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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで
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第52話 王の器 《下》△

 街を案内するといっても、誰もいないオリヴィニスは寂しい景色が広がるだけだった。けれどレヴは何が楽しいのか、鼻歌をうたいながら誰もいない食堂や酒場、店先を覗いている。


「何もないけれど、ここにどんな人がいて、どんな暮らしをしているのだろう、と考えるのは楽しいよ」


 なんだか申し訳ないようなシマハの気持ちを悟ったのか、レヴはふり返ってそう声をかけてくる。


「すみません、王子」

「きみが謝ることはない、この街を取り囲んでるのは僕の兵たちだ。そうでなければ穏やかな午後が続いていただろうに」


 レヴの蒼い瞳がどこか寂し気にテーブルの上に残ったお茶のカップと砂糖をまぶした焼き菓子をうつしている。

 確かに、レヴは軍隊を連れてきた。とてもではないが、それが穏やかなやり方とはいえない。けれど、目の前にいる少年は、なぜか……シマハの目には、それを望んでいるとは思えなかった。


「王子殿下は、何故この町に来られたのでしょう」

「端的にいうと、兵を募るためだ。オリヴィニスには優秀な人材が揃ってる。それを借り受けたい、とマジョアと対面した部下たちはいの一番に口にするでしょう」

「冒険者たちは、人との戦いを嫌います」

「わかっています。大国ヴェルミリオンの手前もあって、ギルドにはどうしても下せない判断だ……静かに話せるところに行こう、あの高台の上がいい」


 シマハはレヴを案内し、高台の神殿跡に連れて行った。

 オリヴィニスは冒険者のための街で、観光向けではないが、丘の頂にある、岩をくりぬいたような趣のある祭祀場がシマハは好きだった。

 吹きさらしの空間には痛みもあるが、信仰深い冒険者たちの手によって毎日、清められ、光がはいりこむと床のタイルが仄青く輝くのだった。

 祭壇にはたくさんの供え物があつまり、壁に刻印された女神像は輪郭が風化して丸く柔く欠け、優しい趣のある表情をみせる。

 何より、そこからはオリヴィニスの街が一望できるのだ。ギルド街も教会も、屋台市場もシマハの店も、すべてが。


「気に入りました」風に前髪を躍らせながら、レヴは微笑んだ。「ここは、大陸でいちばん古い女神ルスタの神殿だった、と言われています」


「ご存知だったのですね」

「知識だけですが。来れてよかった。こうして貴女にも会えました。さっきも言いましたが、ぜひ会いたかったんだ……弟に似てると聞いたもので」


 レヴがここに来たのは、マジョアに無理難題を押しつけるためではなかった。

 彼の本当の目的地は義弟アンスタンがいるだろうルグレの領地なのだ。

 兵を出したからには居場所は既に掴んでいるのだろう。もちろん、王弟ルグレの目論見も、反乱の証拠も、すべてだ。


「ルグレは義弟を王にして国を乗っ取るつもりです。おまけに、彼のもとに集まっている武器はヴェルミリオンのものだ。恐ろしい謀略です。絶対に許してはおけない」


 オリヴィニスを取り囲んでいるのは彼の軍勢のほんの一部。本隊は真の目的地に到着しているはず……淡々と告げる王子の表情には、輝きはない。冗談も口にしない。


「どうか笑ってみせてくれませんか。僕は弟の笑顔をみることはぜったいに無いと思うから」


 その言葉で、シマハはレヴが恐ろしいことをしようとしているのだということに思いいたった。

 レヴは弟に手をかけるつもりだ。

 その瞬間、心に暗雲が垂れ込め、喜びも楽しみも嬉しさも遠ざかって、何もない大地に連れ去られてしまったかのような心持ちになった。

 そしてその雲と同じものが、レヴの心にもあるはずなのだ。

 きっと、レヴは弟のことを憎んではいない。

 そうでなければ、シマハの顔を見になんか、来るはずがない。

 望み通りにうかべようとした笑顔は引きつれた。顔が強張り、泣きたいような気持ちになる。


「……ごめんなさい」

「いいや、無理を言ってすまなかった。背格好が似ているというだけで、君はアンスタンではないのに」


 レヴは祭壇に行って、膝を突き、祈りを捧げる。

 横顔は苦しみに満ちている。

 何故そこまでして、と、シマハは問いたかった。

 部下たちのところから走り去る彼の歩みは軽かった。

 あれが本当の姿のはずなのに。

 祈りが終わるとレヴは「王の器に心はふたつ。人の心と王の心」と呟く。


「できれば弟のことは、どこか静かな遠くの土地へ逃がしてやりたい。けれど、僕は王にならなければいけないのです。それはけっして私利私欲のためではない。王家のためでも、国家のためでもない。僕が王になれば、世界は変わる」


 そうして、ずっとかぶっていた兜に手をかけた。

 シマハは息を呑んだ。無意識のうちに、コナの瞳を覆っていた。

 兜の下から流れ落ちた、金の絹糸のような髪。白い額の上のあたりから、乳白色の硬いものが――角が、覗いている。


「貴方は――……」


 恐ろしくて身がすくみ、言葉の続きが出てこない。


 レヴは先祖返りだ。シマハやコナと同じ。


 魔物の特徴を持って生まれた者は、生まれてから死ぬまで偏見と好奇の目に晒される。それはコルンフォリでも、ヴェルミリオンでも、ほかのどの国家でも、関係ない。数百年の昔からそうだった。

 王族にその特徴を持つものが、しかも王位継承者であるなどということは、決して誰にも知られてはいない秘密だ。

 けれど、だからこそレヴが王になれば、ただそれだけでコルンフォリは変わる。

 コルンフォリだけじゃない。世界中で、先祖がえりや魔物まじりと呼ばれている人たちを見る目が変わる。

 彼はそのために王になろうとしているのだ。


 膝から力が抜けていくのを、けれど、どうすることもできなかった。

 崩れ落ちるシマハを、後ろから抱き留める力強い手があった。

 フードで顔を隠しているが、アイスブルーの瞳はメルのものだった。

 メルは、シマハの知らない顔をしていた。ナイフを逆手に握り、今にも斬りかかろうとしているようだった。


「何故、彼女に秘密を明かした! お前たちの事情に、また巻き込むつもりか!?」


 いつからそばにいて、話を聞いていたのだろう。


「――やめて、お願いです。大丈夫ですから」


 メルの怒りは深く真剣で、シマハの声も届いていないみたいだった。

 彼は相手が誰なのかわかっていて、それでもなお刃を向けているのだ。

 たとえそれが王子でも、シマハを傷つけるというならば、喉を切り裂くつもりでいるのだ。シマハを守るために。


「殿下、お逃げください!」


 レヴは微かに微笑みながら、メルの眼差しを受け止めていた。

 そのとき、神殿に声が届いた。


「王子、どこにいらっしゃいますか……」


 それは女の声だった。

 足音と一緒に、かつ、かつ……と杖を突く音が届く。


「王子、いずこに」


 女が神殿の入り口に現れる。少女……のようにシマハには見えた。

 痩せた体をカタバミ色のドレスに身を包み、足が悪いようで、杖に頼りながら入ってくる。長い黒髪が表情を隠していた。

 使者たちの中に、彼女の姿はなかったはずだ。


「ベロウ、ここだ」


 王子が名前を呼ぶと、ベロウというらしい女は振り向いた。


「ああ……こんなところにおいででしたか。皆さま、お待ちですよ」


 妙に力強い、ぞっとするような闇色の瞳をしていた。射すくめられ、強張ったのはシマハの体だけではなかった。

 メルはもう、レヴを見てはいなかった。

 現れた女を見据え、その瞳は揺れている。


「アラリド……」


 その口から、知らない名前が零れ落ちた。



*****



 冒険者ギルドの前は、なぜだか酒盛りになっていた。

 様々な場所から追い出され、とうとう行き場がなくなった冒険者たちがどこからともなく集まり、たむろしはじめたのだ。

 酒を持ちだして回し飲み、呑気に歌をうたっている。


「お前ら~っ……酒盛りをやめろ! 歌もだ!」


 会合を終えたマジョアはギルドの二階から、力の限り、叫ぶ。

 すると、赤毛の剣士が杯を掲げた。


「おおい、マジョアのおっさん! 決めたのか! 依頼と報酬がありゃ、いつでも斬りこみ隊長になってやるぞ!」


 暁の星団のアトゥだ。


「お前には馬が無いだろう。私に任せよ」


 駒遊びの盤を挟んで座っているのは、ヴァローナだ。

 頬が赤い。結構飲んでいるのだろう。その状況で馬など乗れるものか……。

 マジョアは諦めて窓を閉め、室内に戻った。

 レピとエカイユが同時に溜息を吐いた。


「大変なことになってしまいましたね……」


 レヴの使者たちは帰って行った。

 もとより、ここまで来たのはヴェルミリオンに対する牽制、ルグレと何を企もうとも無駄だ、という意志表示なのだ。大国相手でも負けない武力と、優れた情報網を次代の王が持っていることを示したかっただけで、冒険者の中から兵を借り受けたいというのは建前だ。


「ああ、全くなあ……」


 マジョアは凝り固まった肩を動かした。

 窓の外からは陽気な歌声が届く。


 天の器に心は二つ。

 大地が呼べば海が鳴り、

 海が呼べば大地が震える。


 だいたいそのような意味の歌詞だった。

 イストワル地方に伝わる古い民謡だ。

 天の器は世界を示し、二つの物事がかたく結びつき、互いに離れることがない様を歌っている。転じて、恋歌によく使われたりもする。


 そういえばコルンフォリの今の王家も、イストワルに縁のある人々だったということを思い出し、マジョアはほんの一瞬、凍えた土地に思いを馳せた。


 歌は、日暮れまで続いた。

 そして太陽が西に落ち、夜が天の器を満たして再び明ける頃、オリヴィニスを囲んでいた兵士たちはルグレの領地に向けて出発し、影も形も無く消えていたのである。

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