彼とこのまま婚姻関係を続けても彼はいつか本当に愛する人のところに行くかもしれない。
サリーナ皇女との話も……。彼女に婚約者が今いないなら、ラフター様は……。
「ウィステリア?」
黙ったままの私を心配したのかミゲル様が声をかけた。
思わず顔を上げた瞬間視界がぐにゃりと歪んだ。
「……え?」
体もバランスを崩し、ミゲル様が体を支えたのが分かる。
「あぁ、やっと効いてきた?バレないように少ししか飲み物に混ぜなかったから効きが遅かったかな?」
そのまま彼に抱き抱えられるが、抵抗しようにも体がいうことを聞かない。
だんだんと瞼も重くなってくる。
王城とは反対の庭の奥へと連れて行かれるのが分かる。
意識を保つのが限界になり瞼を閉じる瞬間、遠くからシャーロットの私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
なんだかいつもこのパターンねと思いながら、完全に意識が落ちた。
「ラフター!!!」
ドアの向こうからアレクの切羽詰まった声が聞こえた。
サリーナ皇女に許可を取り、ドアを開けると真っ青になったアレクが血の気のひく内容を耳打ちした。
「エルナが……???」
「どうかしました?公爵。急ぎであればわたくしのことはお気になさらず行ってらして。伝えたいことはもうお伝えしましたから。」
そうゆっくりと微笑む皇女は気品ある仕草で退出を促してくれた。
「感謝いたします。」
「ふふ、貴方のそんな必死な顔が見られるなんて、ここまで来た甲斐があったわね。」
そう微笑む彼女に礼をして部屋を出た。
「ラフター、シャーロットがテラスにいたはずのエルナがいないと行って庭を探していたんだ。その時遠目にぐったりしたエルナがソチアル伯爵家の次男に抱えられて連れて行かれるのを見たそうだ。すぐに捜索を開始しているが、まだ行方が掴めない……。」
廊下を走りながらアレクが報告をしてくれる。
あの男……。
あのエルナを見る目も、気に入らなかった。
彼を安心しきったように見るエルナの目も。
あの後、徹底的にソチアル伯爵家について調べた。
今後彼女に近づけさせないためにも対策をしようと。
彼女に触れることは許さない。
彼女の髪の毛一本あの男には渡さない。
どす黒く渦巻く怒りと独占欲が視界を真っ赤に染める。
「あの男が向かう心当たりはあるから、先に行く。お前は騎士団を引き連れて後から来い。それから、以前言っていた――――――。」
そう告げると、アレクは一瞬目を見開き、頷いた。




