公園デビュー
高認の出願について調べたら、今年度一回目の出願期間は、既に終わっていた。
仕方ないよね、四月は昼も夜も分からないような生活だったし、そこまで気が回らなかった。
直子さんや留美子さんとの送別会も、ほんの短時間の顔合わせだけだったし、二十歳の誕生日も、慶一さんと二人でささやかなお祝いをしただけだった。
二人とも比売神子にはなれなかったものの、今年度からは大学生。それぞれ、京都と千葉だ。
二十歳と言っても、何も変わらない毎日だ。授乳する関係でアルコールは神前式で御神酒を含んだ以外、妊娠が判ってからは一滴も飲んでいない。子どものためだと思うと、案外我慢できるものだ。
そう言えば『私』の同僚も、妊娠を機に禁煙していた。それまで何度も禁煙していて「禁煙ぐらい簡単なことは無い。私は人生で十回以上禁煙した」と豪語していた女傑だったが、禁煙はそれが最後で、その後程なく夫も禁煙させたそうだ。
閑話休題。
高認は年二回。夏に出願すれば、秋の終わり頃に受験できる。これさえ取れば、大学の受験資格を得られる。今年度は無理だろうけど、来年度なら、優乃も普通に食事できる。保育所に入園させられれば、私の大学進学も問題無いだろう。
ただ……、高認って制度、必要なんだろうか? 高卒と同程度の学力を認めるだけで、高卒じゃない。
学力だったら入試で確認できる。
一般企業なら、学力よりも高校という『ルールとスケジュールがある空間で集団生活をできた』ことを重視するだろう。
実質的には、大学入試資格を得るための試験だから、センターの共通テストで代替出来ると思う。正直、目的がよく判らない制度だ。
高認には関係ないけど、留袖の試着もした。来年の一月は成人式だし。
試着するために実家に行ったけど、やっぱり似合わない。しかも、作ったときはCだった部分も今はE。
正直、パンツスーツで出ようかと思うほどだ。
とりあえず、高認については夏に申し込み出来る。書類を揃えておこう。
勉強については……、特別には何もしていない。高認は科目数こそ多いけど、求められるレベルはそれほど高くない。大学受験に向けた勉強をしておけば、十分に対応できる。
公園デビューは、まぁ、一応した。
夕刻も近くなって近所の八百屋さんで買い物をして、その帰りだ。
事前情報によると、公園は主に米田さんのナワバリで、そこにいるのもそちらの派閥の人が大多数――と言っても、今いる親子は八組だけど――のようだ。
今後のこともあるので、一応、挨拶しておこう。
遊具側の東屋には四組、ブランコと滑り台にそれぞれ一組。砂場側の東屋には二組の親子。私はあえて、人数が少ない砂場側から行く。入り口から近いし、それに多分、こっちの方は早く終わるだろう。
案の定、こちらは挨拶を交わしたのみ。連絡先も交換しなかったので、名前だけ手帳にひかえておく。
さて、次は面倒くさそうだ。
私がベビーカーを押しながら東屋の方へ行くと、それを見つけた三歳ぐらいの女の子がまずやって来た。
「こんにちわー」
私もしゃがんで「こんにちは」と返す。
「挨拶、ちゃんと出来て、偉いねー。おなまえは?」
「あっちゃんは、あっちゃんだよ。お姉ちゃんは?」
「小母ちゃんの名前は、あ・き・ら。
こっちは小母ちゃんとこのこどもで、ゆ・の」
「お姉ちゃんはおばちゃんじゃなくて、お姉ちゃんだよー。
これ、ゆのちゃんにあげるー」
差し出したのはラムネ菓子。一応、個包装になっている。
「ありがとう。あっちゃん、優しいのね。
でも、ごめんね。優乃はまだちっちゃいから食べられないの。お菓子を食べられるのは、次の春ぐらいかなぁ。
これ、私が食べちゃってもいい?
それとも、あっちゃん食べる?」
訊くと「あっちゃん食べる!」と答えたので、ラムネ菓子の包みを返した。
ファーストコンタクトはこんなもんだろう。
「初めまして、高橋 昌と言います。こちらは娘の優乃です」
一応、相手からも挨拶が返ってくる。東屋のベンチに座ったまま。
子どもを膝に乗せたお母さんはともかく、こっちは立って挨拶しているのに、それは礼儀としてどうだろう? って考えるのは、会社の利害を代表した経験がある人間の知識だ。
やはりというか、三人掛けを一人で占領し、バッグもベンチに乗せている人が米田さん。席次で何となく力関係が判る。
連絡先を、となったので、電話番号とメールアドレスを伝える。私は立場上SNS等を使わないが「夫と相談した結果」と言う理由でそれ以上の情報は出さない。
「高橋さんは、学校ではどうやって連絡していたの?」
「中学校のときはガラケーでしたし、高校でスマホに持ち替えた後も、連絡は専らメールでした。電話もごくたまにでしょうか」
そう言うと、興味を失ったのか会話も二言三言で終わる。優乃はみんなに愛想を振りまいていたけど。
その日は「野菜が温まってしまうので」とお暇することにした。
二日後、山下さんと会ったときに、その話が出た。
曰く、SNSの連絡先を教えないのはお高くとまっている。
……そうなのか?
あとは、高校生でデキ婚で退学して、中卒とか。
そして、男を身体で誑し込んだ、とか
「客観的には、そう言われても仕方ないですから。
実際、学歴は中卒ですし」
「本当に?」
私は「あまり大っぴらにはしないでほしいけど」と前置きをした上で、設定を話した。
「まぁ、勉強は暇を見て続けていますし、今年高認を受けて、来年優乃を保育園に入園させられたら、再来年にでも大学を受けようかと思っています。
と言っても、車で通える範囲の国立はあそこだけなので、簡単ではないと思いますけど」
「すごいわね」
「まぁ、上手くいけばの話ですけど。
主人は気にしないって言ってくれますけど、妻の学歴が中卒じゃ、色眼鏡で見られちゃいますから」
正直なところ、せめて大学中退ぐらいは欲しいところ。そうすれば、在学中に結婚したみたいに見えるだろうし。もっとも、中退がハクになるのは、五十年ほど前の早稲田ぐらいだろうけど。
「ところで、SNSを使ってないなんて、珍しいわね」
「そうですか?
親しい友達は電話とメールだけで、SNSを使ってたのは一人だけでした。その子も、部活でキャプテンになったから一斉連絡のためにやむなく、って感じでしたけど。
私も、中学のときはずっとガラケーで、スマホは高校に入ってからでしたし」
「へー、珍しい」
「SNSを使うと、連絡のための連絡になったりして、時間がどんどん食べられちゃうって考え方の子が多かったんです。
言われてみると、友達は『今どき』じゃないタイプが多かったかも知れませんね」
少し話した後、暑さが厳しくなる前に買い物へ。
でも、奥様コミュニティも難しい。と言うより、面倒くさい。私たちはリフォームが終わるまでの半年足らずだけど……。