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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで
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第80話 真夜中の秘密 -5△


 大気は真冬のように凍え、言葉は頭の中で凍り付く。

 おぞましい死臭がどこからか漂い、家の屋根がはげしく音をたてて鳴り、家具がひとりでに動き敷物が浮かび上がる。

 次々に巻き起こる異常な現象がもっとずっと強大な魔物を目の前にして一歩も怯まなかった戦士たちをも後退させる。


 ベロウの手招きによって闇よりももっと濃い闇が集まろうとしている。


 高位の精霊術師のまわりには、呪文を唱えずとも精霊自らが集まってくるという。それと同じで、死霊たちのほうがこの女に魅入られて集結しているのである。


 そして部屋が闇で満たされれば満たされるほど、女は花開くつぼみのように輝いた。


 目の前にしているのが本当にアラリドなのだとしたらマジョアたちと大して変わらない年齢のはずだが、その肌は少女のように若々しい。

 全身に寒さだけが原因ではないさぶいぼを立てながら、アトゥは意地と気合いだけで立っていた。


「……たとえあんたが本当にアラリドだとしても、メルの魂を狙ってるっていうのはわかってるんだぞ」

「おやおや。誰からきいたの? ヨカテル? それともマジョア?」

「どっちだって構いやしねえ。メルに宿ってる七英雄の魂を抜き取って、またしょうもない悪さをしようって腹積もりなんだろう」

「やだなあ、伝説の夜魔術師を小さく見積もってくれるじゃないか、ずいぶんとさ」


 ベロウは無邪気の少年のように舌を鳴らし、悪戯っぽい笑みを浮かべ、人差し指を揺らしながら答える。

 

「七英雄の魂はもちろん手に入れるさ。でもね、わざわざここまで足を伸ばしたわけだから、それで終わりなんかにしないよ。せっかくだもの、オリヴィニスの冒険者たちみんなで大陸を支配する悪霊軍団をつくろうと思ってるんだ。どうだい? これって、とってもいい感じの計画だろう?」


 つまるところ、それはオリヴィニスの住人を皆殺しにすると言ったも同然だった。

 冒険者たちは人を殺すこともなければ集団で戦うこともそれほど得意ではないが、それぞれが何かしらの能力に特化した技能者であることは間違いない。夜魔術師の手にかかれば、魔術によってその魂を支配下に置き、彼らを兵士にした軍隊を組織することも夢物語ではない。

 大国の王子であるレヴですらできなかったことを、ベロウは魔術の力で強制的にやってのけようというのだ。

 ただしアトゥたちがその計画とやらを気に入る理由は何一つとして存在しなかった。


「自分でいうのもなんだが、総大将の隣に裸の男が立ってるなんて、ずいぶん間抜けな軍団じゃないか」

 

 ベロウはまるで虫けらでも見るような目つきだ。


「アトゥ――口のききかたには気をつけたほうがいい。きみの名前はもう、知っているし……亡霊たちに聞けば、うしろのふたりもわかるだろう。名前さえわかれば、わたしは君たちの魂を好きなようにできるんだからね」


 暗に夜魔術の奥義である《魂抜き》のことを言っているのだと、ヨカテルから聞かされていたアトゥには見当がついた。

 ベロウは恐ろしい女だ。

 夜魔術の達人で、しかも慈悲の心というものがない。


 二刀の剣士は瞬時に「ここでこの女を斬ろう」と決断を下した。


 それは街の人間を皆殺しにしようというベロウの発想と同じくらい残酷だったが、仲間のことを引き合いにだされたら、ほかに方法はない。

 何か厄介な術を使われるまえに片づけたほうがいい。

 しかし――理性ではそう思うのに、アトゥのつま先は半歩、敵ににじりよっただけで間合いには踏み込めないでいた。


「だめだよ、アトゥ。あいつはメルメル師匠や、ギルド長たちの昔の仲間なんだろう?」


 混乱した内心をヨーンが代弁した。

 もしも斬れたとしても……でもそれは魔物ではなく、人なのである。胸のうちにどんなに恐ろしいたくらみを抱えていたとしても、人間なのだ。

 魔物は斬り捨てればそれで全てが終わる。

 でも人は、そうはいかない。


「いい仲間を持ったね、アトゥ。それじゃ、やることがあるから」


 邪悪な目配せを送りベロウは店を出て行く。


 あれがアラリドなのか?

 メルが会いたがって探していた相手?


 アトゥはどうするべきか悩んだ。

 ベロウは邪悪そのものだ。

 去ったはずの女はすぐに半歩だけもどってきた。

 愉快そうにドアから上半身をのぞかせる。


「あ、そうそう。あとで迎えに来るから、いまのうちにカッコイイ鎧でも身に着けておいたほうがいいんじゃないかな」


 闇の中に残されたのはアトゥたち三人だけではなかった。

 それまで何もなかったはずの部屋の暗がりに、闇色の渦巻く砂でできた身体を持つ若者が、ぬるりと地面から生えてくるように現れ、立ちふさがったのだった。

 影はナイフを逆手に構えていまにも踊りかかってきそうだ。


「まさか、あれが七英雄じゃないよね……」とヨーン。


 メルはしばらく前から体調を崩していた。

 突然、得意なことができなくなったのだ。

 最初になくなったのは、少ない足場を使って高いところに登る技術や鍵開けなどなど盗賊ギルドに関わる能力だった。

 目の前の影は、装備も、武器も、身ごなしも、盗賊ギルドの連中とよく似ている。


「……服くらいは着ておいたほうがよかったんじゃないかしら」

「くそったれ。こうなったら意地でも着てやらないぞ」

「私たち七英雄に、勝てるのかしら」

「わからん」


 三者三様に、細切れになる未来を予測しつつ、それぞれの武器を構えた。



*****



 計画は長いものだった。

 ひっそりと隠れて暮らし、レヴに気に入られるまでに、たくさんの工程があった。

 オリヴィニスのことには常に気を配っていた。

 裏切り者のマジョアとトゥジャンがいまどうしているのかも知っている。ふたりともギルドの重要な役目を請け負って、その名声は盤石揺るがないこと。マジョアは家族までつくって安穏とした暮らしを送っていること。

 かつてと同じ暮らしをしているのはメルだけだ。

 だけどメルにも変化があった。

 それが弟子の存在だ。


 ベロウが店の外に出ると、そこには白いシーツの塊を片手に抱いた青年が砂の男と対峙していた。

 ベロウにはそれがルビノだとすぐに見当がついた。


 メルはこれまでだれにも自分の持つ技術や知識を教えなかった。

 それなのに、ただの浮浪児にそれらを惜しみなく授けたのだ。

 背の高い立派な若者が誰も受け取らなかったメルのすべてを持っている。そう考えると、心の中がかき乱されるようだった。


 混乱がおさまると、寂しさと切なさが残る。


 自分たちの冒険の旅は途切れてしまったのに、あの若者はちがう。

 望めば世界の果てにでも自分の足で歩いていけるのだ。

 ベロウの心の中のぜんぶが、それを羨ましいと感じていた。

 そしてその強い感情が、夜魔術によってこの街に引き寄せている亡霊たちに憎しみの心を思い出させるのだった。


「やあ、ルビノ。はじめまして。メルの大切なものをもらいにきたよ」

「そりゃどうも、ずいぶんなご挨拶で。出て行ってもらうわけにはいかないんすよね」


 ルビノは少しだけ立ち位置をズラした。

 ベロウと砂の英雄、そのどちらが先に動いたとしても対処できて、しかも逃げ道が確保できるような位置へと動いたのだ。

 とぼけたような素振りで、目敏くぬかりのない青年だった。


「それこそずいぶんな挨拶だね。わたしのこと、メルから聞いていない? 昔の仲間なんだ。友だちだよ」


 ベロウはこの若者をどうしてやろうかと考える。

 誰かが大切にしているだろう人間を痛ぶる想像は、彼女にとって幸福なもの、空虚な心を満たすものだった。


「よく知ってるっすよ。でも、それはお前のような邪悪な人間じゃあない」

「おや、ずいぶんと吹き込まれたようだねえ。お前、いったい何様のつもり? メルの守護者のつもりかい?」

「師匠は師匠っす。あんたこそ――」


 そのとき、みみずく亭の扉が派手に開いて、慌ただしくアトゥたち三人が転がり出てきた。

 ヨーンは自分の盾で砂の軽戦士の攻撃を防いでいる。

 剣でも反撃に出るが、それは宙を裂くだけで終わった。


「アトゥさん、助太刀はできませんよ」

「そいつは結構! 店を壊したらかわいそうだっていう、ありがたい配慮だよ。実をいうと、狭すぎて得物が抜けないっていう地味すぎる理由で出てきてやったんだけどな!」


 アトゥの怒鳴り声を聞いて、ルビノは少しだけ表情を緩めてみせた。

 七英雄を前にして、それだけ元気ならしばらく大丈夫だろう。


「ねえ、ルビノ。なにもわたしは、人に危害を加えようというわけではないんだよ」


 ベロウは甘やかな猫なで声で話しかけてくる。


「メルの旅を終わらせてあげようよ」

「旅を終わらせる? さあ、おたくが何を期待してるのか俺にゃ全くわかりゃしないですよ」

「ほんとは気がついてるんじゃないの。メルは七英雄の魂の複合体なんだ。彼らの魂を解き放てば、メルも永遠に生き続ける運命から解放される」

「たとえあの呪いが無くなったとしても、メルメル師匠は旅をやめたりなんかしないっすよ」

「だけど。お前はほしいだろ」

「何が?」

「家族だよ」


 ルビノは声を詰まらせる。


「わかるよ。ほんとは、お前はメルにどこにも行ってほしくないんだ。メルに自分の父親になってほしいんだろ…‥‥」


 もうやめろ、と声がする。

 路地の向こうから、男が辛そうな足取りでやってくる。

 それは、錬金術師のヨカテルだった。

 けがをしているらしく、脇腹に血の染みができている。それをトレードマークの紫のタイで止血して、やっとここまで歩いて来たようだ。


「おや。まだくたばってなかったなんて、手元が狂ったのかな……」

「やめろ、ベロウ。もう十分だろう、メルやルビノにまで手を出すな」

「ベロウ、だなんて他人行儀な呼び方だ。君は、もとの名前で呼んでくれないの? アラリドってさ……それとも、見殺しにしたことを悔やんでくれていたりするの?」

「いいや。そもそもお前は仲間なんかじゃないからな」


 少しの間、沈黙が訪れた。

 アトゥも、ルビノも、事の成り行きを黙って見つめている。


「――いつもそうだ。きみたちは。わたしはいつも邪魔者扱いで、恐れられた。でもそれは死者が怖いせいじゃない、きみたちの罪深さのせいじゃないか」 


 ベロウはせせら笑いをやめて、炎の燃える瞳でヨカテルを睨みつけていた。

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