第66話 氷山
イストワル最北端の地に、その氷山は時折姿を見せる。
天を突く山のようなその威容の中腹には、輝かしい氷で作られた神殿の入り口がある。人の手によるものではなく、高位長命種によって形作られたそれは、エルフの王が眠るとも、魔術の秘伝が隠されているとも語られる、謎に煌めく大迷宮である。
メルはその大迷宮の入り口――ではなく、そこをさらに登った先の、氷山のてっぺんにいた。
「ふんふんふん♪」
ざくざくと雪を踏みながら、ちょうどいい位置を探してメルは用意したソリを雪の上に置いた。
スキーやソリは北国の子供の遊びだが、傾斜さえあれば雪上の移動が素早くでき、メルは好きだった。もちろん、遊びとしても楽しい。
海上に向けて開かれた美しい山肌には、当然のことながら誰も踏み荒らすことのない真新しい雪が積もっている。
「唯一の難点は、勢い余って海に落下しないかどうかだけど。僕の体重ならギリギリ止まれるだろ」
独り言に「ぐうう」と不満そうに答える声があった。
振り返ると、メルの貴重な友人が、恨めしそうな顔つきでメルを見つめていた。
ただし、人ではない。
それは純白の鱗に全身を覆われ、大きな羽を生やした真っ白な竜だった。
氷山の下まで船を寄せて、ソリをかついで登るのが嫌になったメルが、白金渓谷まで趣き、あの手この手で連れ出したのだ。
まだ若く遊び好きな竜だから、ソリに乗せてもらえないと知って不満なのだろう。
「ごめんごめん。次はもっと傾斜のゆるいところを探してみるから一緒に滑ろうね」
なんとか宥めて、ソリに乗り込む。
ひりひりする冷たい大気、一面の青い海。
望むものがここにある。
「よ~し、行くぞ!」
ソリは勢いよく走り出した。――と、そのとき。
雪の上で拗ねて丸まっていたはずの白い竜がむくりと立ち上がり、助走をつけて飛び上った。
「――――えっ!?」
どしん、と音を立てて、後ろ足がソリの縁を掴み、前肢がメルにしがみつく。
表情はどこか楽し気だ。
ほんのささやかな悪戯、そんな気持ちなのだろう。
ただし、竜の体重が加わったソリの速度はぐん、と上がった。
もう、風を切って、という生半可なものじゃない。
頬が風でひりつく。ぐんぐん、海面が近くなる。
竜は楽しげに泣き声を上げるが、メルは堪ったものではない。
「うわ、うわあああっ!」
制御不能となったソリは白い雪原のふちまで辿りつき、そして矢のように飛び出していった。
叫び声が木霊して、巨大な氷に比べれば、小さな黒い砂粒のような竜とメルが空中に投げ出される。
最後に見えたのは、視界を埋め尽くす一面の青色だった。