第一話
刀に血を吸わせる話
刀が泣く。
「ああ、分かったから焦るな」
カナタが刀に言う。
刀が泣く夜がある。
満月だったり、仏滅だったり、嵐の日など周期的にやってくる。
狩りで動物の血を吸わせてやるか、山賊とで出くわし一端戦い血を吸えば大人しくなる。
刀は血に飢えている。
いつだったか、刀に血をやらなかった時期が続いたら泣き声がうるさすぎて敵わなかった。
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ここ数日、誰とも出くわさない。
刀が血を欲して泣いている声が聞えた。
カナタは座っていた椅子から立ち上がり、部屋に立て掛けてある刀の前へと歩み寄る。
刀をつかみ胡坐をかき、左手で鞘を握り、右手で柄を握り抜こうと力を入れる。
刀身が姿を見せる。
その姿は今にも主である俺を捕食しそうに爛々と光っている。
催促するような黒光りに鬱陶しげに思いつつも、その願いを叶えてやろうと――
①
完全に抜き切りはせずに、むき出しの刃を軽く左手で握った。
②
刀身を抜ききり、刃先にそっと親指を立てる。
刃を当てた皮膚が割けて血が滴り、刀身に血が這っていくのが見て取れる。
刀が満足するまで血をやった。
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「また刀に血をやったんですか」
建物の廊下でシロに出くわした。
左手に巻いてある包帯を見て、ああまたかと説教が始まる。
「……ああ」
カナタが答える。
無視してもいいが、無視しても後ろについてきてずっと小言を言うのを知っているから立ち止まった。
「なぜわざわざ無駄な傷を作るんですか。血をストックしてるんですから、俺の血でも敵の血でもやってください。どうしてもカナタの血でないとダメというならせめて、注射からご自身で献血した血を吸わせてやってください。」
シロがもう、何度繰り返したであろうセリフでカナタに訴えかけた。
頼むからと自身を傷つけないでくれと。
刀に血が必要なことはあらかじめ知っているので、血液のストックは蓄えてある。
何より俺たちは医療団体なのだ。
輸血パックだってもちろん保管している。
輸血パックが切れることなんてそうそうないのに、保存されていた血より、生き物がたった今流した生暖かい血、いわゆる生血を好むらしい。
人間だって、冷凍した米より炊きたての米のほうが美味しいことを知っている。
だが新鮮な血がいいなど、そんなのは贅沢だ。
いくら刀のためだからといって、カナタ自ら傷を負って血を流してやらなくったっていいはずだ。
刀がどれだけ血を欲するか分かっているのか。
毎回毎回刀に血を捧げていたら、カナタは血を失いすぎて干からびてしまう。
カナタが自身を傷つけてもなんとも思わないことに対する悲しみ、刀がカナタに甘えすぎなことに対する怒り。
やるせない感情がシロに湧き起こる。
「次はお前の言うとおりにするさ」
カナタはへらっと答えた。
絶対嘘だ。
そんな、その場しのぎの会話で終わらせようとする。
今回ばかりはそうはいかないぞとシロは引き下がらない。
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「血を欲する時は俺が刀を預かります。刀を躾けます」
刀にために切り傷を増やし続けるカナタを見かねてシロが言った。
「お前じゃ扱いきれねェ」
カナタが答える。
「分からないじゃないですか」
シロが言う。
「無理だ」
カナタが否定する。
「別に振り回すわけじゃない、鞘を抜くだけです。」
刀を扱えるようになりたいんじゃない、カナタが傷ついてほしくないんだ。
「抜いたらどうなるか分かってるだろう?」
刀は、主人と認めたものでないと、刀を抜いたら最後、精神を食われる。
食われた人間は、精神を病んでしまうため、認められているカナタ以外は誰も刀を持ちはするが抜きはしなかった。
「ええ、だから躾けるといっているんです」
シロが言う。
「勝手にしろ」
退かないシロに嫌気がさしたカナタは、やれるもんならやってみろと開き直り一度自室に戻り刀をシロに預け、再度自室へと戻っていった。
「……仲良くやろう」
カナタの手から離れた刀に、シロにそう声をかけた。
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シロは自室にもどり、さっそく意を決して鞘を抜く。ほんの数センチ、引き抜く勢いで開いた程度だ。
死者の悲鳴が耳に入ってきた。刀身から無数の顔が飛び出してシロに迫ってくる。
恐怖に耐えられない、すぐ鞘へと刀身を戻した。
「ハァ・・・ハァ・・・ハァ」
こうなることはわかっていた。
心拍数が上がり血圧が上がる、体温が急激に上昇し全身から汗が溢れる
(持って行かれるかと思った)
もし精神を持って行かれたら、それは生きているのか死んでいるのか。
鞘から抜けなければ血を吸わられない。
それではいままでと状況は変わらない。
カナタの為を思うなら、どうあっても乗り越えなければいけない。
カナタは初見で刀に認められたんだなと改めて感心する。
才能の違いなんて今に始まったことじゃない、そんなことでくよくよしていたらあの人の隣にいられない。
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シロは抜けやしないのにバカの一つ覚えみたいにとりあえず、以前のカナタのように、肌身は出さず刀を持ち歩き続けた。
カナタは、昔は何処に行くでもトイレにでも刀を所持していた。
しかしいつからか、刀を自室に置いておくようになり、出かけるときは、アサギや俺や仲間たちに持たせるようになった。
充分に刀に愛情を注いだから少しくらい離れても平気になったってことなのだろうか。
付き合いたてのカップルが年月を経て落ち着くように?
カナタから刀を預かるときは、妖刀なのだから扱いはもちろん気を付けていたが、刀は終始大人しくかった。
それは、カナタが刀を制御してくれていたからなのだろうか。
今、カナタの支配から放たれた刀は酷く凶暴だ。
今日もシロは刀の抜身を試みる、が、上手くいかない。
「なぁ、刀。カナタを傷つけないでくれよ」
シロは刀に語りかけた。
俺はいくらでも傷つけていいが、カナタはやめてくれ、カナタが大事なんだ。
刀は人の流れとは違う時の流れに生きている、今はカナタの手元にあるが、カナタが刀を振れなくなったら、そうなったら刀、お前はどうするんだ?
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「シロ、大丈夫?」
刀を鼻見放さず持ち歩くようになり、シロは徐々にやつれて言った。その様子にアサギが心配そうに声をかけた。
「ああ、必ず俺が手懐けてやるから心配するな。」
シロは虚勢を張る。
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「よう、相棒。刀調教の進捗はどうだ?」
そんなこと、聞かなくても分かるだろうに、わざわざクロが聞いてきた。
「まぁまぁだ」
嘘だ、本当は参っている。
どうすれば刀を手懐けてられるのか、手がかりが欲しいと思っていた。
相棒には何でも言える……訳ではないがカナタ以外に特別だと思う一人だ。
クロにしか言えないこともたくさんある。
クロはシロの言葉を嘘だと見破る。
見破るまでもない、誰が見えも苦戦しているのは、一目瞭然だ。
「シロの、己の限界を見極める目は優秀だと評価するけど、刀相手じゃ通用しないと思うぜ」
クロが達観したように言う。
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シロは、自分がトリップしそうなタイミングを見定めて加減できる。
そうでなければカナタが危険を承知で刀を預けられるわけがない。
俺たちの中で一番刀を預けるのはアサギだ。
それは体格的にも運びやに任命しやすいし、刀に好かれているからだ。
だがアサギにさえ絶対鞘から抜くなと、忠告してある。
動物は本能に正直だ。
人間のように、弱者が強者に見栄を張ったりしない。
とても素直だ。
他の仲間は刀を持つことも稀にあるが、邪気を放ち活力を吸いとられる感じが嫌だと言っていた。
クロは刀に嫌われていた。
何故か?
刀には本性を悟られている
そう、クロは、思っている。
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アサギも、カナタにスキンシップ大盛りで懐いているがクロにはほどほどの距離を保っている。
嫌っていては一緒に居られないので、アサギなりの方法で慣れてくれたのだろう。
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シロの下に刀が渡ってから数日が経った頃、事件は起きた。
カナタから刀を渡されてから毎日、可能な限り鞘から抜けるように試した。
しかし、数センチ抜いただけて恐怖に支配されてて満足な成果は見られない。
十二分に、手を焼いていた。
ちまちまと、刀が与えてくる恐怖に耐える訓練や、肌身放さず持ち歩き刀に好かれるのを待っていては拉致が開かない。
クロにアドバイスされたことを実践してみようと覚悟した。
自身の限界を突破するなど想像できる筈がない、人間は、知らず知らずにストッパーをかけている。
刀、俺を認めさせてやる。
今日こそはと手汗を握り、ついに覚悟を決め鞘から刀を抜こうとする。
恨み嫉み辛みの感情に支配され飲み込まれる。
直後、いつものように恐怖が押し寄せてくる。
ああああああ
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
こわいこわいこわい
こ゛わ゛い゛こ゛わ゛い゛こ゛わ゛い゛
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
心には恐怖の文字しか浮かばなくなった。
恐怖に震えあがり力が抜けてゆく。
ここでやめてしまえば何も変わりはしない。
筋肉が浮き出るほどの力で鞘を抜こうとしているはずなのに、実際は全く力は入っておらず、むしろ硬直してしまい上手く力が入っていなかった。
恐怖を感じるのは健全であり、正常なことだが、今は必要ない。
いつものように数センチ引き抜こうと思うのではダメだ、一気に鞘から引き抜こうとした。
もう理性を保つことは出来なかった。
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シロの変化に気づき、カナタはシャンブルズでシロの元へ駆けつけた。
「何があった」
カナタがシロに声をかける。
「うわああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
シロが両手から血を流しながら刀の刀身を握りしめ、叫んでいる。
なぜそんなことを、こんな状況になっているのかカナタにはわからなかった。
普段、俺たちの中で誰よりも冷静な判断の出来るシロらしからぬら行動だ。
狂っている、異常だ。
刀を預けたのは間違いだったと、瞬時にカナタは後悔した。
「ペン、落ち着け!」
シロは正気を失っているようだ。
カナタは、そう声を掛けながら、刀を手から解こうとする。
刀を握りしめていた手は硬直してあり、引きはがすのに苦労した。
シロがこんなに取り乱すのは見たことが無い。
刀の調教は無理だとは思っていたが、こうなることは予想していなかった、俺の落ち度だ。
本当は、俺が刀を扱えなくなる前に後継者を見つけなければと思っていた。
そうでなければ、どこかに埋めるか、海に捨てるしかないと思っていた。
たまたまシロが言い出したからいい機会だと思ってシロに刀を預けた。
可能性は薄いだろうが、シロが無理ならほかの誰にも扱えねぇ。
こんな危ない刀、売ったり放置はできない。
折って藻屑にすることも考えたが、そんなことをしたらその土地諸共呪われそうだ。
埋葬・海葬が無難だと考えていた。
「ヒュッ、っ、はぁ……はぁ……はぁ……」
シロは刀が見せている酷い悪夢にうなされていたようで、叫び声が収まり代わりに徐々に過呼吸になっていった。
「ペン、落ち着け」
カナタがシロをあやすように、背中をさすってやる。
シロの体が全身硬直していており、いまだ刀を握ったいた手の形の残っている。
「あぁ……ハァハぁ……あぁ……ハァ!ハァ……ぁ」
「ペン、ここにいる」
声をかけ続けるがシロはなかなか落ち着かない。
そのうち、クロが異変に気付いてやってきた。
クロの突入は早く、シロの様子にあまり驚いていないようだった。
「シロを眠らせる、セレネースを持ってきてくれ」
カナタはクロに興奮状態を落ち着かせる薬を持ってきてほしいとお使いを頼む。
「持ってきました」
クロはすでにカナタが欲するであろうものを持ってきていた。
「シロがこうなるよう仕込んだのはおれです。いくらシロでも刀に認められるのは無理だ、カナタもわかってたんでしょう? なら、精神を壊して這い上がらせるしか道ないと思って、シロに仕込みました」
クロが言った。
「クロ、おまえ……」
カナタが吃る。
そうクロは思ってシロに助言した。
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シロに興奮鎮静剤を投与し、薬の効果が現れるまでカナタはずっとシロの背中をさすりつづけた
大丈夫だ、嫌な声は何も聞こえねぇよ
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薬が効き、眠りに落ちたシロを医療室に運び治療を施した。
その後シロの血をたっぷりと吸いやがった刀を、カナタは鞘に収めた。
刀に触れたのは久しぶりだ。
こんなに触れていなかったことなんて今までなかった。
あれだけ抜かせないないように抵抗していたらくせに、シロの血は悪くなかったらしい。
刀は同情なんかする気はさらさらなく、悪びれもせずに刀身が若返ったように輝いていた。
刀からはザマァ見ろと声が聞こえてきそうだった。
刀はシロにもし、戻ってくるようなら認めてやろうそんな上から目線の高みの見物をしているようだ。
だがカナタはそれどころではない。
シロの手の傷は大したことない、訳ではないがそれより精神がどこまで飛んじまったのか。
戻ってこられるのか。
それが何より心配でたまらなかった。
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あれから薬が切れてもずっとシロは目を覚まさなかった。
もう戻ってこないんじゃないか、シロは、そんなヤワじゃねぇ。
そんなネガティブな思考をポジティブな思考で上書きした。
「シロ?」
カナタはシロに声をかけた。
シロが薄っすらと目を開けたからだ。
呼びかけても反応を見さない。
それからしばらく呼びかけ続けたり、軽くゆすってみた。
意識は取り戻したが様子がおかしい。
やはり、呼びかけに応じない。
やっと戻ってきたと思ったが……。
いや、寝たきりだったのに意識を取り戻したんだ必ず回復する。
このままでは介護が必要だ。
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それから毎日、交代でシロの世話をはじめた。
手が回らない訳ではないが、シロの役割は俺たちにとっては大きかった。
そのポジションを、おちゃらけているように見えるクロが見事カバーした。
癒しになればと、シロの為にベラが毎日、ヒーリングミュージックを演奏する。
仕事は一時中断せざるおえない。
そう判断した。
身を安心して寄せられる島に暫く、療養として止まった。
シロの発熱が続く、悪夢を見ているようでうわ言を言いっている。
シロにしてやれることはないのか。
お時間ございましたら感想(誤字報告)と評価をいただきたいです。
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・作品への感想
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よろしくお願いいたします。