2 村が焼かれました
奥深い緑と黒しかない森の中にそれがある。
小鬼と恐れられた、ゴブリンの群れだ。
最低でも4人で一組の家族構成を持ち、族長という名の“ロード種”が村を作っていた。規模が大きくなると、人に見つかる危険も増すため、大きくても10家族程度しか村には居なかった。
若いゴブリンは、半分を村の外へ送り出し新たな村をつくるのが習わしだった。
そうして、何世代も繰り返し種の存続に務めていた。
筈だった。
◆
ゴブリンの少年は、村の外に出て木の実を拾っている。
この森の名は“ゲリの大森林”といい、島全体の6割を占める密林だ。
北に雲を突き抜ける“竜の住まう山”、西の“ガスダール王国”があってこれが人の国だ。
南は、腹黒いエルフの住まう土地がある。
エルフは、人魔の区別なく少年を攫っているという噂が絶えない。
人族も、エルフ退治に兵をだしているが、返り討ちに遭っているという。
その腹いせに魔物を狩るという。
これは、ゴブリンたちの言い分だ。
少年も、子守歌のように“人の怖さ”を口伝で教え込まれたクチだ。
これは昔話とも連動していて――こうだ。
“神はある時、世界に土をひと盛りして島をつくる”
“これが世界のはじまりだ”
“神の欠伸で零れ落ちた、涙で人が生まれる”
“生まれた人はひとりでは寂しいと、神に訴え、伴侶を得る”
“その伴侶が魔物の祖を産み落とし、これに夫が忌避して対立が始まる”
――といった流れの物語だ。
少年の記憶力では、この辺りが精一杯だ。
今の興味は木の実の採集であるからだ。
森がざわつく。
風に煤焼ける匂いが乗って漂ってくる。
彼は風下にいた。
振り返ると、どんよりと曇天の空に黒い煙が吸い込まれているように見えた。
《村だ?!》
手に握った木の実だけで走り出していた。
恐らくは何も考えていない。いや、考えられるような余裕のある状況じゃなかったのだ。
《とうさん、かあさん!》
弟はまだ、生まれて間もないから、脳裏に浮かぶのは泣きじゃくるっている姿だけだ。
父親は、村の外に開いた畑で鍬を握っている。
母親も、少年の大きな地図を濯いで天日干しする姿が過る。
走る。
何度も滑り、転がりながら、何度も立ち上がって走り続けた。
思いもよらずに森の奥に居た。
木の実を沢山持ち帰って、母親に褒められたい一心だったからだ。
それが災いしたのか幸運だったのか、彼が村の際に立つと、村は黒い煙と炎に包まれ燃えている所だった。周りが見えるほど精神的に成長してはいないが、この時はどこか他人ごとのような感覚が働いていた。
周囲には、白っぽい甲冑を身に着けた者たちがあった。
赤々と燃え盛る炎の近くでも、その鎧は白っぽく見えた。
唐突に飛び込んで来たのは、先日、森の奥で、怪我をし難儀していた旅人の姿だ。
声を掛ける前に、その旅人と目が合う――「隊長さ~ん、ここにもう一匹いましたよ!!!」――と、叫ばれた。
「な、なんで?!」
思わず、どうしようもないくらいに情けない声で叫んでた。
叫ばずにいられなかったというのが正しい。
気がついた村の大人たちが『早く逃げろ!』と叫んで知らせてくれている。
「それは、だな...お前たちが魔物だからだ」
少年と対峙して左右から、腰に提げていたブロードソードを抜き放った兵士が、ひとりづつ迫ってきている。
丸い鍔付きの平たいヘルメットを被る兵士。
突き出したカラスの嘴のようなマスクを身に着け、黒の装束に似た甲冑を着込んでいる。
少年の脳裏に浮かぶ父親の言葉――「黒づくめの甲冑を見たら逃げるんだ! 絶対に振り替えるんじゃないぞ、あれらはここいらの領主さまの兵士だからな」――だ。
やや、茫然と立ち尽くす少年の目に映るのは兵士だけではない。
その奥に騎士が見えている。
彼の目に怒りが見えた。
魔物は一人残らず狩ってやるという怒りの目だ。
◆
ゴブリンの少年は走っていた。
自分の生まれ育った故郷を離れ、兎に角、追いつかれまいと渾身の力で奔った。
自分を逃がすために大人たちが、抵抗してくれたから、背中に受けた傷だけで一命を得ている。
“逃げる”という思考が一瞬でも遅かったら、大人たちの尽力もむなしく袈裟斬りで落命していたことだろう。
しかし、傷口が熱い。
掠ったといっても、表層の肉を切り裂かれている。
皮膚の薄皮を切ったのではなく、骨に達しなかっただけの傷だ。
「も、もう...あ、足が...」
もつれながら、突っ伏した。
森の獣たちがざわついている。
人が入り込んでいるからだ。
助けた旅人の傷は、ほっとけば死にもつながる筈だった。
所謂、少年は旅人の命の恩人である――筈だが、人の世界では少し違った。確かに九死に一生を得るような体験ではあるが、魔物の少年の後をつけ、彼らのねぐらを見つけた――これが彼にとって幸運だったのだ。
王国は、魔物を“ゲリの大森林”から一掃し、森林の開拓事業に乗り出したいと考えている。
その為には、一匹、二匹の駆除よりも棲み処を襲撃して、根絶やしにする方法を是とした。
故に、国内と島全体に触れを出したのだ。
“魔物を見た者は、その大小に限らず銀貨5枚。”
“その棲み処であれば、銀貨100枚を褒賞とする。”
旅人の目には、はじめから魔物の少年は魔物でしか見えず。
恐怖しながら手当てを受けて“こいつは何てお人好しなんだ”と思われていた。
棲み処を襲撃して任務こそは達成している。
が、人は欲望に対して、正直に生きている生き物だ。
彼らは逃げた少年を追っていた――きっと、彼らの目には少年ではなく、銀貨にしか見えなかったのかもしれない。少年の姿を見失うまでは、石を投げながら『そうら、どうした早く逃げないと...追いついて殺しちゃうぞ』と、脅かしてもいた。
魔物を狩る側にすれば、言葉は通じるが、所詮人族ではないと思っている。
◆
突っ伏している少年が虚ろな瞳で頭をあげる。
もう、痛みと熱であまり良くは見えない。
森の奥から流れ込む白い靄は、少年の姿をそっと隠してくれた。
更に昏い奥から人影が見える。
《こ、こんな奥からニンゲン?》
胸中に浮かんだイメージは、白い甲冑を着込んでいた連中の姿だ。
だが、彼らが来たのは盛りの奥の方だ。
竜が住まうという山の方からでは、人など住んでいる筈もない。
だが、記憶の影はそれらと類似する点がある。
意識が飛ぶ少し前に――『大丈夫か?!』
声を掛けてくれたような気がした。