7話:疑ってかかるべきですよ
俺とプリコット(気絶しているが)は、切り離された馬車の荷台で夜を凌いでいる。
プリコットは荷台の中におり、気持ちだけでもと、売却用の本と俺の白いローブで彼女をくるんでいる。すなわち、俺はしわくちゃになった夏服コーデなのだ。バカ寒い。
念のため、プリコットの杖は俺が回収している。
俺はというと、荷台の周りに配置した《黒炎》を見張るべく、荷台の屋根の上であぐらをかいている。
砂漠の夜は非常に寒い。最悪の場合、砂漠で凍死できるほどの寒さらしい。
この問題は、『絶対に消えない炎』こと《黒炎》があるので大丈夫なのだが。
もう一つ、そして最も解決すべき課題は、『食糧難』である。
最初に訪れた町で本を売り飛ばして、買い物ができる時間さえあれば、こんなことに頭を悩ませたりはしない。
まあ、あんな盛大な拍手で送り出されたら「待ってください」などとは到底言えない。
「……腹減ったし、喉も渇いたな」
そうため息をついていると、『じゃあ喋って口を乾かすな』とマルテに反論された。
そんなことを考えていると、下からプリコットの声が聞こえてきた。
「……フトさん」
その声が聞こえてきた瞬間、(後で説明するとはいえ)念のため《黒炎》を消しておいた。
そう言って荷台から這い出てきたプリコットが、俺のローブを荷台の上に投げてきた。
「おまえ、その格好寒くないのか?」
そう言われてから、プリコットは自分の服装に目をやる。
彼女のローブは焼却済みで、ミントグリーンの下着と子供っぽいパンツが露わになっている。
それに気づくと、プリコットは慌てて再び荷台に戻っていき、もう一度姿を現したときには、黒紫の新しいローブに身を包んでいた(魔女の三角帽子はないが)。それとともに、彼女の手にはストローのようなものが1本と、きつね色の円盤が2枚、そして木製のボウルが抱えられていた。
プリコットが荷台に登りたそうにしているのを見て、俺は彼女のほうに手を差し伸べた。
プリコットはフリスビーくらいの大きさがある円盤とボウルを左手に持ち替えてから、俺の手をとって荷台の上に上がってきた。
プリコットは屋根に腰掛け、少し厚みのある円盤をこちらに差し出してきた。
「……なんだ、くれるのか?」
プリコットは口には出さなかったが、受け取れと言わんばかりに円盤を渡してきた。
「これ……なんだ?」
俺の質問に対して、「からかうのもいい加減にしろ」とでも言いたげな目をしていたが、この質問が本気なのだと気づくと、プリコットは静かに説明してくれた。
「……これはですね、『ブレッド』って言うんですよ。粉々にした麦だとか水とかなんだとかを混ぜて伸ばして窯で焼くんです」
ブレッドと彼女は言っているが、その製法からして、恐らくこの円盤はカンパンだろう。
それなら非常にありがたいのだが、でもなぜ俺に分けてくれるのだろうか。
そう聞くと、彼女はブレッドをかじりながら言った。
「お腹が空いていると、頭に血が上ってしまいますからね。あなたの言い分を聞こうと言う、私なりの努力ですよ……それにこれは、謝罪でもあるので」
なるほどと思いつつ、俺はブレッドにかじりついた。
そういえば、なぜこの世界の人たちは英語で話しているんだ?それに『ブレッド』だって??……考えようとしたが、脳に栄養が足りておらず、これ以上は頭が回らない。
半分くらい食べ進めた頃だろうか、俺は喉の渇きに殺されそうになっていた。
それを見かねたプリコットが、俺にボウルを差し出してきた。
「ゲホッ……それで何を、しろと……ゲホッゲホッ……」
「持っていてください」という指示に従い、俺はボウルを両手でしっかり持った。
するとプリコットがボウルの上にに手をかざして、《ウォーター》と唱えた。
そして、彼女の指先から小さなホースのように、水が出てきた。
水はボウルを満たしていき、数秒もしないうちに満タン近い水が溜まった。
俺はそれを一口で飲み干し、生命の危機から脱したのだった。
「……そういえばこれって、衛生管理しっかりしてるんだろうな?」
「人から貰ったものにケチつけないでください……さて、私は食糧と水を提供しました」
恩着せがましいな、この赤毛。
といっても何を渡そうか。
大抵の魔導書は読破しているんだろうなと悲観していると、プリコットは俺にこう言った。
「あなた、何か隠し事してますよね?それを話してください」
そしてプリコットは、いつの間に奪いかえしたのか、木製の杖をこちらに向けてきた。
これにはマルテも苦笑い。『言うしかないだろ、少しでも生きたいならな』と、マルテが無責任なことを言ってきた。
「……わかった、話すから」
俺は異世界転移をしたこと、遺跡で2ヶ月間読書をしていたこと、魔族であるマルテが体内にいること、俺の目的が『魔王討伐』ではなく『魔王と対話すること』だということなどを中心に伝えた。もちろん、隠し事など一切していない。
「……てことなんだけど」
一通り聞いたプリコットは、はじめは信じられないといった表情をしていたが、次第に納得したかのように頷いていた。決め手となったのは、焚き火を《黒炎シャボン》で再点火させたことだろう。
「……そうですか」
その一言は、「遺言は以上ですか?」ともとれて非常に恐怖した。
「ま、待ってくれ……べべべ別に戦う気は一切なくてですね?俺はただ帰りたいだけでありまして、ね?」
そりゃそうだよな、魔族がいるんだもん。ここで殺さない手はない。いや、『裏切り者退治』に正当性がついたと言ったほうがいいのか。
ブレッドを食べ終わると、プリコットはボウルの水を飲み干してからこう言った。
「……10パーセント」
暴力を振るわれると思っていた俺は、いきなりの数値に肩透かしを喰らった。
「へ、何が??」
「あなたがお兄さまの邪魔をする『裏切り者』である確率です」
うわ、まだ払拭しきれてなかったのか。
そんな顔をしていると、プリコットは荷台の屋根に寝そべってから言った。
「何事にも疑ってかかるべきですよ……いつか信じなきゃいけないことになるとしても」
「……はあ」
大きくため息をつき、俺はプリコットの隣に寝そべった。
今は完全に信じてもらえないにしろ、あからさまな敵ではないと思われていることに俺は安堵している。
……星が綺麗だ。
周りに光がないからなのか(《黒炎》で生成される炎は黒っぽい)、久しぶりに気持ちが安らいでいるからなのか、いつもより星が輝いて見える。
いつか先輩と一緒に見たいな、などと考えていると、不意に眠気が襲ってきた。