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その他、人×人恋愛系

美女と野豚と貴公子たちの毒にも薬にもならない茶番




 気位が高く眼光の鋭い伯爵家のご令嬢スルディエナ・メーガンは、ぽっちゃりマシュマロ系侯爵家嫡男プルンドル・ポッティツァリの婚約者だ。

 毛先の僅かにウェーブしたプラチナブロンドに、冷たく光る紫紺の瞳。ともすれば淫靡に匂いそうな肉厚かつ紅玉に濡れる唇は、けれど、硬く引き結ばれて人を拒絶する。

 対するプルンドルは、ミルクティー色のくせっ毛に、気の抜けたエバーグリーンの垂れ目を持っており、いつもヘラヘラと締まりのない口は、食事時には特に大きく開いて何もかもを隔てなく一飲みにしてしまう。

 メリハリあるセクシーボディを有する彼女は平均よりも少々背が高く、逆にふんわりと白い脂肪に包まれた彼は平均よりも僅かに低い身長で、スルディエナがハイヒールを履けば、あっという間に互いの視線の高さは逆転した。


 とどのつまり、二人の容姿は傍目にあまり釣り合っていなかったのだ。


「やぁ、ディエナ様。探しましたよ」

「あら、ルード様。いかがなさいまして?」


 さる伯爵家で開催された若者限定の懇親会でプルンドルが話しかければ、婚約者のスルディエナは、スッと目を細めながら手持ちの扇を広げて顔の下半分を隠す。

 このパーティは通常の茶会や夜会と異なり、同伴のパートナーが不要とされていた。

 ゆえに、婚約関係にある彼らも、共に出立することも会場で寄り添うこともなく、個人での参加となっていたのだが……。


「先日、領内の平民街に新しく出来た菓子屋の菓子を全種取り寄せ試食したのです。

 ディエナ様好みと思われる繊細な甘みの物が多かったので、これは是非お誘いしなければと思いまして。

 つきましては、近日中に我が家にご招待したく」

「……そうでしたの。

 では、予定を確認し、後日、改めて訪問日をお知らせいたしますわ」

「はい。お待ちしております」


 淡々とした態度のスルディエナと対照的に、プルンドルは何が楽しいのか、ニコニコと貴族らしからぬ朗らかな笑みを浮かべている。

 そして、そんな彼らを、群衆の中深くより眺める男が一人。


「セイオン?」

「美しい。あの凛と咲き誇る大輪の青き薔薇のようなご令嬢は一体どなただ?」


 彼は公爵家三男。麗しの貴公子、カマセイオン・ドッグェス。

 一年間の隣国への交換留学から帰国した彼は、戻って先ず参加した情報収集目当ての懇親会にて、初めて知る令嬢のその鋭利な美貌に見惚れていた。


「え? あぁ、去年のデビュタントはトナルィノにいたから知らないんだね。

 彼女はスルディエナ・メーガン。メーガン伯爵家のご令嬢だよ。

 いやぁ、あの日は本当に衝撃だったなぁ」


 カマセイオンの呟きに反応を返したのは、彼の友人の侯爵令息モブナレド・ゼンデアールだ。


「なるほど、メーガン家の……それで、ポッティツァリ家の嫡男は随分と馴れ馴れしい態度を取っているようだが、彼女とどういった関係が?」


 貴族の体面として微笑みこそ絶やしていないが、彼の声には不快の感情が滲んでいる。


「馴れ馴れしいって、当然だろう。スルディエナ嬢のれっきとした婚約者なんだから」

「は? アレが? まさか、嘘だろう?」

「そんな嘘を吐いて僕に何の得があるというんだい」


 呆れた視線を向けてくる友に、カマセイオンは困惑した。


「いや、しかし……いくらなんでも」


 不穏な色を湛えた瞳で、彼はスルディエナとその婚約者をチラチラと視界に収めている。

 そんな友人の様子を見て取って、モブナレドは小さく溜息を吐いた。


「セイオン。これは友からの忠告だけれどもね。

 確かに彼女は美しいが、だからといって、妙な考えを起こすんじゃあないぞ」

「え? あ、あぁ。もちろん、我が公爵家に泥を塗るような真似はしないさ」


 大きな釘を刺された貴公子は、どこか焦りを含んだ語り口でそう応える。

 直後、彼はまだ挨拶回りがあるからと、逃げるようにその場を離れて行った。

 そうした友人の背に焦点を合わせたまま、モブナレドは誰にも届かぬ小声を広い会場内にポツリと投げ落とす。


「…………どうだかね」


 彼は知っていた。

 文武にも容姿にも血筋にも優れ、また性格も正義感で善人と言って差し支えない友ではあるが、三男という責任の存在しない立場ゆえか、カマセイオンは高位貴族にあるまじき思慮深さの不足という致命的欠陥を有している。

 本来、問題にもならないはずの出来事を、彼が早合点で大きな騒ぎに発展させたことも一度や二度ではない。

 そんな三男の視野を広げるためにと公爵直々に言い渡された留学であったはずだが、一年という期間隣国で揉まれた程度では、その性質が落ち着くことはなかったようである。


「あーぁ、厄介な友人を持ったものだよ」


 尻拭いに奔走する己の未来を幻視して、モブナレドは通りがかりの使用人からグラスを受け取り、さながらヤケ酒のごとく一気に呷って、飲み下した。





 その後、カマセイオンは元々の目的である情報収集をこなしながら、合間合間にスルディエナを目で追っては熱い吐息を零していた。

 そんなストーカーじみた行為に勤しむ中で、彼は彼女についての一つの事実に気が付いてしまう。


「彼女は婚約者のプルンドルが侍ると、常に扇子を開いて顔を隠している。

 あれは、スルディエナ嬢の忌避感の表れなのでは?

 やはり、爵位で優っているからと、彼女を見初めた男の側から無理やり結ばれた婚約に違いない」


 自らの推論を裏付けるため、会話の隙に幾度か適当な理由をつけて常の二人の様子を尋ねてみれば、彼が欲する情報は易々と集まってきた。

 カマセイオンが思ったとおり、今に限らず婚約者との会話の際には令嬢は必ず扇子を広げており、また、明らかに硬い表情や声に変わるのだ、ということだった。

 つい昨年に社交界デビューを果たしたとは思えない彼女の認知度の高さは、もちろん、ポッティツァリ家嫡男と並んでの絵面があまりに衝撃的であるからだろうと、ドッグェス公爵家の三男は一人納得する。


 そう語る彼らの顔が妙に生ぬるさを含んでいたという事実については、見逃したまま。



 そして、無駄に行動力の高いカマセイオンは、一人庭先の風に当たりに出たスルディエナをチャンスとばかりに追いかけて、一方的に自己紹介を始め、彼女を当惑させた。

 これを友のモブナレドが目撃していれば、おそらく彼は額に手を当て、大きく天を仰いでいたことだろう。


「まぁ、ドッグェス公爵家の……。

 それで、しがない伯爵家の娘である(わたくし)に何か御用でしょうか」

「スルディエナ様……あの男は、プルンドル・ポッティツァリは貴女に相応しくない」


 明らかに警戒している様子の令嬢へ、カマセイオンはキッパリと自らの結論を叩き付けた。

 己のそれを正義だと信じきっているがゆえの大胆さである。


「え?」


 突然のことに、唖然と動きを止めるスルディエナ。


「貴女の美しさに溺れたポッティツァリ家の嫡男が、爵位を盾に結んだ婚約であることは想像に難くありません。

 ですが、三男とはいえ公爵家の出である私なら、この理不尽からスルディエナ様を救って差し上げられる……」


 麗しの貴公子が熱く語りかけるが、令嬢の視線は彼のソレとは対照的に、どんどんと冷たさを増していった。


「カマセイオン様、お気遣いには感謝いたします。

 ですが、結構です。

 私はこの婚約を理不尽なものとは考えておりませんので」


 ついに、彼女の唇から誤解のしようもない断り文句が放たれる。

 が、そんな程度で男の暴走が止まるのであれば、友のモブナレドも苦労してはいない。


「今日初めて会った男からの突然の申し出……貴女が私をお疑いになるのも無理はありません。

 しかし、私はスルディエナ様を本気でお救いしたいのです。

 どうか信じて、全て任せては貰えませんか」


 令嬢の言葉を都合の良いように解釈し、なおも主張を続けるカマセイオン。

 顔も身分も文武にも優れた男は、当然のごとく自信家だった。

 だからこそ、己の解釈に誤りがあるなど、彼は思い至りもしないのだ。


「不要であると申しました。

 ……不愉快です、私はこれで失礼させていただきます」

「待っ…………!」


 話にならないと、スルディエナは早々、男との会話を切り上げ立ち去っていく。

 美しき貴公子は、そんな彼女の華奢な背を切なげに見つめ続けていた。



 間もなく、揺れるドレスが室内に消える寸前で、気の抜けるようなノンビリとした声が庭先に響く。


「っあ、ディエナ様。こちらにいらっしゃったのですね」


 プルンドル・ポッティツァリだ。

 瞬間、スルディエナは素早く扇子の裏側に顔面の目から下部分を潜ませる。


「まぁ、ルード様。

 そのように、取り皿をお持ちになったまま無闇やたらと歩き回るものではございませんわ」

「こちらの料理がとても美味しかったもので、ぜひ、貴女にも味わっていただきたくて」

「もう。婚約者であるルード様が不作法をなされば、私の評判まで共に落ちることになりかねないのですよ?」

「……はい、申し訳ありません」

「まったく、仕方のない人ですわね」


 どこか親子のようなやり取りを交わしながら、二人は並んで会場へと戻っていく。

 身分を笠に無理に結ばれた婚約と主張するには、明らかに令嬢の態度が大きすぎるのだが……現状、恋と正義に盲目となっているカマセイオンには、それすらも目覚めの材料にはなり得なかったらしい。


「あぁ、スルディエナ様。愚鈍な男に振り回されて、お(いたわ)しい。

 伯爵家のため健気に耐え忍んでおられるのか……」


 つける薬もないとは、このことである。







「プルンドル・ポッティツァリ! 貴殿に決闘を申し込む!

 スルディエナ嬢の婚約者の座を賭けて、一対一で勝負だ!」


 その後、懇親会にてプルンドルがスルディエナと三度目の合流を果たし、また、同じく扇子が三度開かれた瞬間、ついにカマセイオンは自らの欠点を暴発させた。

 彼の叫びは会場中に轟き、一気にざめわきの広がる群衆の中から、とある苦労人の「うわぁあ、アイツやりやがった!」という絶望混じりの悲鳴が上がる。


「んまっ、(わたくし)あれだけ首を横に振りましたのに。

 まだ、そのような世迷言を」


 当のプルンドルは、まだ事態を把握できていないのかポカンと口を開いて固まっており、また、スルディエナは扇子の奥からマイナスまで温度の下がった凍える視線を横恋慕男へ向けていた。

 と、そこへ、侯爵家嫡男モブナレドが騒ぎの中心を目指しながら懇親会参加者へと大きく声をかけ、膨らみ始めていた異様な空気を一変させる。


「会場の皆さま、大丈夫でーす!

 カマセイオン様のいつもの発作でーーーす!

 毎度お騒がせしておりまーーーーーす!」


 ドッグェス公爵家三男が起こした騒動と知るや、観衆たちの顔に納得の色が混じり、場の緊迫感は急速に緩んでいった。

 知能指数を極端に下げて表現するならば、「なーんだ、またアイツか」である。

 若きのみを集めた会であるからして、彼の存在を知らず首を傾げる人間もいたが、そうした者には近場の親切な紳士淑女が丁寧に説明を施していた。

 カマセイオンの発言をいちいち鵜呑みにして右往左往するのがどれだけバカらしいか、皆、よく理解しているのだ。

 彼の存在を反面教師に、この国の貴族たちは情報の裏を取る大切さ、噂レベルの話を軽率に広めることがどれだけ危険な行為であるかを学んでいる。

 とはいえ、この公爵家の貴公子が自国の貴族連中から疎まれたり、蔑まれたりしているという事実はほとんどない。

 短慮であることを除けば、彼は品行方正かつ誠実な青年でもあり、爵位を笠に着ないが、必要な場面ではそれを利用するだけの柔軟さも持ち合わせている。

 ドッグェス公爵家の三男について、「彼の話は聞き流せ、しかし、何かあれば彼を頼れ」というのが、貴族間で合言葉のように広まっていた。


「おい、モブナレド。発作とはどういう意味だ、私は真剣に……」

「はいはいはい、君は目の前の問題に集中して集中」


 周囲の反応の意味も解さず、友のパフォーマンスにムッと眉を寄せて言及するカマセイオン。

 が、モブナレドは手慣れた様子でセリフを受け流し、彼の背を押し正面に向き直らせた。


 二人の視線の先では、ようやく状況を飲み込み再起動を果たしたプルンドルと、相変わらず扇子を開いたままのスルディエナが、身を寄せて、小声で何やら言葉を交わしている。


「ルード様。このような不毛な決闘、もちろんお断りしていただいて……」

「いえ、受けましょう」

「え? なぜですの?」

「愛しい人を賭けの対象にされては、男として黙ってなどおれませんよ。

 ディエナ様……婚約者の名にかけて、貴女をお守りする栄誉を僕にお与えください」

「まぁっ」


 珍しく口角が下りぎみのポッチャリ婚約者に、美貌の令嬢はパチクリと瞼を瞬かせた。

 最後に小さく頷いてから、彼は麗しの貴公子に常の締まりない笑みを見せ、堂々と宣言する。


「カマセイオン殿……その決闘、お受けする」

「よくぞ言った!」


 プルンドルの返答に、カマセイオンはパンと手をひとつ叩いて歓喜した。


「安心したまえ、さすがに命のやり取りまで行うつもりはない。

 また、当主でもない我々が無闇に両家の名を負う必要もないだろう。

 あくまでプルンドル殿と私、個人間による簡易決闘を行うものとする」

「異論はありません」


 なぜか麗しの貴公子が一方的に条件を定めているようだが、これは珍しい光景ではない。

 正式な決闘であっても、実際のところ、身分差によって片側が優位となるルールを押し付ける行為が当たり前に蔓延(はびこ)っている。

 相手は王家に次ぐ権力を持つドッグェス公爵家の人間であり、もし、ここで凄惨な殺し合いを求められたとて、侯爵家の嫡男に断る選択肢は存在しなかった。

 ただし、今回に限っては、正義の信奉者であるカマセイオンが相手であるので、どう転んでも勝負に公正さの欠ける内容には成り得なかった、というだけだ。


「……婚約者の座をかけるのなら、個人で済む問題ではないと思うんだけどなぁ」


 友の背後で、モブナレドが溜息交じりの呟きを零す。

 もちろん、一番聞かせたい人間にそれが届くことはない。


「うむ。そうと決まれば場所を移すか。

 衆目環境で貴君を嬲り、(いたず)らに名誉を貶めるのは本意ではないからな」

「……この衆目環境の中、公爵家の醜聞となりかねない内容で決闘宣言などした時点で、セイオンの名誉はすでに一段落ちているけれどもね」


 すかさず飛ぶゼンデアール侯爵家嫡男からの辛辣な合いの手。

 が、やはり貴公子の耳には入らない。


「関係者のみで速やかに決闘を行えるよう、コンシンスキー伯爵に場を提供してもらおう。

 ついて来たまえ」


 言いたいことを言って、公爵家の三男は一人さっさと歩き出した。

 最上の貴族家に生まれた者として、必然と身に付けた傲慢である。


 体型から敵を侮り、自らの勝利を妄信するカマセイオンの態度には、友の溜息も更に深いものとならざるを得なかった。




 そうして移動した修練場にて、カマセイオンとプルンドルの二人は正面から向かい合う。


「一応、簡易とはいえ、正式な決闘の作法に則り代理の者を立てることも可能だが?」

「お気遣い無用です。僕は……負けませんから」


 普段のヘラヘラとした笑みを引っ込めて、真顔で模擬剣を構えるマシュマロ男子。

 観戦者は場を提供した壮年の伯爵と、万一の用心である医師と私兵が数人、賞品のスルディエナ、そして、モブナレドだ。


 尊い身分の子息らに囲まれて、伯爵は止まらぬ冷や汗を流している。

 ここで彼らに大きな怪我でも負わせれば、それを止められなかったコンシンスキー卿の責任問題となりかねない。

 各家からの抗議文が届き、最悪、物理的に首が飛ぶ可能性すらあった。

 とんだ、とばっちり案件である。


 卿の胃痛を余所に、当事者二名は互いに闘気を漲らせていく。


「その様な弛み切った体で……怪我を負っても知らんぞ」

「御心配には及びません。

 一応これでも武の名門、ポッティツァリの跡継ぎですので」

「……ふっ、顔に似合わず言うではないか。その意気や良し!

 いざ、参る!」

「えぇ、どこからでもどうぞ」


 そして、決闘は始まった。

 言葉通り、まず貴公子が矢の如く駆け出し、その勢いのまま正面から一合。

 からの、鍔迫り合い。

 直後、カマセイオンの目が驚きに見開かれ、瞬間、プルンドルは腕を振りぬき、彼を押し飛ばした。


「くっ!?」


 地に擦れる長い両足が土ぼこりを盛大に上げている。

 整った顔に焦りの色を濃く滲ませつつ、カマセイオンは崩れた体勢を急ぎ立てなおす。

 そこには明らかな隙が生じていたが、プルンドルは追撃せず、再び無言で剣を構えるだけにとどめていた。


「なるほど、単純な力では貴殿に軍配が上がるか。

 だが……これならどうだ!」


 再び駆けて、今度は怒涛の連続突きを放つ貴公子。

 しかし、対するポッティツァリ家嫡男は至極冷静な態度で、時に躱し、時に流し、時に弾き、何十と繰り出される攻撃の全てを余裕の内に捌ききってしまった。

 徐々に腕が痺れ、息は上がり、ついに次の手を出す余裕のなくなったカマセイオンのその首へ、静かに刃がそえられる。


「武のポッティツァリ侯爵家、嫡男プルンドル。

 生まれ持つ体型には恵まれずとも、鍛錬を怠った日は一度とてありません」


 プルンドルは、そのふんわりプヨプヨボディからは想像もつかない、動ける系ぽっちゃり男子だったのだ。


「そこまで! 勝者、プルンドル・ポッティツァリ!」


 立ち合い人である伯爵から、闘いの結末が高らかに宣言される。


 まさかの敗北に、未だ荒い呼吸ながら両膝を地に落としてガックリとうなだれるカマセイオン。

 プルンドルはゆったりとした動作で構えを解き、剣を腰の鞘に納めた。


「ルード様っ」


 そこへ、相変わらず扇子で顔を隠したスルディエナが、早足で決闘勝者の傍へとやって来る。


「勝ちました、ディエナ様」

「ええ、ええ。見ておりましたわ」


 そんな二人の会話を耳にし、貴公子は両の拳を強く握って震わせた。


「う……嘘だ……こんな、ことがっ」


 数秒後、勢いよく顔を上げ、彼は必死の形相で叫び散らす。


「スルディエナ様! その様な男と無理に添い遂げる必要はない!

 かくなる上は、私と逃げましょう!」

「っおい、セイオン!」

「止めるなモブナレド! 彼女を救うためなら私は……っ」


 令嬢に続いて二人の元へ近付いてきていたモブナレドが咄嗟に友を窘めるも、案の定、カマセイオンが聞き耳を持つ様子はない。

 と、そこへ、この場で唯一の女性の声が大きく轟いた。


「っいい加減になさいませ!」


 ついにスルディエナの堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。

 続けて、彼女の不敬甚だしい本音が、蠱惑的な唇から湯水の如く溢れ出てくる。


「独りで勝手なことばかりおっしゃって……もう許せませんわ!

 仮にも決闘の場で手も足も出ず敗北したくせに往生際の悪い!

 そもそも、相応しくないだの理不尽な婚約だの、貴方、(わたくし)のプルちゃんに失礼ですのよっ!

 こんなにも可愛らしくて格好良くて強くて優しい彼を、よく知りもせずバカにしてくれて!

 謝罪を要求しますッ! そのまま地に額を擦り付けて謝りなさい!

 もちろん、相手は私ではありませんわよ!」

「わぁっ、エナちゃん落ち着いて。彼はドッグェス公爵家の御子息様だよっ」

「だって、プルちゃん! あの人がぁっ!」


 過激な発言内容に、慌てて婚約者の肩を抱き、自身より後方に下がらせるプルンドル。

 気位高き美貌の令嬢の変貌ぶりは凄まじく、男性陣は揃って当惑した表情で固まっていた。


「ぷ……プルちゃん……?」

「強くて優しいはともかく、可愛らしくて格好良いはちょっと、どうかと……」

「敗者にかける言葉として、あまりに惨い……彼女に人としての情けはないのか」


 上から、カマセイオン、モブナレド、コンシンスキー卿のセリフである。


「しかし、プルンドル殿の前ではいつも扇子を広げていらっしゃって……あれは、嫌悪を隠すためではなかったのですか」


 カマセイオンが呆然と問えば、瞬間的に頬を赤くしたスルディエナが、どこかモゴモゴと気まずげに己の行動の真意を口にする。


「それはっ……!

 プ、いえ、ルード様のお傍にいると気持ちが浮ついてしまって、淑女らしからぬ緩んだ顔と声を晒しそうになるからと、必死に堪えているだけです。

 嫌悪などと、とんでもない話ですわ」

「えぇ……?」


 まさかの理由に、貴公子の眉尻が分かりやすく下がった。


「あー、もう、だから言ったのに。

 いい加減に認めなよ、セイオン。

 彼らは相思相愛で、君の入る隙間なんかどこにもありはしないんだって。

 失恋のヤケ酒なら、僕が付き合ってあげるからさ」

「…………モブナレド」


 肩に手を置き、同情の視線を向けてくる友へ、カマセイオンは目に見えて落ち込んだ表情を晒す。


「私が……間違っていたのか……?」

「うん、そうだよ」

「ふっ、そうか……そう、だったか」


 顔を俯かせ、頼りなげなく胸まで引き上げた両手のひらをジッと眺めながら、自らを嘲笑うかのように貴公子はそう呟いた。

 悲壮な様子に誰もが沈黙し、しばし、気まずい空気が場に流れる。


 それから、一分も経たない内に、キッパリと感情の始末をつけたのか、はたまた強がりであるのか、彼は元の端正さを取り戻して、再びプルンドルへと真剣な瞳で対面した。


「……プルンドル殿、私の愚かな勘違いで多大な迷惑をかけてしまったな。

 誠に申し訳なかった。

 この詫びはドッグェスの名にかけて、後日改めてさせていただく」


 短慮な男だが、一度己の過ちを認めてしまえば、潔く受け入れるだけの器はあるのだ。

 彼のそうした事実は広く知れ渡っており、プルンドルも公爵家の三男から謝罪を受けてしまったなどと、大仰に驚くことはなかった。


「いえ……僕はそう、迷惑であったなどとは思っておりませんから。

 改めて謝罪いただくようなことは何も。

 ディエナ様にも久方ぶりに良いところをお見せできましたしね」

「まっ、ルード様ったら。冗談が過ぎましてよ」


 敢えて、軽い調子で返すことで、侯爵家の嫡男は問題の深刻度を下げ、発生した事態そのものをこの場限りで水に流そうとする。

 そうした意図を察したモブナレドが、自らにも都合が良いと、即座に彼の援護射撃に回った。


「セイオン。言葉だけでは君の気が済まないのは分かるけれど、ドッグェスの立場から正式な形で詫びなど入れれば、逆に各家を巻き込んだ問題となり、彼らの迷惑になりかねないよ」

「む。そういうものか」

「そうそう。今度こそ、友からの忠告を聞いて、大人しくしておくんだね」

「……ままならないものだな」

「貴族なんて、そんなものだよ。

 とりあえず、懇親会を無用に騒がせたんだから、伯爵にも謝罪しておいで」

「ん、あぁ、そうだな」


 カマセイオンを納得させ、自然とこの場から引き離したゼンデアール家の嫡男は、次いで、プルンドルへと苦笑いを見せ、こんなことを口にする。


「彼の友の立場として、僕からも謝罪させて欲しい。

 カマセイオンの暴走を止められず、申し訳なかった。

 その……図々しいようだが、決闘の顛末については、あまり吹聴せずにいただけると助かる。

 どうか、この通りだ」


 そう告げて、深く(こうべ)を垂れるモブナレド。

 想定外の事態に、ポッチャリ男子は今度こそ慌てて首を横に振った。


「っモブナレド殿、どうか顔を上げてください。

 元より、僕にそんなつもりはありませんから」

「ルード様のご活躍を友人に自慢できないのは残念ですが、この場合、仕方がありませんわね」

「……すまない、借りはいつか必ずお返しする」


 すぐに体を起こし、神妙に頷いて、彼は更に続けて言の葉を紡ぐ。


「セイオンも、悪い男ではないんだ。

 例えば、今回の騒動、本当に彼の妄想通りに理不尽な婚約があったとして……それを救った後、もしスルディエナ嬢にセイオンの他に想う男がいると発覚すれば、彼は苦悩しつつも最後は潔く身を引いただろう。

 己の正義を成すのに、本来、見返りを求める男ではないからね。

 貴族としては足りないものだらけだが、彼の向こう見ずな行動力によって、実際に救われた者も少なくはない。

 まぁ、迷惑をかけられた側である君たちには関係のない話ではあるだろうけれど…………うん。

 うん、そうだな。すまない。無駄な語りを聞かせてしまった。

 唯一無二の親友が勘当でもされやしないかと、僕もつい必死になってしまっていたようだ」

「そう、ご心配召さらずとも。あの御方に思うところなどございませんよ」

「ルード様へ謝罪もいただけましたし、(わたくし)も、もう気にしておりませんわ」

「ありがとう。貴君らの温情に感謝を」


 表面上は穏やかなようだが、話を要約すると、もし友を害するようなら自分を敵に回すぞという、遠回しかつ貴族的な牽制であった。

 代々監査長官の役職を王家から賜り、疎まれながらも国内全ての貴族を見張って、悪を暴き、裁きの場へと引きずり出す立場にあるゼンデアール侯爵家に目を付けられたい者などいない。

 プルンドルとスルディエナもしっかりと裏を察して、未来に起こりうる危機を華麗に回避した。


 カマセイオンが傷つけられないよう、悪意持つ者に騙され利用されないよう、常にフィルター役を買っているのが、このモブナレドを筆頭とする非公式の親衛隊メンバーだ。

 そうやって、本人の与り知らぬところで脅威を排除したり、尻拭いをしたりしているから、いつまでもドッグェスの三男が成長しないのだという事実を、彼らは分かってやっているのか、いないのか。

 ちなみに、この男、少々友情が行き過ぎているようだが、だからといって、ゲイやバイであるということはない。

 未だ独身で婚約者もいない公爵家の三男と違い、その友には三歳年下の可憐なお嫁さんがいて、先頃生まれた赤子共々、目に入れても痛くないほど可愛がっている。

 ゼンデアール家の者だという色眼鏡で遠巻きにすることも邪険にすることもなく、フラットに接してくる友を、彼は殊の外、気に入っているのだ。


 間もなく、伯爵を引き連れたカマセイオンが戻ってくれば、同じタイミングで、そうだと両手を合わせたスルディエナが、小首を傾げて一つの提案を唇に乗せる。


「ルード様。

 (わたくし)の紛らわしい行動が原因で騒がせてしまった代わりというわけではございませんが、会場で一曲ダンスを披露するのはいかがかしら」

「ええ、僕は構いません」

「おお、それは良いですな! すぐに楽団を手配いたしましょう!」


 彼女の言葉に、真っ先に反応したのはコンシンスキー卿だ。

 彼は年甲斐もなく目を輝かせて、早速、私兵を走らせている。


「ありがたい。

 陛下公認の御二方のダンスであれば、此度の参加者の話題もそちら一色に塗り替えられることでしょう」

「……陛下公認??」


 笑みを浮かべて頷くモブナレドの横で、唯一事情を知らないカマセイオンが頭上にいくつも疑問符を並べていた。





「僕が最初に衝撃だったと言ったのは、このダンスのことだよ。

 陛下を筆頭に、彼らのファンは数えきれないほど存在する。

 もちろん、僕も含めてね。

 そもそも、ダンスを見れば彼らが想い合っていることも、誰が一番彼女を美しく輝かせることができるのかも、一目瞭然なんだ」


 再び懇親会の会場へと戻った貴公子二人は、グラス片手に、急遽確保されたスペースの中央にてホールド状態で曲の開始を待つ凸凹カップルを眺めている。


 やがて、楽団の演奏が響き、熱気と興奮が渦巻く中、二人のダンスが始まった。

 そして、すぐに、カマセイオンは心から仰天することになる。


 残像さえ残る、高速かつ複雑なステップ。

 時折繰り出される片手リフトなどの大技。

 そのままプルンドルが彼女を宙に放れば、妖精の女王さながらにスルディエナが飛んで舞った。

 ふわりと半回転して降り立つ場にはすでにマシュマロなパートナーが控えており、着地の補助に片手が添えられる。


 曲芸のようなソレに対し、はしたないと眉を顰め窘める者はいない。

 常の冷たい美貌から一転、頬を上気させ、控えめながら楽しくて仕方がないといった微笑みを浮かべ、華麗にホールを泳ぎ踊るスルディエナに、誰もかれもが見惚れていた。


 プルンドルだけではない、彼女もまた驚異的な身体能力の持ち主であったのだ。

 そして、貴族女性としては持て余すはずのその能力を許容し、更に引き立てるだけの度量と実力を、プルンドル・ポッティツァリという男は兼ね備えている。


「……彼女を表面しか知らぬ私に、最初から勝ち目などあるわけがなかったのだな」


 夢の時はあっという間に過ぎ去り、会場の中心で二人が堂々歓声を浴びる。

 そんな彼らへ、カマセイオンは清々しい表情で、誰よりも盛大な拍手を送った。




 ここに一人の貴公子の初恋が、儚くも終わりを告げたのである。




「それで、いつ飲みに行こうか?」

「痴れ者め。妻と幼子の待つ屋敷に、酒の臭いをさせて帰るヤツがあるか。

 ヤケ酒なら、独りで済ませるさ」

「……君、本当、そういうところだからね」




 おしまい。




おまけ(という名の仲良し凸凹カップルのイチャイチャ成分補充)



◇スルディエナがプルンドルを自室に招いて二人きりになった時の会話


「プルちゃーん、ぷーるぷる♪」

「エナちゃんは僕の頬をつつくのが本当に好きだねぇ」

「だってぇ、癖になる触り心地なのですもの。

 ……ご迷惑でした?」

「まさか。エナちゃんから触れられるのは嬉しいよ。

 むしろ、もっとやって欲しいぐらい」

「まぁ、プルちゃんったら」




◇お見合いの場(当時、十三歳と十二歳)にて、二人きりで庭を散策させられた時の会話


「プルンドル様、そのように脂肪を蓄えたお体では今に健康を害しましてよ。

 (わたくし)を結婚早々未亡人になさるおつもり?」

「これは手厳しい。

 仮にも武家の男ですから、僕も人並み以上には鍛錬の日々を送っていると思うのですが……どうも痩せにくい体質のようで。

 医師によれば、こんな体型でも特に健康面に問題はないとのことで、スルディエナ様の懸念は杞憂に終わると思われます。

 ということで、あとは、この冴えない見目をどうにか堪えていただければと……」

「あら。お元気でいらっしゃるなら、よろしいのよ。

 穏やかなかんばせも、ふわふわしたお体も、眺めていて心が落ち着きますもの」

「そんな風には初めて言われたなぁ」

「……貴方こそ、女の私が生意気な口をきいても怒りませんの?」

「スルディエナ様は、悪意でおっしゃっているわけではないでしょう?

 それに、女性の機微には疎い方なので、むしろ、ハッキリと意思を示していただけるのは助かります。

 うん。僕は、スルディエナ様のその性質を好ましく思いますよ」

「ま、まぁ」


~そして、婚約成立へ~



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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく優しい気持ちで読了後 作者さんの名前を見て野豚はまさか比喩ではなく本当に豚だった…?! と戦慄し シリーズ一覧を見てほっとした 物語より心を動かされました()
[良い点] 好き
[良い点] 優しい人間関係でほのぼのしました。カマセイオンさんにも素敵なしっかり者の婚約者ができますように。
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