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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで
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第63話 お山の祭り


 眼下に見下ろすチャマン村のあちこちで祭日を示す赤と蒼の旗がたなびいていた。このあたりでは岩壁を掘り、くりぬいて家をつくる。砂色の景色に、旗の色は一層鮮やかに映えた。

 往来を行き交う村人たちは鮮やかな塗りを施した木製のお面をかぶり、巡礼者や見物人と一緒に儀式の成功を祈っていた。

 オリヴィニス以北に広がるこの山岳地帯は、女神信仰に拠らない土着の宗教観が今もまだ根付いている地域として有名だった。


「もう家に帰らせて。夜になると強い風が吹くの。誰かが肩を押した気がしたわ……足を捻ってしまって、歩けもしない」


 村からさらに北、さらに高い山の頂は、どこか埃っぽい乾いた風が吹いていた。

 少女の啜り泣く声が、風に乗って心細く響く。

 彼女は華やかな赤い服をまとい、金色の首飾りや髪飾りで身を飾り、いくつも鈴を重ねた楽器を手にしていた。

 傍らには同じ衣装を着た老婆が寄り添って、周囲を取り囲んだ大人たちと同じように混乱している少女を宥めようとしていた。

 チャマン村には、村を襲った凶暴な竜を乙女の舞が退けたという伝承がある。それになぞらえ、一年に一度、祭日になると一枚岩の舞台で乙女が踊りを披露する《竜舞》という行事が催されるのだった。

 少女は今年の舞乙女で、一晩、このふきっ晒しの頂で踊り続けなければいけない。

 とある事情で祭の日取りがかわったり、乙女が足を捻挫してしまったのはなんとも幸先が悪い出来事だ。


「足を見せてごらん」


 メルは彼女の足に巻かれた包帯を一旦取り去る。炎症を鎮める効果のある薬草を塗りつけ、先程より動かしやすいように巻き直してやった。

 それでも少女は青い顔をしている。

 調子が悪いのは少女を山の頂まで送って来た大人たちも同じで、魔物に似せた仮面の下で、忙しなく咳をしていた。


「乗りかかった船だ。儀式の間は、僕もここにいるからね」


 メルは災難除けのコインを出して口に咥え、長持に隠れた。

 厄介ごとに巻き込まれたものだ、と思いながら。

 鍵穴から外を覗くと、少女はまだめそめそと泣いていた。


(まさか、本当に竜が出るわけじゃないだろうに……)


 日が暮れ、かがり火が焚かれる。

 大人たちは儀式の供物を置いて村に戻って行き、頂きの上にはメルと少女、そして巫女の老婆だけが残った。

 やがて星が瞬きはじめる頃、巫女が香炉に香木を削り入れた。

 生薬の絡まった複雑な香りが立ち上る中、乙女の踊りがはじまった。

 下のほう……村に残った人々が奏でる楽の音と、舞う度に鳴る鈴の音が重なりあう。メルはしばらく赤い薄衣が翻るのを眺めていた。

 そして、半刻も経っただろうか。

 楽の音に混じって、妙な物音が聞こてきた。

 それは遥かな麓から、何ものかが勢いよく崖を這い登ってくるような物音だった。

 人ではありえない素早さだ。

 まさか。と思いつつもメルは剣の柄に手をかける。けれど次の瞬間、岩舞台に向かって大きく羽を広げた醜悪なバケモノは竜とはあまりにも異なる姿をしていた。

 それは真っ黒な闇の化身のようで、夜魔族に似ている。

 ただ全身から耐え難い腐臭を放っていた。


「病魔か!!」


 メルは襟巻で口元を覆うと、女神の聖印と聖典を持ち、隠れていた長持ちから飛び出した。

 それと同時に少女が悲鳴をあげて踊りをやめる。

 魔物は動物の亡骸に憑りつき、病を振りまく。倒すためには炎で焼くか、ルスタの力を借りて討ち滅ぼすしかない。

 メルは虎の子の宝石を取り出した。一年間をかけて魔力を少しずつ溜めた鉱石だった。司祭が使う奇跡の技も、短時間で扱うなら魔力が必要だ。


「ご慈悲に縋ります女神ルスタよ。魔を打ち払い邪悪を遠ざける力を与えたまえ。《聖壁》!」


 メルが聖印を投げつけると同時に、輝く光のカーテンが舞台を覆う。

 病魔はカーテンの内側には入ってこられず、その表面を虚しく叩いた。竜に見えた巨大な姿がボロボロと崩れていく。

 竜の正体は、小さな個体が寄り集まってできた群集だった。

 それぞれの力は弱くても、こう囲まれていては厄介だ。

 一体でも逃がすと、井戸に逃げ込む可能性がある。


「そろそろ代替わりをと思いましたが、こうなっちゃ仕方ありませんねえ……」


 それまで黙ってなり行きを見守っていた老婆が、重たい腰を持ち上げて立ち上がった。



*****



「迷惑をかけてすみませんでした、この通り!」

「いや~、いやいや……」


 メルはオリヴィニスの北部、チャマン村の麓に位置する村で、同業者から謝罪を受けていた。

 本来は彼が、儀式に使う大事な品をチャマン村に運ぶ予定だったのだが、道なかばで足を踏み外して滑落し、両足の骨を折って村人たちに助けられたのだった。

 メルは救護依頼を受け、捜索しに来ただけである。


「本当ならもう少し早く連絡を入れるべきだったんですが、村の皆さんが親切で待遇がよすぎてなんかもう……!」

「いやいや、ははは。命があったなら、まあ……あはは……」


 場所こそ村長宅の納屋ではあるが、若者は運び込まれた清潔なベッドに寝かされ、日々誰かの訪問を受けてチーズやパンや果物といった食事を山盛りに食い、村長の娘や村の若い女にかいがいしく世話を受けていた。

 オリヴィニスを含む一帯は竜の生息域であり、大国の影響を受けない。けれどもどこからか湧いて出て来る魔物の勢力も強く、冒険者は皆、厚遇されるのだ。


「あのう、それで、依頼品は無事に届けて頂けたんでしょうか」


 彼が依頼を受けて運んでいたのは、南方で製造されている高価な香木だ。古い魔術の伝統では、香りを持つ生薬は魔性を遠ざける効果があるとされる。


「無事といえば無事だけど……」


 メルは昨晩の顛末を思い出す。

 若い舞乙女は恐怖のあまり踊りを続けられなくなり、年老いた巫女がかわりに続きを舞ったのだ。香木の効果か、伝承通り踊りに魅入られたか、明け方近く病魔たちは崖下に退いていった。

 もしももっと早く届けられていたなら、儀式は滞りなく済んでいたはずだ。


「君、オリヴィニスに戻ったら、魔術師ギルドに行って風の精霊術か真魔術を習うといい」


 そう言い置いてからメルは村を出て、チャマン村の岩舞台の下あたりに向かった。

 そこは寂しいところで、木々はまばらですべて立ち枯れている。

 巫女から聞いた話だと、かつてチャマン村の巫女たちは、村を栄えさせるために動物を使った生贄の儀式を行い、その死体を舞台から捨てていたんだそうだ。

 やがて病魔が無数の死体に憑りつき、一年に一度、村を襲いに来るようになった。

 ただ、香木に薬を混ぜて燃やした強い香りは病魔に効くかもしれないが、踊りはどうだろう。美しい舞に心を打たれるのは、知性のある生きものたちだけだ。


 つまり竜か、それとも……。


 一年に一度の祭りは病魔を退けるためであるのに、《竜舞》などと銘打って嘘をつかなければいけない理由など、ろくでもないと気がついたときには遅かった。

 枯れ枝にメルが投げた聖印がぶら下がっていた。

 落ちている白い小石が骨のように思われ、メルは聖印を回収すると足早にそこを離れた。

 



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