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終わらない祈り  作者: 上野暢子
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2 1月17日

小百合と初子と裕美は大阪府北部に位置する吹田市(すいたし)で、同じ中学の出身だった。小百合と初子は高校も同じだったが、裕美は中学卒業と同時に神戸市東灘区へ転居し、高校三年の一月十七日に被災して亡くなった。

「ずっと吹田にいたら良かったのに」

というつぶやきが、思わずこぼれ落ちる。

 吹田も相当な揺れだったから決して安全だったとは言えない。でも家がつぶれて圧死するなんてことはなかったと思う。

 小百合は改めて忘れもしない一九九五年(平成七年)一月十七日の早朝を思い返していた。


 皆が寝静まっているまだ真っ暗な五時台に地震は起こった。

 ドン!という経験したことのない衝撃に目を覚ました。それに続く激しい揺れ。小百合は最初、何が起こっているのか分からなかった。ガタガタという音、キイキイという家のきしむ音を耳にして初めて「これが地震なのだ」と驚いた。

 それまでに経験した地震よりはるかに強い揺れだ。家が倒れてしまうかも知れない。すぐ横にある箪笥が倒れて来るかも知れない。小百合は学校の避難訓練で教わった通り、何とか、机の下に潜り込むことができた。揺れはまだ続いている。

「一体、いつ止まるのだろうか?」

「止まらなければ・・・・・私は死ぬかも知れない」

机の脚につかまりながら、揺れが収まるのをただ願った。のちにこの揺れがたったの三十秒だったと知って驚くことになる。揺れはやがて止まった。恐る恐る机の下から這い出る。何とか生きている自分にほっとする。しかし、この時、すでに四千人近い人々、そして大事な親友の尊い命が失われてしまったことを小百合はまだ知らなかった。

 リビングに出て行くと、血相を変えた母が、食器棚から飛び出して、無残にも割れた食器類の山の前で立ちつくしていた。これだけでも、明らかに今までの地震とは違うことを物語っていた。

 父がテレビをつけた。

「震源は淡路島北部の模様。マグニチュード七・三」

しばらくテレビをつけていると、段々色々な情報が分かってきた。アナウンサーは各地の震度を読み上げた。

「震度四の地域は次の通りです。大阪府高槻市、茨木市、吹田市・・・」

「たった震度四!?」

私たちは叫んだ。

 何度か経験している震度三の地震では、食器一つ割れず、揺れの程度も随分小さかったのに、ほんの一ランク上がっただけで、ここまで揺れにあおられ、恐怖心が沸き、割れた食器が山積みになるなんてなんだか腑に落ちなかった。

 足元がふわりふわりと揺れ動く。余震だ。

 父が会社の人にかけようと電話の受話器を上げたが、何の反応もない。番号のボタンを押しても反応しない。この日から三日間、この家では電話が使えなくなった。

 当時は携帯電話を持つ人は少なく、安否確認のために電話するなら、公衆電話でかけなければならなかった。公衆電話の前には長い列が出来た。

 いつの間にか夜が明けていた。父はとっくに仕事に出て行ってしまっていた。しかし、三十分後、家に戻って来た。

「バスが来ない」

ここまで大きな地震だったので、バスも遅れているのだろう。父は自転車に乗って会社へ再度向かった。

 母は危険ゴミと化した食器類の掃除を黙々としていた。

 幸い、台所では食器類以外の被害はモノが落ちた程度で済んでいた。小百合は食パンを焼いて食べ牛乳を飲んだ。そして、いつも通りの時間に学校へ向かった。自転車に乗り、大きな道路に出てみてすぐに気付いた。どの信号機も赤の点滅だということだ。そして道のところどころにひびが入っている。

 小百合はいつも通りの時間に学校に到着した。教室のドアを開けてびっくりしたのは、授業開始十分前にも関わらず、教室にいたのが二、三人だということだ。

 いつも通りに八時四十分、始業のベルが鳴る。担任の仁科先生が教室に入って来た。

「大きな地震でしたね。その影響で交通機関が遅れているかも知れないので、今日は九時始まりになりました」

 その時、ハアハア息を切らしながら教室に入って来たのは、初子だった。初子は普段、電車で通学している。今日は頑張って自転車で来たのだろう。初子は言った。

「先生、今日は阪急もJRもバスも運休みたいです」

「え!?」

インターネットという便利なツールが普及される以前の話だ。テレビかラジオの情報が頼りだった。先生は確認のために職員室へ戻って行った。

 そして、十時頃、学校は休校になることに決まった。

「えー、休校?四十五分もかけて自転車で来たのに」

と初子が言う。

「初ちゃんの家、遠いもんね。もうほとんど豊中やもんね」

と小百合は言った。

「豊中は吹田より揺れが大きかったみたいやで。倒壊した家もあったみたい。テレビで言ってた」

「へえー。それにしても、こんな大きな地震、大阪とか神戸で起こるなんて想像もできへんかったわ」

「ほんまにそうやわ。誰が言ったんやろ。『近畿には大きな地震は来ない』って」

「地震といえば、東海地方が危ないってそればっかりで、こっちは手薄やったからなあ」

関東大震災(大正十二年、一九二三年)を経験した関東地方では、学校で徹底的にその震災について教育されていると聞く。

 しかし、近畿では、「大地震は近畿では発生しない」と歴史的に見ても根拠のない言葉がひとり歩きし、人々を無防備にさせた。小百合や初子だけでなく、恐らく、この地方に住む人誰もが、戦後最悪の自然災害(東日本大震災が起こるまでは)がまさか自分の住んでいる所で起こるだろうとは思っていなかっただろう。何の心の準備もなかった人々は大きな衝撃を受けていた。


 小百合はまた自転車に乗って復旧しない信号機に目をやりながら自宅へ戻った。途中までは初子と一緒だった。

自宅ではテレビがついていて、割れた食器の片付けを済ませた母が見入っていた。

 小百合が驚いたのは、この地震で人が亡くなったこと、それも半端な数ではないということだ。千人、二千人、三千人と千人単位で、報じられる死者の数は増えていった。そして、地震の起こった一月十七日だけで五千三十六人が亡くなった。小百合は凍りついた。たった一日で五千人もの人々の命を奪った地震のすさまじさが身にしみた。

 しかし、その五千三十六人の中に自分の親友が入っていることを小百合は未だ知らなかった。

 このようにして、一月十七日は暮れて行った。暗い夜空に浮かぶ月は満月だった。


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