罠に落ちたのはどちらかー2
「エルナ!」
支配人は慌ててタオルを従業員に持ってくるよう指示を出した。
「まぁ、ごめんなさい。まだコントロールが難しくて。魔法が使えない平民のあなたには理解できないかもしれないけど。」
わざとらしく謝るカナリアは、白いワンピースが体に張り付き、下着の色が透けて分かるほど濡れているのを見て、「大変だわ。そんな状態じゃお食事はできないわね。」と大袈裟に言った。
先ほどからのやり取りで来店客の視線が集まっている上、目の前にいた伯爵は「ほう。」と言って不躾な視線をエルナに向ける。
「カナリア嬢!」
ビクッとする彼女を睨みつけ、ジャケットをエルナにかけようとすると、そのジャケットを左手で押し戻された。
そしてこちらを見てにっこり微笑んだ。
「大丈夫です。ラフター様。子供の失敗にそんな目くじらを立てるものではありませんよ。」
「なんですって!?」
顔を真っ赤にしてカナリアが詰め寄るが、エルナはにっこり笑って、
「まだコントロールが難しいんですものね。」
と、微笑んで一歩カナリアに近づいた。
それと同時にその場にいた全員が息を呑む。
風魔法と水魔法の同時発動だ。カナリアに掛けられた水がゆっくりとエルナの手元に集まって行く。
濡れていたはずの銀の髪はふわりと広がり、本当に月の光の様だと幻想を抱かせる。
服もあんなに濡れていたのが嘘のように完全に乾いている。
手元に集まった人の顔程度の大きさのそれを持ってカナリアに一歩ずつ近づいた。
「手を出していただけますか?」
「あ……あなた。……へ、平民のくせに。」
真っ青になるカナリアはエルナの歩調に合わせて壁まで後ずさる。
水を出す魔法は簡単だが、それを空中で維持するのは高度な魔力操作が要求される。
「手を、出して、いただけ、ますか。」
笑顔でも断らせない圧がある。
呆然としたまま両手を差し出すカナリアの手に水球を乗せる。
「ほら、集中して下さい。また水が弾けますよ。そう、上手ですね。たくさん練習すれば上手くなりますよ。大丈夫。お父様もきっと上手にサポートしてくださいますから。」
小さな子供をあやす様に優しく声をかける。
それから彼女はタオルを持ってきたウェイターに、念のためタナー伯爵令嬢にと言って戻ってきた。
「行きましょう。」
そう言って彼女はカナリアから離れ、支配人に案内を促す。
背後から聞こえた大きな水音と親子の悲鳴は無視をして。
「魔法が使えるんだな。」
それなりに彼女に近づけていたと思ったのに、話してもらえなかったことになぜか苛立ちを覚える。報告書にもそんなことは書いていなかった。
案内された個室の席でメニューを見ていた彼女が視線を上げ、パチクリとこちらを見た。
「使えますよ。たまに平民でも使える人もいるし、わざわざ吹聴することでもないじゃないですか。」
何でもない事のように言う彼女の態度がさらに苛立ちを募らせる。
「でも、魔法が使えれば貴族との結婚だって可能だろう。魔力を後世に残すことを重視する貴族は強い魔力を求めるし、君ほど上手く扱えればそういった話が出てきても不思議ではない。その方が将来が開けると思うが。」
このモヤモヤした胸のつっかえは、アレクの第二夫人にでもなれる可能性があるからこそ排除しなければと自分に言い聞かせる。
どす黒い澱が溜まっていくのがわかるが、それを取り除くことが出来ない。その雰囲気を感じ取ったのか、彼女が申し訳なさそうに口を開く。
「……怒ってます?カナリア嬢に恥をかかせた事……。」
「は?」
思わぬ言葉に今度はこちらが目を見開く番だ。
彼女は視線を逸らし、メニューに視線を戻すが、本当にメニューを見ているようではない。
「だって、貴族の方に失礼なことをした訳ですし。社交界ではお付き合いは大事でしょうし……。つまり、ラフター様のお名前に泥を塗ったわけで……。」
言いながらメニューで顔を隠し始め、だんだん言葉が尻すぼみになっていく。
なんだこの可愛い生きも……違う。これが彼女のテクニックだ。
いや、……本当にテクニックか?
じっと彼女を見つめ、ため息をついた。考えるのは止めよう。
「スカイロッド家はあんな小物が汚せるものではないよ。むしろ鬱陶しいと思っていたからスッキリした。」
そう言うと、彼女は安心するように微笑んだ。
(彼女の下着の色と体の線を公衆の面前で見せつけたタナー伯爵家には、それなりの代償を払ってもらわないとな。取引先に圧力をかけるか、伯爵領から入って来る物に関税を上げるか……)
そう考えた理由が何なのかを深く考えることはせず、彼女との食事を楽しんだ。
デザートが出てきたところで、話を魔法の話へと戻した。
「エルナは魔法の媒体石は何を使ってる?」
そう聞くとキョトンとした顔をした。
「媒体石?」
「知らないのか?」
魔法が使える貴族では当たり前の常識を知らない事に愕然とする。
アレクから媒体石をもらっていてもおかしくないと思ったが。
媒体石について説明すると、
「うちの母も少し魔法が使えましたが、石なんて使って無かったと思いますよ。竈門に種火をつけるぐらいのものだったし……。魔法は私の方が結構上手に扱っていたと思いますし。」
うーんと考えながら話す彼女の話の内容にさらに驚く。
「母親も使えたのか。」
思わず食事の手が止まる。
「……うちの商店街の組合員にも親戚で使える人がいるって言ってましたし。いるんじゃないですか?それなりに。」
大したことでも無いかのように彼女は言う。
「母が言ってました。お金も、魔法も、平民にはある程度が丁度良いんだって。ありすぎると悪目立ちしてろくな事がないそうです。」
「でも、媒体石は持っておいた方が何かあった時のためには役に立つと思う。」
「でもさっきの説明だとダイヤとかサファイヤとか。そんな高価なもの買えませんし、今のままで十分便利なのでいらないですかね。」
本当に必要無いように言うので、二の句が告げなかった。しばらく考えて、内ポケットに入れておいた小さな宝石箱を取り出した。
「本当は今日のお礼にと思って用意したんだが……。」
そう言って、蓋を開けて彼女にみせた。
中に収めていたのは、彼女の瞳と同じ色で作らせた小さな紫水晶とダイヤを使い、花を模したネックレスだ。
自分の媒体石がダイヤであることは言わなかったが、紫水晶と並ぶように置かれた小さなダイヤは特注で、ジュエリー界では有名な職人に作らせたものだ。今まで他の女性に贈ったものに比べれば特に高級品というわけでは無いが、この石を見た時もう決めていた。
彼女に似合うのはギラギラと光る大きな石ではなく、彼女の美しさを引き立てる小さな輝きだ。
今日のお礼にと言えば喜んで受け取ると思ったのに彼女は不思議そうな顔をした。
「いや、受け取れませんよ??」
紫水晶自体は品質が良くてもそんなに高級なものでは無いが、ダイヤは一級品を使っている。
やはりもっと高級品の方が気に入ったかなと思う。
「君の瞳の色を思いながら近い色を選んだんだ。是非受け取ってほしい……。」
「こんな高級なもの本当に頂けません。」
彼女は本当に困った顔をした。
先ほどからずっと演技をしているのなら、彼女に勝る女優などいない。
彼女は頑なだ。
「……じゃあ、僕が付けよう。これは君に合わせて作ったから、君以外に渡せないし。」
そう言って自分の首元にネックレスを付けた。女性用だから、チェーンが短い様で、僕の首に少し食い込むように着いた。
彼女はあんぐりして、それから吹き出した。
「実はダイヤモンドは僕の媒体石なんだが……こうしていると、君がずっとそばにいるみたいだ。」
と揶揄うようにネックレスを触りながら言うと、ボンっと顔を真っ赤にして俯きながら手を出してきた。
「……ネックレスください。」
初心な反応も上手いもんだと思いながら、後ろのホックを外して席を立ち、彼女の首に着け……ようとするとサッと避けられた。
「は、箱で下さい!箱で!!」
両手で首を守る様に真っ赤になりながら椅子ごと逃げた彼女は可愛いかった。
貴族の令嬢なら黙って微笑み着けられているだろう。
「もう、貴族の人の冗談って理解できない……。」
とブツブツ言いながらネックレスを着けている。
この新鮮な反応がアレクを惹きつけたのかもしれない。
彼女のほっそりした首元に、華奢な作りではあるが繊細な細工を施したネックレスは彼女の美しさをさらに引き立てた。
ダイアモンドの隣に佇む紫水晶……それを身につける彼女を見ると何とも言えない満足感が体を満たした。
「ありがとうございます。凄く綺麗です。……でも媒体石にするかはもう少し考えます。」
視線を合わせず、ボソボソと最後の抵抗をする彼女に笑ってしまった。