第7章:傷ついた心はⅡ
模擬戦闘までの時間は充分にあったが、ゼロはシェイルと共に機体の整備を早速始める。
訓練が終わる毎に欠かすことなく整備をしているので、普段は時間がかかるため行っていないエンジンのパーツ交換に手をつけることにした。戦闘機に乗り込み、備品庫から工具や交換部品を集める。必要なものを出し終え、ゼロはコックピットに乗り込んだ。交換作業の為に人が入れるよう、エンジンノズルを大輪の花が咲くように開かせる。
準備が済みゼロは外に出る。シャッターが開かれた格納庫は、熱気であふれていた。じっとしていても汗が体中からあふれ出した。
作業を始めようとシェイルの姿を探してみるが見当たらない。聞こえてきた微かな女性の話し声に、ふと目を向ける。目線の先にはユミルがいて、誰かと話していた。話し相手を見ようとするが、機体が邪魔で見えない。ユミルがこちらに気づいたのか、何か企んでいるかのような顔を見せる。
「ストラウドさん。シェイル借りていくね」
待て、と言う間もなく物陰から出たきたシェイルを連れ出す。
「ちょっと、ユミルどこ行くの?」
そう言いながらも、シェイルは抵抗する素振りを見せることなく姿を消した。ゼロは自分の置かれた状況にため息をつく。気を取り直し、工具をかかえて噴出し口からエンジンの中に入った。
エンジンの定期検査時に用いる大型機械はここにないため、一基あたり数百枚あるエンジンブレードを一枚一枚、機械に通し異常がないか見ていかなければならない。交換が必要な物を取り集めると、新品のエンジンブレードを取りにエンジンから出た。
立て続けに作業を続けたので、少し休みを取りに梯子を戦闘機に掛ける。サボテンの葉のように、機体から突き出した整備用のフックを伝い上まで登った。ゼロは持ってきた柔らかいシートを敷き、大の字になって寝そべる。
いつしか、格納庫が日陰に入り、涼しい風が吹くようになった。目を閉じ風を感じていると、遠くから足音と話し声が聞こえてきた。風の音を乱すその喧騒に聞き耳を立てる。話の内容までは聞き取れないが、言い争いをしているように聞こえた。
「そうだな。聞きようによっては、そう解釈できる。考えすぎなのかもしれないが、こっちから攻めるつもりかも」
「やめてくれよ物騒な。前とは違って不景気なわけでもないし、だいだい入国自由化が始まったばかりだろう。それはない」
足音が大きくなるにつれ、会話がはっきり聞けるようになった。その音からして二、三人ぐらいであろう。二人の男の会話は眼下で続けられている。ゼロは何をするわけでもなく、天井に目を張っていた。
「いずれにせよ、戦争になるだろう。あいつが聞いたら呆れるだろうな」
「ああ、三度の英雄が生きていれば」
ゼロの機体の前で足音はなくなり、風さえも息を止めた。
手に付いたままの機械油の臭いが子供のころの記憶を呼び覚ます。体中を痛みに似たものが襲う。うつぶせになり耳をふさいだ。
それでも、どろどろとした気持ちが張り付いて離れない。
不意に肩を掴まれた。ゼロは素早く掴んできた腕を翻し押さえ込む。
「いやっ」
小さな悲鳴にゼロの意識が醒めた。脳裏に写ったのは、目を真ん丸に見開いたシェイルの姿だった。
「すまない」
ゼロは慌ててシェイルから体を離し、気持ちを落ち着かせる。シェイルは自身をいたわりゆっくりと起き上がった。ゼロの傍に寄り添うと手を伸ばし、ゼロの頬に触れる。
「すまない」
自分の頬からシェイルの美しく穏やかで、花のような甘い香りがする。
「どうしたの?」
ゼロは口を固く結んで目も合わせようとしない。シェイルは静かに手を離す。そして、先に降りてるねと言い残しゼロの元からゆっくりと去った。
一人になったゼロは、ただそこに居座り続ける。何も考えたくなかった。何か考えれば、すぐにそれへと引き込まれる。ぶつかり合う金属が空気を振るわせ音をなすが、髪を撫でる風の音も自分の息遣いも耳には一切入ってこなかった。
暗く冷たい記憶は心の中で絶えず渦巻き続ける。気分は優れていないが、何時までも座り込んでいても始まらないと、立ち上がりシートを畳む。それから、シートを抱え梯子を降りた。しかし、地に足をつけた途端、気分が悪くなる。ゼロは、抗うことなく地面に座り込みランディングギアに凭れ掛かった。
金属音が止み、それを補うように足音へと変わった。シェイルの気配が近づいてくる。
「ゼロ?」
不安と心配からか呼ぶ声はとても小さい。ゼロは寄りかかるのをやめ、伸ばした足を戻し胡坐を組む。
「ああ、すまない。迷惑をかけた」
不意に腕を引き上げられる。
「ほら、立って。このままじゃ間に合わなくなるよ」
ゼロは視線が合わないように下を向いて重い腰を上げた。
「まだ辛い? 嫌なこと思い出したんだよね」
「いや、大丈夫だ」
そういうと、幼い子供をあやすように頭を撫でられた。心地よかったが恥ずかしくなるもので、躊躇うことなく続けるシェイルの手を握り締める。繋いだ手からじんわりと暖かさが伝わってきた。
「ゼロ、顔が赤くなってる」
笑顔のシェイルにつられて顔が綻んだ。
「もう、大丈夫だね」
ゼロは頷き、足を進めた。作業場まで戻り、二手に分かれて残った仕事に取り掛かる。夜になり格納庫を行き交う戦闘機の出入りが激しくなってきた。外は闇に包まれ、街も眠りに着くころだ。しだいに賑わいは冷め、人の話し声も聞こえなくなり、格納庫内は二人が出す金属音だけになった。
「ゼロ、こっちは終わったよ」
傍らに置いていた端末からシェイルの声が飛び出した。ゼロは作業を止めずに応える。
「もう少しかかりそうだ、先に休んでいて構わない」
シェイルは金属音混じりの声に半信半疑になりながらも、機内に戻っていった。数十分後ゼロもエンジンの部品交換まですべて済ませ、器具を抱えて戦闘機に乗り込む。お疲れ様の声を聞きたくて、入ってすぐにシェイルの姿を探す。しかし、目に映るものはどれも見当違いなもので、素朴なテーブルの上に置かれた料理に、シャワーが使われていることを表示するモニターであった。ゼロは壁から折りたたまれた椅子を取り出し腰掛ける。モニターの映像をニュース番組に変えた。昨日の訓練と相俟ってか、疲れが急に押し寄せてくる。
「お疲れ様。ご飯何がいい?」
シェイルの声で自分が寝たいたことに気がつき慌てて返事をする。
「いや、いい。自分でやる」
「今日はいろいろ考えて疲れているんだから、休まないと」
ゼロは首を強く横に振った。
「もう、人の親切は素直に受け入れなきゃ。せめて私に対しては甘えられるようにしないと、そのうち一人ぼっちになっちゃうよ」
ゼロは口を開くことなく、テレビのチャンネルを変えていく。
「リクエストがないなら、私と同じのにするけど。いい?」
チャンネルを元のニュース番組に戻す。シェイルはゼロの分の食事を手にし、テーブルに並べる。二人分の料理でテーブルは一杯になった。足早に食事に済ませ、寝支度をする。
戦闘機の外観は巨大に見えて、割り振られた居住スペースはとても狭く格納式のシングルベットを広げれば、それだけで一杯一杯になってしまう。その上、不便なことにこの機体にベットは一つしか備え付けられていない。ゼロはシェイルにベットを使うように告げ、汗を流しに部屋の奥に行った。
一日の疲れも流したいところだが、そのような空間ここにはない。シャワーを浴びた後、シェイルが起きるまで演習の内容を読み返したり、時折寝顔を見つめては手元に視線を戻すことを繰り返し時間を潰す。演習予定時刻を過ぎても呼び出される様子はなく、シェイルが目を覚ますとベットを譲り受け目を閉じた。
枕元の端末が音を鳴らし、ゼロは体を起こす。端末を手に取り連絡事項を確認した。
「軍教育センターから一件連絡があります」
再生、というゼロの声に反応し端末から人の姿が映し出される。
「グループ3の模擬戦闘開始時刻が決定した。開始時刻の30分前には戦闘空域で飛行しておくように。……以上で再生を終了します。スケジュールが追加されました」
二人は表情を伺い合うと、一言も喋らずに黙々と戦闘準備を始めた。