事もなし
「なつめ。換金しておくれ」
大通りにある茶屋の軒先近くで、ふらりと現れたホツマが言った。
相変わらず美貌を台無しにしているようで、その実、色香を存分に漂わせるみずぼらしい男装をした旧知の女に、なつめは目をまたたかせる。
相手はどうやら、なつめが現れる事を知っていたようだった。
「良くいつもいつも、こちらを見つけるな。間者でも飼ってるのか?」
作った低い声で言うなつめは今、変装の中でも気に入っている、髪を無造作に束ねた若衆姿の侍に扮していた。
「そんな面倒くさい事はしないよ。相変わらずよく化けるけど、少し華奢かねぇ」
じろじろと自分を眺め回すホツマに、なつめは眉をしかめる。
近付いて、小さな声で囁いた。
「毎度毎度見抜かれると自信をなくすわね。……また星蒼玉? 自分で寺社に届けなさいよ」
「嫌だよ。奴等、呪詛喰いと呪術士の区別もついちゃいない節穴どもだ。あたしが通報されて、お縄にかかって死んだらどうすんだい。いつも通り、相場の八割だ」
手を差し出すホツマは、二つの『星蒼玉』を掌に転がしていた。
なつめは溜め息を吐きながら、懐に手を入れた。
「死なないでしょう? ―――虚冥の饕餮を従えるヤオビクニとは思えない言葉だわ」
「良いから、金を寄越しな。今から晩飯の仕込みをするんだ」
「もう」
素早くホツマの手から『星蒼玉』を取り上げて金子を落とすと、ホツマは金子を握りこんで楽しげな笑みを浮かべる。
「毎度あり」
「今度はどこで手に入れたの?」
「うちの近所の武家屋敷さね。……ああ、今回の件はなかなか臭いよ。目的があって穢れの星蒼玉を集めてる奴がいそうだ」
「そうなの? 相手の呪術士は?」
なつめの問いかけに、ホツマは両方の掌を上に向けた。
「自分で調べな。あたしは宿に戻る。これっぽっちも関わる気はないよ」
大きな件になりそうな事を匂わせながら、肝心な事は何も言わない。
そんな態度も相変わらずだ。
彼女は出会った頃から、何も変わらない。
外見も、態度も。
「わたしには、あなたが何故野望も抱かず、裏町にあるちっぽけな宿の主に身をやつしているのか、不思議で仕方がないわ」
金を受けとれば用はないとばかりに体を離したホツマに言うと、
彼女は女でも背筋がむず痒くなるような色気のある流し目をくれた。
「煩わしい事にはとうの昔に飽いた。あたしは『今』に満足してる」
永久を生きる呪詛喰いは、最後に空の太陽を見上げ、透明な声だけをなつめに残した。
「―――世はなべて事もなし、があたしの理想さ」