第62話 父と子 《下》
「彼はルビノ君。若手ではいちばん伸びしろがある有望株です。冒険者の仕事に専念してくれるといいんですけど……いてて」
手指に消毒薬を塗りたくられながら、ロジエは簡単に紹介を済ます。
邪魔な大木が無くなって、空き地はきれいに更地に戻った。
あとから現れたルビノによると結局、ここに手を入れたのは師匠連だろう、とのことだった。
「師匠から、おふたりにこれを返すよう預かって来ました」
そう言ったルビノから預かったのは金貨がぎっしり詰まった革袋だった。
「ギルド新設に向けての軍資金が必要なはずだから、とのことっす。他にも冒険者仲間が集めた金をギルドに預けてあるっすよ」
革袋の中身はロジエが師匠連を懐柔するのに使った額から、《作業料》を差し引いた額だとのことだ。
結局のところ、ギルド新設の提案はそう悪いものでは無かったのだ。
試験は合格。彼が携えてきた革袋にはそういう意味が込められていた。
「なによ、まだるっこしい。だったら最初から賛成してくれたらよかったのに……」
「まあまあ、彼らにも体面というものがあるでしょう。でもこれで、彼らに認められた、ということでいいんですね」
憤慨するミリヤを宥めながら、ロジエはルビノを見上げる。
ルビノが黙ったまま頷くと、杉の木に体当たりしたこと以外は陽気で理性的に振る舞っていた青年の表情に、何か複雑な感情が走ったのが見てとれた。
それから治療が済むまで、ふたりはじっと黙っていた。
青年は不意に立ち上がると、かたわらの斧に手をやった。
「昔、ぼくはルビノ君のことが羨ましかった……。もしも自分が君のような冒険者だったら、父は誇りに思ってくれたに違いない、そう考えたこともありました」
こみ上げてくる感情をこらえるような声音だった。
ミリヤはようやく、彼がどうして何もかもを投げ打って、一生懸命に街のために奔走しているのか、その理由に思いいたった。
「……貴方はこの街に必要な人だよ。この光景を見たら、きっとそう思ってくれるわ」
ミリヤは夜を徹して進められている建設作業の様子を示す。
おかみさんたちから迅速に工事を進めるよう焚きつけられ、親方たちが便宜を図ってくれたのだ。
資材は潤沢にあり、手伝いを申し出てくれる冒険者もちらほらと現れつつある。
「そうですね。そうだといいなと思います」
返事はどこか寂しそうなものだった。
ルビノもまた、やり場のない空気をまといながら、目の前の景色に見入っていた。
*****
ルビノとロジエのふたりがはじめて会ったのは、メルが不在の折、マジョアに誘われた茶会の席でのことだった。
ルビノはまだ十代で、ロジエもそうだった。
その頃、戦士カルヴスはまだ存命だった。彼はメルの技を受け継ぎ、頭角を現しはじめたルビノの実力を見込んでパーティに加え、よく一緒に行動していた。
茶会そのものは退屈で、けれどもそこで起きたことは、忘れようとして忘れられるものではなかった。
「ロジエ、お前はまたギルドのやり方に口を挟んでいるらしいな」
と、突然、カルヴスが険のある声で言った。
そうして無言で立ち上がると、ロジエの頬を平手で打った。
そしてもっと厳しい声音で続けた。
「知らない世界のことに口を挟むな。お前がしていることは、私の子のすることではない」
マジョアはふたりを比べて苦々しい表情を浮かべていたと思う。
ルビノは驚いたまま動けなかった。人格者として知られていたカルヴスが暴力に訴えるところをこれまでに見たことが無かったからだ。
頬を打たれたロジエはまなざしに怒りをこめ、父親を睨んでいる。
親子ながら、両者はあまりにも見ている世界が違っていた。
だが、ロジエが街に出てあれこれと気を配っているのは、他ならない父親のため、祖父のため、そして冒険者たちのためだ。そして、カルヴスが冒険に連れて行きたがっていたのは自分ではなく息子のほうだということも、ルビノは知っていた。
もしも天がロジエに強さを与えてくれたなら、ふたりはごく当たり前の親子のように振る舞えたのかもしれない。
確かな血のつながりには、時として人のあり方さえ変えてしまい、どうしようもなく苦しめてしまう、そんな力があるのだった。
その後、カルヴスは惜しまれながら亡くなった。以来、ルビノは心のどこかでロジエを避けていた。
ただ――……血で滑った斧を捨てたとき、ロジエは何となく彼が来るのではないかと考えていた。ルビノのほうも同じで、わだかまっていたままの時間が動きだすような、そんな心持ちがしていた。
明日になれば、本格的に飼育舎の建設がはじまる。
コルンフォリやヴェルミリオンでは、飛竜を用いた騎兵団、という考え方が一般にも知られるようになっている。馬に限らず、珍しい騎獣を扱えるようになれば、きな臭い情勢の中でも有利に振る舞えるはずだ。
おそらくオリヴィニスの風景も変わる。
偉大な戦士のことが過去になる日も近いだろう。