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帰還ー2

庭に出ると、いい香りがする花が沢山植えられていた。

春の庭を咲き誇る花はどれも美しく、胸いっぱい香りを吸い込むと、幸せな気持ちになる。



「スイートピーに、クレマチス、アネモネ、ピンクに白のライラックまで。ここから見えるだけでもすごいわ。ここの庭の花を見ているだけで一日が終わってしまいそう。」


ライラックの香りを胸いっぱい吸い込み、深呼吸する。


「あ、あそこにいるのが庭師のトムです。」


麦わら帽に作業着を着た年配の男性が水やりをしていた。


「おはようございます。」


と声をかけると、改めてラナが紹介してくれた。みんなトム爺さんと呼んでいて公爵様が生まれる前から勤務しているそうだ。


「奥様初めまして。……あぁ。旦那様がなぜ紫や白を基調にした花を選ばれたのか分かりました。」


そう言いながらとても柔らかい瞳で私を見た。

何がわかったんだろうと疑問符が頭に浮かぶが、トム爺さんの足元に咲く薄紫の花を見てその疑問符も吹き飛ぶ。


「わぁ、ディサですか、その花。育てるのがとっても難しいのに……。珍しい品種ですね。」


そう言って花に近づくとトム爺さんはとても嬉しそうに説明してくれた。

改良に改良を重ね、腐葉土の配合を変え、色々と苦労してやっと咲いたのだと。


「いやぁ、奥様はとてもお詳しいですな。中々ご婦人でここまで話のできる方は少ないですぞ。」


そう言って一緒に土いじりをさせてもらった。

ラナは慌てていたけれど、私は他にも珍しい花を説明してもらいながら、雑草を抜いたり、間引きをしたりととても楽しかった。


「エルナ?」


後ろからバリトンの声が私を呼んだ。

振り返るとスカイロッド公爵様が立っていた。


「おはよう、早いな。」


「おはようございます。公爵様も早いですね。」


「……君は何を?」


「軍手をお借りして、お花の手入れをさせてもらっているんです。」


「なるほど、……。君らしいな。」


そう言って私の頬に手を伸ばす。


「土がついてる。」


ふっと微笑んだ公爵様の眩しさに眩暈がしそうだ。

背景の花咲き誇る庭は彼の添え物にしか見えない。


「こ、公爵様は何を?」


「君の部屋に飾る花を選ぼうと思って。」


さらっと言えるところが貴族だ。


「朝食までもう少し時間があるから少し一緒に庭を歩かないか。」


そう誘われて軍手とスコップをトム爺さんに返した。


彼は庭を案内してくれながら私の花の話にも耳を傾けてくれる。

そしてふと気づく。昨日はほとんど会話らしい会話をしていなかったことを。

花の名前は覚えているのに肝心なことの記憶がない。

私たちはどんな夫婦だったのか。

彼が、私を見つめる瞳の柔らかさの中にある戸惑いも。


分からないからこそ不安になる。


「あの……、私、本当に結婚していたんでしょうか。」


「え?」


彼はビクッとこちらを見た。


「さっきトムさんに『初めまして』って言われたんです。昨日ラナにも。私、ここに来るのが初めてってことですよね。結婚していたのに自分の領地に来た事がないってあるかなって……。」


そう言うと彼は、複雑そうな顔をしていた。


「結婚して、3日後。領地に向かう際に事故にあったから、君はここが初めてだよ。」


「そうですか。3日で……。」


なんとも短い結婚期間だ。

私は恋愛結婚だったのだろうか、それとも政略結婚だったのだろうか。

分からないけど、でも、私はきっとこの人のことが好きだったんじゃないかと思う。


「……どうかな?」


「えっ?」


今の話の流れで、どうかなって何が??

私心の声を口に出してた??


「どうかな?気に入った?ここの庭は……。」


「え、あ。ええ。庭ですよね!庭!もちろん素敵すぎて。朝から思わず飛び出しちゃいました!!」


落ち着け私!!


「それは良かった。君が喜んでくれたらと思って。トムに相談しながら作った甲斐があった。」


そう言って、ラフターが大事そうにアネモネに口付けるのを見て、なぜか胸がモヤモヤした。


だって、私は彼を知らない。


彼は私が花を好きだと知っているけれど、私は知らない。


彼の好きな物も、色も知らない。

どんな風に彼を呼んで、

どんな風に会話をして、

どんな風に……。


私の記憶は答えてはくれないのだ。


今彼が花に唇を落とし、目を閉じた瞼の裏にあるのは今の私では無い。

私の知らない私だ。


エルナ、貴方は愛されていたのね。

記憶のない私はウィステリアという名前の方がしっくりくる。


――その時、藤棚が目に入った。


「あ、藤棚まであるんですね!私、自分の名前も、覚えてなかったから、助けてくれたミゲル様が藤から名前を取って、『ウィステリア』って名前を付けてくれたんです。花言葉も素敵で……。」


そこまで言うと、


「エルナ、そろそろ朝食の時間だ。行こうか。」


と言って、私の話は終わった。


そう言った公爵様には、先程の花に唇を落とした柔らかな雰囲気などどこにも無かった。






――ウィステリア――

彼女の瞳の色と同じ花。

なぜ、彼女の口から他の男の名前を聞かないといけないのか。


「彼がつけてくれた名前で」


ミゲルというあの伯爵家の次男坊がエルナに執心しているのは見てすぐ分かった。


公爵夫人と分かった上で、シャーロットが指摘するまで厚かましくも「ウィステリア」と呼んでいた男だ。


――1年。


1年だ。

あの男がエルナと過ごした時間。

それに比べて、僕はエルナと出会ってから1ヶ月と少ししか無かった。


彼女があの男に向けた笑顔はどれほどあったのか。


あの男に――罪はない。


むしろエルナを助けてくれたことに感謝しなければならない。


彼女が他の男から贈られた服など着て欲しくなくて、服はあるからと全て置いてこさせた。


それでも、消化しきれないドス黒い嫉妬が渦を巻く。

これでは1年前の二の舞だ。

誰も悪くない。

自分が彼女を死に追いやったと言うのに、……。




そっと腕にふわりと柔らかいものが触れた。


ハッと振り向くとエルナが手を添えて、心配そうにこちらを見ている。


「あの、大丈夫ですか?……顔色があまりよろしくないようですけど……。」


「あ、いや。……あまりに空腹で、イライラしてたのかな……。」


彼女は目をまんまるくして少し固まった後、吹き出した。


「公爵様でもそんなことあるんですね。」



向けられる笑顔は曇りの無い笑顔だ。


でもいつかこの笑顔は消える。

瞳の色は憎しみと侮蔑の色に変わるだろう。



記憶を取り戻したら二度と見ることのない笑顔だ。

言わなければ、2人の間に何があったのか。



でも、もう少しだけ……もう少しだけ偽物の幸福に浸りたい。



あと少しだけ――

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