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悟りの道程


「来な、饕餮(とうてつ)

 自らの操る強大な霊獣を喚び出したホツマの手には煙管(キセル)が握られていて、周囲には十の門が並んでいた。

 門以外の周囲は深い闇と刺すような冷気に覆われ、ホツマが息を吐くたびにそれは白く濁り、そのまま氷の結晶と化して足元に落ちる。

 だが彼女は、まるで寒さを感じていない様子に見えた。

 実体のない存在である影法師すら、この空間の中では、刺すように肌に当たる部分が痛むというのに。

 奇門遁甲の脱出に際しては、八つの段階がある。

 本来影法師が作り出す奇門遁甲は、最後の一門を封じた状態である為に、中に一度囚われた者には自力で脱出する術がない。

 そのまま、虚冥の闇に呑まれるだけである。

 しかしホツマは、陣に囚われながらも自身の力によって最後の門の封じを破った。

 つまり彼女は、真実の道程を辿れば現世へと繋がる一門にたどり着くことが出来る。

「さて、第一の門は開門だ。どんな示唆をくれるのかねぇ?」

 陣に囚われたのは、彼女を密やかに見守る影法師も同じだった。

 影法師の生み出した奇門遁甲は、本来解脱へ至るための修練の法だった。

 真なる闇を狂わずに抜けし者には、悟りが開けるという伝承に拠ったもの。

 故に第一の問いは、悟りの道を辿る万人が一番最初にぶつかる命題を問うもの。


『我は南。悟りとは如何なるものぞ?』

 

 ゆらりとホツマの前に現れたのは、そう記された腐りかけの木で出来た看板だった。

 掠れたその文字を読み、ホツマは鼻を鳴らす。

「死の際に北に枕し、悟りの在るべきを人に説いた男の教え、ってところかねぇ。人とはただ己のみで救われるものという部分には共感するけどね」

 ホツマはあっさりと、自分の背後にある門を饕餮と共に潜った。

 門を潜った先には再び門。

 ホツマが来た門は消え去り、その数を九に減らす。

「まずは正解だろう? お次は何だろうね」

 第二の門は休門である。

 だが、ここから先は入り口の光もない真の闇。

 彼女は自力でその答えを見つけなければならない。

「問いかけはなし、かい」

 しばらく待った後にそう言ったホツマは、未だおかしげに笑みを浮かべている。

「最初に方位を示したって事は、それに関する流れがあるんだろうね。北を潜ったが、それは開門だという。であれば、今あたしが立つのは北西。休門ってのは北にあるもんだ。つまり……」

 ホツマは、自身の潜って来た開門のあった場所の左側にある二つの門に目を向けた。

 北北西の門と、北門だ。

「これが正解さね」

 またしても迷いなく、今度は真の北門、休門を抜けたホツマに、影法師は一つ頷いた。

 この程度で迷う程度の相手では、彼の望みを叶えられる筈もない。

 門は数を減らし、残りは八つ。

 休門が消え去ると、ホツマは残りの門を見回した。

 第三の門場は、光が消え、悟りの教えを考える為の闇を、さらに一つ進んだ先にある。

 真の闇の中、心の強さと共に解脱へと向かう自らの想いを問う場である。

「残る門の内、吉に類するのは生門と景門だ。中吉ってのはいわば中庸さね。残りの門は凶。元来、第三門である生門の方位は北東。艮方だが……」

 左横の門である北北東の門の横に並ぶ生門と、真正面にある南門、景門を見比べたホツマは、すぐに結論を出した。

「景門が正解なように見える。本来、触るべからざる神の方位である艮方は忌避すべき方位さね。だが、流れを見ると……お前は、苦行を好まないようには見えないねぇ」

 ホツマは、見えていない筈の影法師に語りかけるように言葉を吐き、煙管を地に立ててくるりと回しながら手を離した。

 コマのように回る煙管が、不意に傾いて生門へ向けて倒れる。

 簡易の方位術だが、この場は神魔の領域。

 神威を借りる術式に不備はない。

「やっぱりさね」

 ホツマは煙管を拾い上げると、恐れずに生門を潜った。

 生門も消え去ると、不意に、場に炎と風が渦を巻いた。

「そうら、触らざるべき神のお出ましだ」

 この場は、三昧真火と玄妙の風……即ち影法師の打ち捨てた、怒りの情と前世の業が渦巻く場所と化している。

「あたしに牙を剥くかい」

 ホツマが腕を振るうと、虚冥が形を成したに等しい強大な妖獣、饕餮が彼女の前に出て、襲い掛かる斬撃の風と万灼の炎を(ひと)噛みで喰らった。

 と同時に、周囲に荒れ狂っていた風炎が形を成して、二つの姿を象る。

 一つは、子の姿を取り手に燃える槍を携えた炎の化身。

 一つは、猿の姿を取り金に輝く伸棒を携えた風の化身。


 二つの化身を見て……ホツマは悲しげに溜め息を吐いた。


嬰児(えいじ)美猴(びこう)かい。それぞれに美しい瑞獣となれたのにねぇ。可哀想に」

 再び襲い掛かる嬰児と美猴を饕餮が阻む。

 饕餮はその身を炎に焼かれ、風に裂かれながらも、無限の食欲で二つの存在を喰らって行った。

 それを眺めながら、影法師は考える。

 彼女の言葉の意味が、彼にはまるで分からなかった。

 捨て去るべき煩悩を……捨て去られた煩悩を目にして、何故彼女は悲しみを口にするのか。

 それは、打ち捨てられてしかるべき、苦しみの塊であるというのに。

 饕餮が全てを喰らい尽くして、周囲には再び闇が戻る。

 闇と静寂の中で、ホツマは酷く遠い目をしてぽつりと言った。

「修験のお前さん。お前さんは全てを捨てて、後には何が残ったんだい? あたしには、お前さんが、〝影〟にしか見えない」

 ホツマは明後日の方向を向いているのに、影法師はまるで真正面から見据えられているように、彼女の視線を感じた。

 全てを、見透かすようなその視線を、感じたのだ。

 彼は、とうの昔に失った筈の感情を視線に対して覚えた。

 背筋に、ぞくりと怖気が走ったように感じたのだ。

「今のお前さんは」

 ホツマは静かに、悲しげな響きを帯びた声音で言う。


「かつて高みを目指した己に射した光によって……地面に堕ちた、その〝影〟に過ぎないんじゃ、ないのかい?」


 ホツマに問われて。

 彼は、己の存在を思い出した。

 

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本編小説はこちらです。(作:秋月 忍 様)
N4406CH『星蒼玉』
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