第49話 美食三昧
樽ごと運びこまれた酒、酒、酒。
紅い絨毯の上に山と積まれた大量の料理。
肉は香辛料たっぷりの鶏に鴨に羊に、比較的海が近いため、魚も並んでいる。料理人のオススメは鰐梨と椰子の実の和え物と、贅沢な蟹のスープと、椰子と砂糖とたっぷりのクリームを混ぜて焦げ目をつけたプディングの一種だ。
色とりどりの果実は皿に山盛り、どれでも好きなのを選べば果汁を絞って魔法で作り出した氷を浮かべてくれる。
そして食事の間中ずっと楽団が音楽を鳴らし、すてきな踊り子たちが目を楽しませる。
メルの両隣に侍るのは、豊満な肉体を薄絹に包んだ褐色の美女ふたりだった。
「ねえ……メル様、考えなおしてくれまして?」
「むっふふふふふ。ど~おしよっかな~」
露わになった胸元から噎せるような香水の香りが立ち上る。
柔らかな肢体を押し付けられ、だらしなく鼻の下を伸ばす姿はとてもではないが彼を「師匠」と呼ぶ人々には見せられないものだった。
美酒美食を心ゆくまで楽しみ、それでもなお首を縦に振らない厚かましい少年を間に挟み、両脇の女性たちは目配せしあった。
ほんの一瞬のことだが、獲物にトドメを刺そうとする狩人の瞳をしていた。
そうしてもっと甘い声音を出そうとした瞬間、少年は女性のひとりに正面から向き合っていた。
出鼻をくじかれてなお、にっこりと向日葵のように微笑みを浮かべられたのは、ある意味、誇りのなせる技だったのかもしれない。
「これ、君らの稼ぎには足らないかもしれないけど……耳飾りにでもしておくれね」
どこから取り出したのか瑠璃の一塊を取り出し、ふたりの手に握らせた。最高級の美しい青を前にして、さしもの職業上の誇りも揺らいだようだ。
ふたりが呆気に取られているうちに、少年はさっさと席を立つと、バルコニーの方へと歩いて行く。
その足取りは確かで、強かに酔っぱらって見えたのも実は演技だったのかもしれないと思わせる。
その行く手では、月光の下に腰かけた、たっぷりした鬚をたくわえ、砂色の肌をした老人が召使に葡萄酒を注がせていた。
「……何が入用だ、金か、もっと上等の女か、それとも名誉か……王都の冒険者は礼儀を知らんようだ。いったい何をくれてやれば、私の息子を説得して連れてこようという気になる」
彼はメルの足音を聞くと、姿を見もせずにそう告げた。
灰色の瞳は月明りに浮かび上がる砂の丘陵を見据えている。
「お言葉だけど、オリヴィニスは中立だよ。コルンフォリ側の肩を持ったことはない。それから貴方には六人の息子と三人の娘、それから四人の妻がいるね、首長殿。それ以上、何が望みなのかな」
「長男は欲が深く、次男は傲慢だ。いつ寝首をかかれるか堪ったものではないわい」
「父親似で頭が良いんじゃない? ともかく僕の仕事はこれで終わりだ」
卓に手紙と、金貨の詰まった袋を置く。
「お前に子を持つ父親の気持ちなどわかるまいよ」
「さあて……でも、息子に手切れ金を渡される気持ちはなんとなくわかるさ」
男の名はデスタン。
大陸南部を支配する三十六氏族に席を占める有力な首長だ。
コルンフォリはおろか、ヴェルミリオンの手も届かない南部の土地は、馬を駆って弓を操り、手足のように剣を振るう《熱砂の民》の領域だ。彼らは血縁の連帯によってこの苛烈な日差しの降り注ぐ大地を守り、生活を営んでいる。
デスタンは苛々した仕種で革袋を放り捨てた。こぼれた金貨は廊下を転がっていく。
「ふん、あてつけがましくこんなもの送って来よって……!」
メルは溜息を吐いた。
少し時代を遡れば王と呼ばれていただろう男にも、人並みの悩みがあった。
それは息子のひとりが国元を離れて冒険者になってしまい、いっこうに戻ってくる気配がない、という非常にわかりやすい《家庭の問題》であった。
「金を受け取らなくても説得なんかしないからね。大人しく、息子のことは諦めて……」
「――これは、手切れ金などではないわい」
ぎろり、と睨みつけてくる。
「街の入り口に酒場があったろう?」
メルは装飾の施された壮麗な手すり越しにそちらの方角を見遣った。
絢爛豪華な屋敷に阻まれて見えないが、記憶が確かなら板葺きの粗末な小屋があったはずだ。
酒場だとは思わなかったが、夜だけ酒を出すのだろうか。
「以前、あの店に若い踊り子がいたのだ。なかなかの呪術の腕前でな。息子は屋敷を出ていく駄賃に娘を攫って行った。これはな、後から店主が請求してきた、娘が抱えていたとかいうくだらん借金と同額だ。……まったく、小さく見られたもんだ」
ぶつくさと文句を言う横顔には、尊大な物言いには似つかわしくない感情が現れていた。
金では埋めることのできない感情の穴、《寂しさ》だ。
「聞けば、娘はあれの母親に似た器量よしと言うじゃないか。踊り子だろうがなんだろうが、心底惚れていたのなら、いくらでも添わせてやったというに」
そう言ってデスタンは気難しそうな口元をむっつりと結んだ。
子が幾人いたとしても、いなくなったひとりを他の子らで埋めることはできない。
彼は何年も何年も、やきもきしながら帰りを待ち続けているに違いなかった。
尊大な態度は遠まわしな照れ隠しなのだ。
「……会いたいなら、素直に会いたいって言えばいいのに」
メルは呆れ、デスタンは手紙をくしゃりと破り捨てた。
「言えるか! こんな上辺だけを書き記した手紙ひとつ寄越されて……好いた女と故郷を離れて何年経つと思っとるんだ。……あっちで所帯を持ったのかとか、子はできたのかとか……書くことはいくらもあるだろう!」
「あー……そういう問題か……」
メルは腕組みをしたまま、どうしたものかと首を捻ってしまった。
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オリヴィニスの酒場。
今日は珍しく、みみずく亭でもギルドの酒場でもない。
高台にある金糸雀亭という店に、メルはいた。ここは店が広くて、席のあいだにゆったりとした空間と間仕切りがあるため、秘密の会話に向いている。料理の値が張るのは、致し方ない。
「……というわけで、酷い目に遭ったよ。息子を連れ戻してくれるまで屋敷から出さないとか言ってほぼ監禁状態。旅程もすっかり狂ってしまったよ」
恩着せがましく言ったメルの向かいの席には、腰に二振りの剣を提げた赤毛の剣士がいた。剣士は申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「すまん。まさか親父殿が強硬手段に出るとは思わなかったんだ」
「大人しく、顔を見せに里帰りでもしたらどうかな?」
「やめてくれよ、メルメル師匠。息子の気を引くためとはいえ、《長男も次男も役に立たないからお前に家を継がせることにした》なんて手紙を送ってくる親のところなんざ怖くて帰れるもんか」
……何を隠そう、家出したデスタンの四男坊とは、暁の星団のリーダー・アトゥのことであった。若かりし十代の頃、アトゥは砂漠を越え、オリヴィニスにやってきた。そのときに作ってしまった貸しを返すため、彼はメルに頼み事をしたのである。
つまり、父親が肩代わりした金の返却だ。
アトゥ自身が行けば、何やかやと理由をつけて戻って来れなくなるに決まっている。
そして大枚を預けるに相応しい冒険者は、それほど多くない。
「親父殿のことは尊敬してるが、俺は首長なんて玉じゃない。長男が適任さ」
メルは敢えて黙っていた。デスタンが会いたがっているのは首長の息子ではなく、五体満足で元気なアトゥなのだが、物事には正しい機会というものがある。
「しかし無事に帰って来れたとはいえ、メルメル師匠には貸しをつくっちまったな……カルンの主デスタンの息子、アトゥの名において受けた恩は決して忘れない。求められれば身命を惜しまずこれを返すと誓おう」
珍しく生真面目にそう言うので、メルはぎくりとした。
「まあ、気にしなくてもいいよ。うん、物のついでってやつだし、それは、全然気にしなくていい」
「いいや、それじゃ暁の星団のリーダーとしても立つ瀬がない。何か用事があれば、いつでも駆けつけるぜ」
「ああ……そう……」
監禁された、というのは方便だ。実際にひどい目にあったわけではない。
実を言うと、メルは滞在中ずっと「どうしよっかなあ、もう少し美味しいご飯を食べさせてくれたら、言うことを聞いてもいいんだけどなあ」などとデスタンをはぐらかすだけはぐらかして、豪遊し尽していたのである。
アトゥが宿へと戻っていくと、黙ってやり取りを聞いていたルビノは手羽先を摘まんだ手を下ろして言った。
「師匠、少し太りましたよね」
メルは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
ルビノは、冒険者としての厳しさより、楽しいことや遊びに流されやすい師匠の気質を誰よりもよく知っているひとりだ。
「どうするんです~? 三十六部族は怒らせると怖いですよ? 末代まで追ってきますからね、本当に」
「……折をみて、田舎に帰るよう言ってみるよ。ただ……肝心のシビルとの仲が、あれじゃあなあ……」
「シビルさん? なんでまた……」
「僕に聞かないでくれる……」
メルは考え込む。
アトゥが故郷を出るときに連れて来た踊り子というのが、どうやらシビルのことなのだ。デスタンはふたりは夫婦になったものと思い込んでいた。
まあ、借金を踏み倒してまで街から連れ出したのだ。
いろいろ想像するなというほうが無理だろう。
だが現実は想像とは全然、違っている。
シビルのほうは満更でもないのだが、アトゥは彼女の想いに全然気が付いておらず他の女性を口説いてはフラれ続ける三枚目を地でいっている。
彼の目には、シビルはあくまで優秀な魔術師としてしか映っていない……その事実を聞いたときのデスタンの、息子の常識を疑うような悲愴な顔は忘れられない。
彼女に申し訳ない、と言って土産まで預かったのだが、いったい何と言って渡したものかメルにだってわからないのだった。