呪詛喰い
その男が訪ねた先に居たのは、信じられないくらい美しいのに、見すぼらしい男装をした女だった。
『和良比』の都にも、ならず者が集う一角がある。
日雇いから、職にあぶれた者、身を持ち崩した博打打ちなどが集う、吹きだまりのような場所だ。
そんな治安の悪い地域の表通りにある小さな宿。
一人一畳で十人泊まれるかどうか、そんな狭苦しい宿の番台に、その女はいた。
「おやお兄さん。いらっしゃい」
熟れたたわわな乳が崩れた襟から半分覗くのもまるで意に介していない彼女は、煙管を吹かしていた。
切れ長の目尻と、ぷくりと膨らむ小さくも肉厚の唇には紅を差して。
烏の濡れ羽色の髪は、男のように肩口までの長さに落としている。
黙って立つ男に、女はぞくりとするような気怠気な色香漂う微笑みを向けて、言った。
「ここで飯を食うなら十五文」
番台には古ぼけて禿げた器が重ねられていて、番台の横にある大きな鍋の中には、粟や稗、野菜や魚を出汁で煮ただけの雑炊が煮立っている。
そこから立つ湯気と煙管の煙が混じった香りが、男の鼻をついた。
「寝床が欲しけりゃ一朱」
女が指差す番台の横には、不潔な着物を着た男共が雑魚寝をしている十畳部屋。
「春を買うなら一分」
これ見よがしに自分の唇を嘗めて、女は番台の奥にある自室らしき部屋へと、指先を向ける方向を変える。
「もし、呪いを売りに来たなら一両だ」
最後に、何もかも見透かすように男に目を向けながら、女は言った。
「どれをお求めだい?」
男は、聞いた噂通りの問いかけに、大きく鼻から息を吸い込んだ。
一両で、どんな祓いも請け負う女が、ならず者ども相手の宿を経営している。
だが、女に依頼するなら、呪いは去るが安息はない、と。
男は、黙って一両を袖から出して、番台に放った。
ちゃりん、と音を立てたそれが番台を跳ねる前に、女の指先が手品のようにかすめ取って袖に仕舞う。
「毎度あり。呪いねぇ。確かに、そんな顔してるよ」
封魔の腕は確かなんだろうな、と問いかける男に、女は軽く眉を上げた。
「あたしの名は、ホツマ。あたしは、呪術士でも封魔士でもないよ」
女の、何もかも見透かしたような目に、男は一瞬、引きずり込まれそうな程に意識を奪われた。
「愚者には愚者の救いを。虚ろには在るべき場所をくれてやるのが、あたしの役割さ」
この女の春を買う奴は、一体、どんな度胸の持ち主かと思う程、その声は暗くおぞましい響きを帯びて、男の耳に響いた。
「あたしは全てを拒まず貪るだけの、ただの、呪詛喰いだ」
ホツマは卓に手をついて、蓮っ葉に笑みながら男を指差した。
「あたしに頼るなら覚悟しな。あたしはあんたの『今』を安寧にするが、『先』は知った事じゃない。あたしに出来るのも、やる気があるのも、ただ喰らう事だけだ。世の理を乱すのは嫌いでね―――」
ホツマは、自分の開いた胸元に手を当てて、男の耳に刻み付けるように、ねっとりと言葉を吐きかける。
「あたしが死ねば、あたしが溜め込んだ呪詛は解放される。それがあんたに戻るか、その場でばら撒かれて辺りを汚すか、それとももっと大きな災いとなるのか、それはまるで分からない」
彼女は一拍置いて、一度仕舞った一両を袖口から取り出すと、男へと差し出す。
「余程急ぎでもないなら、大人しく封魔四門を頼るか、街の封魔士でも使うこった」
それは、警告なのだろう。
彼女に祓われた虚冥の呪詛はただ溜め込まれるだけで、消滅する訳ではないのだと、彼女は口にした。
ホツマの死とともに、『今』の安寧は失われる。
そして、その『今』がいつ終わるかと、常に不安に苛まれる事になるのだろう。
だが、それでも男には、彼女に頼るより他に何もなかった。
既に一度、雇った封魔士は怖じ気づいて金を返してきた。
また男は、四門に頼れるような明るい身分ではない。
彼女の事も、その封魔士から教えられたのだ。
そう伝えると、ホツマは溜息を吐いて立ち上がった。
「なら、仕方がない。ちょっくら喰いに行こうかね」
ホツマは宿に泊まってる客に対して、この治安の悪い場所にも関わらず平気な様子で、ちょっと出るよ、と伝えた。
「店や部屋に、手を付けないでおくれよ?」
客は、脅しを含んでいる訳でもないその言葉に、怯えたように頷く。
おそらく彼女は、この辺りの裏を熟知しているのだろう。
彼女に害を成せば、きっと何かしらの報復があるのだ。
あるいはそれは、彼女に呪詛を喰って貰った者達が行うのかも知れない。
彼女が死ねば、過去に呪詛を受けた者らも、身が危ういのだから。
ホツマは呪詛を喰えば喰う程に、結果として己の守りを厚くして行くのだろう。
男は、そう思った。
「さ、行こうか」
彼女は男を促し、男は自分の家へとホツマを案内した。