第7章:傷ついた心は
無事に合格した候補生を歓迎したのは、以前にも増して厳しくなった訓練であった。
走り難い荒れた大地に、体の水分を奪う灼熱が降り注ぐ。風は頬をなでるだけで、流れる汗は乾くことなく滴り落ちてゆく。幅の広い道に木々の陰は現れず、日の光からはどうやっても逃れられない。
「走れ、走れ。もっとペースを上げろ!」
教官が絶えず叫び声を上げ、候補生たちを極限へと追い詰める。
全員パワードスーツを装着し、それぞれ武装を身につけて走っていた。なぜか候補生だけは、フルフェイスを外し武器と一緒に身につけている。ゼロとディオネはお互いを励まし合いながら横並びになって走っていた。
「駄目だ、もうだめ。ゼロ、俺死にそう」
「騒ぐな、また叩かれるぞ」
そう言ったゼロにも生き生きとした走りは見られない。刻まれる足音は皆バラバラで、舞う土煙はカラカラになった咽喉を傷つけていく。
「本当、馬鹿げているよな。パワードスーツを着ていながら、使うなだぞ。それでいて、自分たちはパワードスーツで走りやがって」
教官は決して、変わることのない力強い走りで後ろから付いていている。機密性の高いパワードスーツは、体内からあふれ出る熱を保持し続け逃がさない。
「せめて、温度調節ぐらいはいいだろ。このままじゃ溶けちまう」
聞こえなかったのか、ゼロは何も言わない。おい、とディオネがゼロの胸を叩く。
「何だ? 黙って走れ」
「おいおい、今は訓練中にグチれるチャンスなんだぜ」
そうこうしているうちに、教官がスピードを上げて迫ってきた。二人は口を噤み、教官が通り過ぎるのを待つ。
「遅いんだよ。もっと走れ」
そうやって、先頭まで檄を飛ばし終えると、また最後尾に戻っていく。ディオネは大げさに振り返り、教官が戻ったことを見るや否や、しゃべりだした。
「なんやかんや言ってよ。ゼロ、お前は中量の武装だ。俺よりも楽だろう」
ゼロは鋭い目でにらみ返す。
「その重苦しいものはお前自身で選んだものだろ。わざわざ一番重量のある武器にするのが悪いんだ。だがな、それでもずっと腕にへばりつかれて走るよりはましだ」
「へへん。お前も立派に文句言ってんじゃん」
夜明け前から始まった身を削るこのマラソン。日中になり、気温はますばかりである。気晴らしに仰げば、たちまち日差しが体中を支配する。乾いた大地が熱風にのせて、しきりに水がほしいと嘆くが、与えられる水分は彼らから流れ出る汗しかない。
次第に真っ直ぐ走れなくなる者が増えてきた。ゼロも自分が教育センターのどこを走っているのか分からなくなっていた。すぐ隣には、減らず口で有名なディオネがいるはずなのだが、気配が感じられない。さすがに心配になり、大丈夫か、と声を掛けてみたが、首を振られるだけだった。
歩みをやめるものが多く出てきたところでやっと休めの指示が出た。候補生たちは、迷わず地面に向かい崩れこむ。ゼロは肩で息をしながら、仰向けになる。日差しをさえぎる黒く厚い雲がこの時ばかりはとても優しく見えた。
呼吸が整い、はっきりと物事を考えられるまでに意識が戻ってきた。いまだに意識が朦朧としている候補生がいる中、ゼロは他人の心配し始めた。それは、お世辞でも体力があるとは言えないシェイルのことだった。
この訓練は二つのグループに分けて行われている。後の方であるシェイルは、今頃走り始めたところであろう。そんなゼロの不安を遮るかのように、教官が大声を上げる。
「もう、充分休んだだろう。この調子でいけば日が沈む前に走り終わる。ほら、立て走るぞ」
候補生たちは顔を見合わせ、空を見上げる。日は昇りきってもいない。教官の言葉を素直に信じ、走り出す者がいる中ディオネは地面に這いつくばったままだ。ゼロは教官に怒鳴られることのないようディオネを引っ張り上げた。
「最後まで一緒に走るといったのはお前だろう」
ディオネは首を振る。しかしそれは、否定の意味ではなかった。
「仕方ないな。そこまで一緒に走りたいなら俺も頑張るか」
ゼロは耳を傾けることなく、全力でその場を去った。一人残されたディオネはぼやく。
「まったく、ゼロは照れ屋さんだな。でも、まさかあいつに背中を押されるとは」
前触れもなく、ディオネの後頭部に激痛がはしった。
「ナニが照れ屋だ。いいから走れ。それともお前だけ夜明けまで走るか?」
教官の存在をすっかり忘れていた自分を恨めしく思った。ディオネは頭を抑えながら、しぶしぶと姿が見えなくなってしまったゼロを追いかけるべく足を動かした。
翌日、候補生たちは昨日の疲れを癒せぬまま、戦闘機の格納庫に集められた。昨日の訓練は、体力強化という名目だけで、あのランニングだったので今日も想像を超える厳しい訓練が待っているだろうと皆、不安で一杯だった。
その気持ちを知ってか知らずか予定より早く教官はやってきた。
「昨日はご苦労だったな。それでは、今日の訓練について説明を行う。」
教官の足元からブリーフィングのためのスクリーンが立ち上がる。
「今回の訓練はカリュキュラムどおりのものだ。昨日のような突拍子もない訓練だから安心してもいいぞ」
あの時とは違う教官だからといってここまで違うのかとゼロは感心した。見るからに新米の教官のようだ。
「訓練内容は、いたって簡単。グループ内での模擬戦闘そのものだ。訓練が2日間にわたっているのは、例年時間がかかるものだからな。この訓練の主な目的は、チームの特徴を知り、後に行われる他国の候補生との模擬戦において有利に戦ってもらうためだ。有意義な演習になるように心得ておくように。分かっていると思うが、先の試験で不合格者が出ているため再編成されたグループもある。これを機に信頼関係も築いておけ」
その後教官から不合格者が挙げられたが、ゼロのグループ以降から出ているのでメンバーの変動はなかった。それに引き続き模擬戦闘について細やかな取り決めが説明され、戦闘機の整備命令を最後に候補生はその場から解散した。