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貌のない女


 ゆらり、と。


 ホツマの言葉と共に部屋の景色が揺れた。

 同時に、今まで感じていた納屋を覆う不気味な気配が格段にその濃度を増して、水瓶がカタカタと音を立てる。

 そして、ざばり、と、顔のない女が水瓶の淵に手をかけるように這い出して、立ち上がった。

 足元は水瓶の中に繋がっている。

 妖艶で真っ白な肌の一糸纏わぬ、見惚れるような肢体だが、そこに男は、確かに死んだ女の気配を感じていた。

 女は、美人ではなかった。

 体の形が良いわけでもなかった。

 だが、その肉体や髪型には、どこか、男が共に過ごした女の、名残があった。

 男が思わず女の名を呟くと、顔のない女の指先が男に向かってゆっくりと伸ばされる。

「残念だけど、仕事でね」

 二人の間に、ホツマの声が割り込んだ。

「その想い、果たさせてやる訳にはいかない。あんたは、あたしの中で眠りな」

 ホツマを見ると、彼女はまっすぐ横に腕を伸ばしている。


「来な、饕餮(とうてつ)。―――餌の時間だ」


 ぐわん、と、また周囲の景色が揺れた。

 顔の女が現れた時以上に激しい目眩に、男は尻餅をつく。

 肌が凍るかと思うほどに冷たい闇の気配を伴って、女の腕の上に禍々しい『何か』が出現する。

 揺らめく『何か』は、見ようとしても朧に揺れて、足は虎の足のように、胴は牛の体のように感じられるのに、凝視しようとすると何故か視界から外れる。

 ただ、闇に浮かぶ真っ赤な双眼だけが印象に残る、バケモノだ。

 これはダメだ、と男は思う。

 呪術士など、あるいは目の前の顔のない女など比較にならないくらいの、強大な虚ろの気配がする。

 本来、そこに在ってはならないモノが在る。


「喰らいな」


 ホツマの言葉は短く、起こった出来事は一瞬にして済んだ。

 顔のない女は、黄ばんだ巨大な牙と紫の舌を備えた巨大な顎の気配に呑まれた、と男が思ったと同時に、姿を消していた。

 後に残ったのは、鮮明に色づいたようになった視界の中にあるただの水瓶と、相変わらず蠱惑的な微笑みを浮かべるホツマだけだ。

 異様なバケモノの姿は、どこにもなかった。


 夢か、と思うほどに呆気なく、全ては終わったようだった。


 ホツマが水瓶に手を突っ込み、中から玉と簪を取り出す。

「これは貰っていくよ。あんたには無用なもんだ。ただし」

 穢れを喰われた星蒼玉は、本来の美しい輝きを取り戻しており、ホツマは簪から『星蒼玉』をむしり取ると、袖の中に仕舞った。

 そし、残った簪を男に差し出す。

「これに向かって鎮魂の祈りを、毎日欠かすことなく行いな。祈るのはあんただ。己の業を昇華出来るのは、ただ己のみしかいない。好いた女をさらなる苦しみに導いたのはあんただ」

 この世の、人の欲と業を体現した姿を持つ女、ホツマは。

「信じて救われるのは生きてる奴だけだ。それじゃあ死者は救われない。祈る相手は神じゃなく、償う相手は死者だ。履き違えないようにね」

 深い慈悲と突き放した冷たさを併せ持ったような声音と目で、男に告げる。 

「そうすりゃ、いずれ女の虚ろは満たされ、あたしが死んでも呪いには還らないかもしれない。しれない、だ。確かな事は一つもない」

 だがまぁ、と簪を受け取った男に、ホツマは笑みを蓮っ葉なものに戻して、店で男から受け取った一両を振った。

「少なくともこれで、あたしが死ぬまであんたに呪詛は降りかからない。後はせいぜいあたしが長生きする事を願うんだね」

 そう言って立ち去ろうとしたホツマは、あ、そうそう、と背中越しに男に声を投げた。

「あんたからは、人殺しを生業にしてる臭いがする。足を洗わないと、別の呪詛に喰われる事になるよ。ま、あたしの知ったこっちゃないけどさ」

 そう言って、ホツマは本当に姿を消した。

 残された男と簪がその後どうなったかは誰も知らないが、少なくとも、納屋に住む者は誰もいなくなった。

 

 

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本編小説はこちらです。(作:秋月 忍 様)
N4406CH『星蒼玉』
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