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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで
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第40話 港街にて



 林の奥の洋館から、かすかに笑い声が聞こえてくる。

 声の主は朽ち果てた建物の二階にある部屋にいた。


「最初の頃、師匠はめちゃくちゃ厳しくて、敬語使えだの、師匠は敬えだの、いい加減腹が立ってきてメルメル師匠って呼びはじめたんす。そしたらマジョアのおじさんが面白がって、今じゃメルメル師匠のほうが通りがいいくらいで」


 卓上に置かれたカップから、紅茶の湯気が立ち上る。

 ソファに二人が向き合って話していた。

 片方は仮面をつけたこの屋敷の主、ミラン・シュティレ。

 もう片方はそばかすを浮かべた気の良さそうな青年だった。


「本人は不服そうですけど、みんな本名がそれだと思ってるから、この間、武具の修理を頼んだときも――……」


 話を聞きながら、ミランはおかしそうに笑い、体をよじっていた。


「ああ、おもしろかった。失礼だけど、きみたち、あんまり似てないね」


 ひとしきり話が済み、ミランは目尻に浮かんだ涙を拭った。

 目の前にいる冒険者は恵まれた体格をしており、冒険者メルとは何もかも違った。

 メルがどこか捉えどころのない風のようなものだとしたら、青年の屈託の無さは明るい太陽を思わせた。


「はい。よく言われるっす」


 はにかむような笑顔と毒気のない返事をして、ルビノは荷物から手紙を差し出した。封を切り、手紙の差出人がメルであることと、その運び手がルビノであることを確認する。

 ミランはそれと引き換えに金庫を開け、厳重に封印を施した箱を取り出した。


「今日はトゥルマリナに泊まっていくのかい?」

「いやあ……これを受け取った足でとんぼ帰りっす」

「これから? すぐに夜になってしまうよ」

「店を持ってるので、長くは空けられないんすよ」

「ああ、それはそうだね。間に合いそうかな……」

「夜通し走れば、なんとか」


 売り物は違えど、客の信頼を勝ち取ることの大切さはどんな商いでもおなじだ。

 店主にも都合があるとはいえ、『少しくらい』という思いで店を閉めてしまえば、客足は遠のいてしまう。

 その責任の重さは、ミランにもよく理解できるものだ。


 ルビノは箱に紐を結んで、荷物と一緒に背負った。


「《お前は私の雌鶏、盗人をつつけ、離れたなら高く鳴け》」


 紐を体の前で結びながら、結び目を軽く撫ぜる。

 ミランはその短いフレーズに目を細めた。


「ずいぶん古いおまじないを知ってるんだね」

「師匠の使うまじないっす。効果はあったりなかったり、微妙だけど」


 メルは年長者らしく物知りで魔術の知識が豊富だ。

 けれど、魔法の才能には恵まれなかった。体が成長しないせいか、何かの助けがなければ本職の魔術師たちのようにたくさんの魔力を扱うことができないのだ。


「次はメルと一緒においで。君たちとゆっくり過ごせたら楽しいだろうね」

「はい。伝えておくっす。……ああ、そうだ。ミランさん」


 玄関を出たところで、ルビノは何かを思い出したように振り返った。


「実は、教えてもらいたいことがあるんです」

「何だい? なんでも聞いておくれ」

「このあたりで、珍しいものが食える店を探してるんすけど……」



*



 ミランに教えて貰った通り、たくさん船が泊まっている港のそばに屋台がいくつか出ていた。


 一番人気は手軽な揚げ物で、見たこともないような食材が衣をまとい、少々乱雑な手つきで油の中に放り込まれていく。

 表通りのものとは違って、ここは船員たちがよく利用する店のようだ。海の幸も多いが、日常の素朴な料理も並ぶ。


 陽が落ちて明かりがつきはじめたばかりの店の一軒で、ルビノは、薦められるままに羊の骨をじっくり煮込んだスープと揚げ物を注文した。


 深いスープ皿に匙を差し入れ、きらきらした金色の脂が浮かぶそれを体に入れると、うま味といっしょにシナモンの優しい香りが立ち上る。


 暖かさを感じると同時に、指先の冷えにも気がつく。


 一口、二口と進めるにつれ、体温と一緒に潮騒の音や街の喧騒が戻って来るのを感じた。

 あの洋館で長く過ごしたせいだ、ということに思い至るのにそう時間はかからなかった。

 シュティレの館がとりわけ静かだったようには思えなかった。

 ミランとの会話は楽しく、紅茶の暖かさも感じたはずだ。

 けれど、あそこは本当は、目に見えるよりずっと静かで冷たい場所だったのだ。


「あたたまったでしょう。あんた少し白い顔してたよ」


 女店主が湯気の向こうから話しかけてくる。

 揚げ物は普通の鶏だったが、これも変わった香りがする。


「おかみさん、これの下味、珍しいものが混ざってるっすね」

「ああ、これのこと?」


 年配の店主が仕事の手を止めてネギに似た植物を取り出す。

 柑橘系の香りがするハーブだ。


「この港にはね、南のほうから船が来るから。香りの強いものがよく出るの。ハーブは魔除けにもなるしね」


 徐々に労働者たちが集まりはじめる。

 腰を据えて食事をするもの、酒をひっかけて街に繰り出す者と様々だが、船員たちの会話の端々から、彼らがずいぶん遠方の港からここを訪れていることが、強い訛りに乗せて聞き取れた。

 店の休みの日にだけ冒険者仕事をするルビノには、当分は足を運ぶことの無さそうな土地だ。

 体が温まって、珍しい。ミランはその二つの条件を考慮して、街の食堂ではなく、この屋台を薦めてくれたのだろう。

 さり気ない気遣いに感謝しつつ、冷えがすっかり取れて騒がしいお喋りの声がはっきりと聞きとれるようになってから、ルビノは帰途についた。


 森を振り返ると、そこは闇の中で色あせて見えた。


 来たときはそうは思わなかったのに。

 ルビノは、しばし立ち止まり、時間の枷から取り残されたまま屋敷に今もいるだろうミランのことを思い、彼と似た境遇である師のことを思った。


 

     ~~~~~



 それから数日後、みみずく亭に新しいメニューが並んだ。


「――経緯はわかった。わかったけれど……」


 メルは頼んでいた荷物を受け取りついでに土産話を聞き、テーブルに並んだ新作料理を眺める。


 それらは、客に供された白い皿の上で異様な雰囲気を放っていた。


 ごろりと乗せられ、レモンが添えられた鉤爪のようなもの。

 それと明らかに、動物の頭。


 前者は鶏の脚、後者は羊の頭の唐揚げである。

 鶏の脚といっても、腿のほうではない。

 爪のついているほうだ。


「その流れで、なんで君は《《こっち》》を出しちゃうのかなあ……」


 無難にスープのほうを出しておけばいいものを……。


「師匠には、こっち。試してみてくださいっす!」


 ルビノは笑顔で、他の客とは違う皿を出す。

 そこには揚げずに、調味料で煮込んだ鶏の脚が山積みになっていた。

 脂の多いプルプルした脚は、よく煮こまれて飴色に輝いている。衣がないため、皮の皺のひとつひとつまではっきり見えた。


「さすがにちょっと気持ち悪い……」


 ルビノが冒険者として行った先で口にした珍しいものを店で出すのが趣味、というのは理解できるとしても、このゲテモノ好きはいったいどこから来たのだろう?

 昔、特訓と称して目についた野草やキノコを端から食べさせてみたことはあったけれど……。


 メルは観念して爪先を少しだけかじってみた。


 酒と香りの強い野菜で丁寧に茹でられた鶏の脚に、獣の臭みは無い。

 濃い目の味付けは大蒜と生姜と、魚醤と、はちみつで甘みを足してある。

 内陸のほうでは手に入りにくい魚醤以外は、あちこち旅をして回る冒険者にとってはとくに珍しい味付けというわけではない。


 でも、体が温まる味だ。

 不意に、メルは窓の外を叩く乾いた風のことを思い出した。


「そういえば、この辺りもずいぶん寒くなったね」

「そうでしょう?」


 ルビノは得意げに言って、次の料理に取り掛かり始めた。

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