3章7話
暑い。カーテンの隙間から差した太陽光がオレを直撃していた。窓を開ける。涼しい風が入ってきた。少し、生温い。
お腹が空いたのでキッチンへ向かった。母親はパートに行っているみたいだ。三時に終わりだから、まだそれ以前なのだろう。時計を見る。一時を過ぎたところだった。学校は現在昼休みだろうか。
オレはカップ麺を取り出す。袋を開けようとすると、テーブルに置いてある弁当箱が目に入る。母が作ってくれたのだろう。今日、学校を休まなければ、今頃は教室でこれを食べていたのだ。
弁当を頬張る。味はしなかった。でも、少ししょっぱかった。違う。頬を伝った水滴が口に侵入したのだ。
オレは泣いた。泣いた。泣いた。ないた。ナイた。
テーブルと顔が涙まみれになった。拭かなければいけない。
ティッシュが置かれているリビングの台まで移動した。ティッシュを取る。ふと横にCDが見えた。手に取る。これはオレが中学の時に初めて買ったCDだ。中学の時、オレに勇気と希望をくれたアーティストだ。
オレはCDに付属していたライブBDをプレイヤーにセットした。ライブが始まる。この人のおかげでオレは生き延びることができた。久しぶりに聞いたな。そういえば、ここ最近は様々な音楽を吸収しようとネットで世界中の音楽を聴いていたため、このアーティスはあまり聴いていなかった。
懐かしい感覚が蘇ってくる。ああ、そうだこの感覚だ。昔、オレが希望や勇気をもらった時の感覚だ。
豪快な音と演出によってステージに現れたその姿は神々しさを帯びていた。その人はギターの弦にピックを当てた。後ろを振り返りドラマーと息を合わせると、力強くコードストロークを開始する。同時にオレの中の何かも力強く体内に響き渡り始めた。
マイクに歌声が乗ると客席からは歓声が上がる。オレも心の中で叫んだ。それから、他の楽器隊が合わさることで空間のボルテージは上がっていき、サビ前で破裂する寸前のように感じられた。
そうだ。オレはこうなりたかった。音楽を自分で作って、ステージに立って注目されて、すごいねって言われたかった。スターになりたかった。忌田に様々な面で勝てないから、音楽で勝とうと思っていた。そうして本質を見失っていた。オレはただ忌田を妬んで、あいつに追いつきたかっただけなのだ。オレの演奏が下手だと言われ、曲がよくないと言われ、オレはスターになれないのだと勝手に落ち込んだ。友達に恵まれればあいつみたいになれると思い、無理に合わない人たちと一緒にいようとしたのだ。
サビに入ると客席から喚声が轟いた。オーディオエンスが手を伸ばしていた。届くはずもないその手を、決して、振れられないはずの光に向かって伸ばしていた。何かを求めるように。
気が付けば、オレも手を伸ばしていた。ああ、そうか。オレはこの人を求めているんだ。そして、オレも……。
誰かのヒーローになりたい。認められたい。生きていて欲しいと言われたい。かっこいいと奉られたい。自分を表現したい。それを許して欲しい。いずれもオレに出来なかったことだ。中学でも、高校でも。
いや、本当にそうなのか? 肥大化した自己顕示欲と承認欲求が暴走をして、大き過ぎる夢を見て、足元を見失っていたのでないか? 誰かかが呼んでいなかったか?
『きっとどこかに君を必要としてくれる人が必ず現れるよ!』
『辛くなったら、僕たちのところへ帰って来てね! いつでも歓迎するから』
『河原なら大丈夫』
『あなたが必要なの、河原君』
心の中で絡まった糸は次第に解れ、一本の真っ直ぐな糸だけが残る。
オレは誰かに必要とされたかったのだ。誰かに必要とされることで自分の存在を肯定して欲しかったのだ。そして、オレはその手段にオレが必要とした音楽を選んだのだった。ステージの上でめちゃくちゃ目立って、多くの人に手を伸ばして欲しかったんだ。
別に多くの人に求められる必要はないのではないか。でも、オレはそれを認めなかった。だから、バンドで重要なポジションに固執したのだ。何故か? 決まっている。それは——。
*****
「聞いたか? 忌田くん全国大会出場だってさ!」
「まじ? さすが忌田くん! かっこいい!」
クラスが浮き足立っていた。忌まわしいあいつのせいだ。あいつは自身の所属する中学生サッカーチームがサッカー全国大会に出場するらしい。オレは大層機嫌が悪かった。
オレは椅子を引いて自分の席に座る。少し音が大きかったせいか数名がオレの方を一瞥した。そして、刹那の後に目を背けると、ヒソヒソと話し始めた。別にいい、いつものことだ。
その日は忌田の話題で持ちきりだった。先生が変わるごとに授業の冒頭で彼の偉業を称えた。学校の校舎に彼の出場を祝う横断幕が掲げられた。誰もが彼を称えた。でも、オレは称えなかった。その行為をしようものなら虫唾が走るだけではなく、身体中を高速で抉りまくるようなものだった。
「何、なんか言いたいことでもあるの?」
気がつけば忌田がオレを蔑むような目で見ていた。どうやらオレは教室で配布された彼の偉業を称えるプリントを睨み付けていたようだ。
オレは別に、と答えたが、彼は気に食わなかったらしい。
「嘘はいいよ。気に入らないことがあるならいいなよ」
忌田はオレの前席の椅子を引いて反対に腰掛け、オレの机に頬杖を付いて威嚇してくる。
「忌田くん。こいつは嫉妬しているんだよ。友達も才能も持っていないからそれらを全部持っている天才忌田君が憎いんだよ」
忌田の取り巻きの一人が代わりに答える。こいつは頭が良くて最もオレの言って欲しくないことを言うやつだった。
「河原マジキモ。そんなのお前が悪いんじゃん」
忌田と仲がいい女子生徒がオレに罵声を浴びせる。そうだ。その通りだ。オレは何も待っていないから忌田が羨ましい。でも、それ以上に、それを見せびらかし、オレを貶めるこいつらが気に食わなかった。でも、今のオレには何も言い返すこともない。
気がつけばクラス中にオレの悪口が伝播していた。オレを蔑む笑い声が耳を刺す。やめてくれ、頼む、やめてえええ。
オレは耳を塞いだ。目の前でにやけ顔を浮かべるやつがいる。こいつが憎い。こいつに勝ちたい。いつかこいつにオレを認めさせてやる。こいつよりも、もっと輝いて、そんでもってクラス、学校の奴らにも認めさせてやる。クソッ。今に見てろよ、サッカー少年。オレがいつかお前より認められて、高所からニヤケ面を拝ませてやる。
お前は敵だ。