公爵は愛を乞うー2
「――――――全てを、元に戻しましょう。ラフター様。」
雨の音が聴こえる。
全てを無かったことにしたくて、……言葉にしたのに。
声が震える……。
「……全てを……?」
彼から絞り出すように吐かれた言葉の思いを私は分からない。
「えぇ、全てをです。……結婚の取り消しでも、離婚でも。そして私は当初の目的であった父に会いに行こうと思います。それで全て終わりにしましょう。」
そうして、元の生活に戻るのだ。
お店もどこかに探そう。
彼との思い出のない土地で。
「私は、あるべき私に戻ります。」
「待ってちょうだい、エルナ。」
シャーロットが私の手を取った。
「今はまだ記憶が戻って色々混乱していると思うの。少し時間を置きましょう。お義父様に会う手筈はアレクが整えるから、……お願いよ。エルナ。……せめて、お腹の子にも会って欲しいわ……。」
シャーロットにそう言われると、すぐに否とは言えない。
アレク様も私とシャーロットの手の上に自分の手を重ねる。
「エルナ、僕からもお願いするよ。少しでいいから家族として過ごす時間もくれないか……。」
「でも、アレク様。前公爵夫人がいらっしゃるのに、家族としては……。」
「大丈夫。母は君のことを知っているし、転落事故の事を知ってショックを受けていたよ。父の裏切りではなく、君の事故に心を痛めていた。母は詳しく話してくれなかったが、君は産まれてすぐなくなったと思っていたから……会いたかったと泣いていたよ。君をここに連れてきてすぐ母に手紙を出したら、会える日を楽しみにしていると返事が来た。」
思いがけない言葉に目を見開く。
「大丈夫。何も恐れず父に会ってほしい。誰も君を拒んだりしない。みんな君を待っている。」
優しくアレク様に抱きしめられ、その体温に涙腺が緩んだ。
「……はっ……い…。………………はい。」
私は涙を流す事しかできなかった。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
エルナの言葉に頭が真っ白になった。
全てを元通りに?
出会う前に?
そうしたら彼女はどこに行くんだ?
彼女を自由にしてあげたいのに、そうしなければいけないと思うのに、言葉が出ない。
彼女はアレクの腕の中で泣いている。
「……アレク。彼女と二人きりにしてくれないか。」
エルナがアレクの腕の中でびくりと肩を揺らす。
彼女の瞳が縋るようにアレクを見上げる。
兄妹と分かっていても、そんな目を向けてほしくない。
「……。手荒なことはするなよ。」
「アレク様!!」
エルナが悲痛な声を出す。
「するわけないだろう。話をするだけだ。」
「……シャーロット、行こう。ラナ、ドアの前に立っていてくれ。」
随分信用がないもんだなと思いながらも、「ありがとう。」と礼をした。
出て行こうとしたタイミングでメイドが倒れた花瓶を片付けようとしたが、時間が惜しく、そのままでいいと言った。
パタンとドアが閉まる音がして、沈黙が広がる。
雨の音は少し小さくなり、外も少し明るくなった。
「エルナ。僕は……君との結婚を解消したくない。」
そう言うと、エルナは驚いたように目を見張った。
「……ラフター様。責任を感じることなんてありません。全てなかったことにして、自由になって下さい。……どうぞ、独身を楽しんでください。」
彼女は暗にあの日、僕が他の女性のところに行くと言ったことを指している。
あの日はすぐシャーロットのところに話をしに行った。叔母上と世間話をし、寝ている叔父上の顔を見て……。
夕方、アレクと入れ違いに逃げるように屋敷を出た。あとは結婚式の書類や手続きで……。
それでも他の女との関係を指摘され、胸がずくりと重く疼く。
「違うんだ、エルナ。他の女のところになんか行っていない。あの時はアレクに嫉妬していたんだ。アレクの媒体石であるその石に。君が、起きて……。幸せそうに……その指輪にキスを……。」
アレキサンドライトの指輪が目に入ると、あの時の嫉妬の気持ちが蘇る。彼女に裏切られたような気がして、そんな資格はないのに、そう感じた。
「……この指輪は母の物です。アレク様は関係ありませんよ?」
「分かってる。エルナ。君を愛してるんだ。許してくれなくてもいい。ただ、……ただ、そばにいて欲しい。」
あぁ、なんとみっともないことか。
それでもエルナに笑われてもいい。本当の気持ちを伝えて、ゼロから……、マイナスからでもいい。もう一度彼女との関係を作り直したい。
「チャンスを……。もう一度初めからやり直すチャンスをくれないか。」
彼は何を言っているの?
愛してる?
チャンス?
「…………無理です……。」
だって、もしまた傷ついたらどうしたらいいの?
彼は責任を感じて言っているだけなのか、本当に愛してくれているのかなんて私には分からない。
このまま彼の手を取れたら……。でも、物語の『幸せに暮らしましたとさ。』なんて、本当に話の中だけだ。
彼の愛を疑いながらこの先過ごしていくなんて出来ない。
「無理です。私には出来ません……。」
「エルナ、……お願いだ。」
「どうか、ラフター様の隣に相応しい女性を探してください。私では不釣り合いです。」
彼が他の女性と一緒にいられるのを笑って送り出すなんて出来ない。
「私も、私に合う方を探しますから……。どうか、もう……。」
こんな国の宝と称される人ではなく、もっと、慎ましく、平凡な幸せを過ごしたい。平凡が一番難しいけれど、彼と一緒では平凡なんて皆無だ。
彼には彼の。
私には私の。
それぞれに釣り合う人がいるはずだ。
「君に……合う男……?」
突然ラフター様の声が低くなり、部屋の気温が5度ぐらい下がったのではないかと思うほど寒気がする。
「……分かった。自由に……。君を自由にするよ。」
その言葉に足の先から冷たくなる。自分が望んだ事なのに……。
「ありが……。」
「そして、君の言う通り僕も自由にさせてもらうよ。結婚の解消でも離婚でも君の好きにしたらいい。でも、もう一度君に求婚するよ。」
「……はい?」
彼は片手をベッドに座っている私の腰の横に突き、顔を近づける。
黒い瞳は今にも獲物に飛び付かんとするような危険を孕んでいる。
ぞくり。と、足の先から頭のてっぺんまで何かが這い上がった。
「僕も自由にしていいんだろう?」
「わ、私は……父に会ったら平民の生活に戻るつもりです。働き者の、優しい男性と結婚して……それ……から。」
彼がじっと私を見つめる瞳に思考が停止し、言葉が続かなくなる。
「君が望むなら、僕も平民として生きて行くのもいい。君が働かなくてもいいというくらい稼いで、君を第一に優先すると誓うよ。」
平民として生きていく?いつぞやも聞いたセリフだ。乾いた笑いが思わず溢れる。
あの時のプロポーズと一緒だ。どれだけ私の心を抉るのか。
「もうその手は通用しませんよ。あの時の言葉は。それが出来ないことくらい分かっています。」
「さぁ、僕に出来ないことはないと思うけどね。」
片方の口角だけ上げて言い放った。
思わず固まってしまうと、突然、ラフター様の瞳が和らぐ。瞳には記憶にある星が煌めいている。
「エルナ。もう一度、君に愛を乞うよ。君が僕の気持ちを責任からではなく、君を好きだからと信じてもらえるまで。」
「い……一度失った信頼は……戻りません。」
声を振り絞る。
「分かっているよ。それでも、君を失った一年。もし君が生きていたらと……何度も願った。この奇跡を無駄にはしない。」
そう言って彼は私から離れ、床に落ちた花瓶と散らばったスイートピーを集めてドアに向かった。
「花はまた持ってくるよ。ゆっくりお休み。エルナ。」
そう優しい声で言われ、閉まるドアを呆然と見つめるしか出来なかった。




