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終わらない祈り  作者: 上野暢子
4/4

4 祈り

 裕美の所に行ってから数日は、受験勉強が手につかなかった。机に向かっていても裕美のことが自然と浮かんで、勉強に集中することが出来なかった。

 昨年の夏、裕美の家に泊まりがけで出かけ、三人一緒に勉強したのを覚えている。分からないところは教え合い、裕美と初子のおかげで本来なら苦しいはずの受験勉強が数倍楽になったと小百合は思っている。あれから半年経たずして、裕美がいなくなってしまうなんて、信じられない。

 受験勉強がはかどらないもう一つの理由は、どの大学に出願すべきか迷っていたこともある。

 地震が来るまで、小百合の第一志望は神戸市灘区にある神戸大学だった。神戸大もまた被害を受けていて、学生が三十九人も亡くなっている。また、灘区は家屋の八割が倒壊したと聞いている。

 芦屋や東灘区の惨状を見た小百合は、こんな時に神戸にある大学にわざわざ出願しても大丈夫だろうかと思った。

 第一に入試が行える状況なのだろうか。第二に、入試が行われたとしても、電車が復旧していないので、吹田から歩いて神戸まで試験を受けに行かなければならない。第三に、たとえ合格しても授業がちゃんと行われるのだろうか。気にし出すと次から次へと、心配事が浮かんだ。

 小百合は大阪市立大と神戸大のどちらに出願すべきかを散々迷った挙句、神戸大に出願した。

 願書を出してからしばらくして、神戸大から郵便物が届いた。それは、神戸大も入試は例年通り行うというお知らせと、受験地を選択するよう指示するものだった。JRや私鉄の復旧に時間がかかっており、大学の周辺以外の地域からのアクセスが出来なくなっているからだ。大学側は、「岡山大、神戸大、大阪大」のいずれか受験したい場所を選んで丸をつけ、返送するように求めて来た。小百合は大阪大を丸で囲み、返送した。

 初子は大阪大に出願した。初子の入試の次の日に小百合の入試があることになった。

「初ちゃん、頑張ろうね。裕美が生きてたら、初ちゃんと同じ学部受けたいって裕美、言ってたやんね」

「よく覚えてるなあ。そんなこと言ってたっけ?裕美の分まで頑張らないとね。今日から毎日徹夜だー!」

「無理無理。やめとき。体壊すだけやで」

と小百合が言うと初子は笑った。裕美があの世に旅立ったと知ってから、初めて笑った。

 小百合と初子は再び、一緒に勉強する時間を持つことにした。放課後、二人で勉強していると、そこに裕美がいるような気が小百合はしていた。時々、裕美がまだ生きているのではないかと思う時もあった。

 小百合も初子も出願していた大学に無事合格し、それぞれの道を歩み始めた。


 あれから二十年。地震が起ころうと何が起ころうと、時間だけは正確に時を刻み続け、二人は三十八歳になっていた。裕美だけが、永遠に十八歳だった。

 初子は結婚して名字が村井から池上に変わり、子供が一人いた。小百合はまだ独身で、結婚の予定もなかった。

この二十年めまぐるしく世の中は動いた。初子や小百合が体験した阪神淡路大震災は、関西以外の地域では記憶の片隅に追いやられてしまったように小百合には感じられた。

震災の二カ月後に起こった地下鉄サリン事件のインパクトが大きく、報道も震災からサリン事件の方へと注目が移っていってしまった。また、二〇十一年には、二万二千百九十九人もの死者・行方不明者を出し、原発事故を引き起こした東日本大震災が発生し、阪神淡路大震災は完全に過去のものだと忘れ去られたように小百合には思えた。

「でも私は」と小百合は思う。

「あの日々を―生まれて初めて経験する激しい揺れに恐怖した日、裕美を探して初子と歩いた日、廃墟の中を歩いて通学した日、復興していく神戸で一大学生として過ごした日―その日々を決して忘れはしない」


 阪神淡路大震災によって失われた六千四百三十四人の人々に改めて祈りを捧げる。



令和元年(二〇十九年)八月二十七日


阪神淡路大震災についてずっと書きたいと思ってきました。それまでの私の価値観を変えてしまうほど大きな影響を及ぼしたからです。この物語の主人公たちと同じ高校三年のときに大地震は起こりました。そして、震災の影響は一時的なものではなく、現在に至るまでずっと続いています。私にとって、阪神淡路大震災は過去のものではありません。

しかし、物語の中にもあるように、人々の心の中からこの地震は忘れ去られていきました(この地震に限りませんが)。私もあれから二十四年の月日が経ち、細かいことは忘れてしまいました。忘れることで人間はネガティブな感情を捨てることができ、人生を歩んでいけるのだということを身を持って知ることができました。

たったこれだけの物語ですが、やっと書くことができて安堵しています。もっともっと書きたいことはあったのですが、記憶が断片的すぎてうまくつなげていくことができませんでした。それで、物語を一旦、ここで終わらせることにしました。また、書き続けることができる日が来るかも知れないと思っています。

自然災害で亡くなられた方々に祈りを込めて




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