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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
《死者の檻の冒険者》編
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第164話 叡智の真珠《上》


 フギンは四台の動力部から《賢者の石》が入った金属容器を抜き出した。

 ロープで一括りにし、今度は休んでいる仲間たちを起こしにかかる。


「おい、マテル、行くぞ」

「う……ん? もう行くの?」

「ゴタゴタの最中にレヴ王子が即位したようだ。王子が約束を守ってくれることに期待して、退散しよう。俺たちは良くも悪くも玉座にまつわる交代劇を目撃してしまった。長居は無用だ」

「あぁ……。君の頭脳にもそういうややこしいことを考える余地があったんだね」


 フギンとマテルは寝ぼけ眼のヴィルヘルミナを引きずりながら、広間を抜け出た。

 旧城の廊下は戦闘の惨状がそのままで、物は壊され、漆喰の壁には焼け焦げがあり、血の跡が床を濡らしている。

 明るい昼間なのにどこか薄暗い。


「そんなに慌てて、どこに行こうと言うのかな?」


 三人の目の前に現れたのはグレオンとアリュウを従えた噂のレヴその人だった。


「王子……、いや、陛下……」

「いやだなあ、もしかして政権交代の裏側の一部始終を目撃した生き証人を始末しちゃうような、器の小さい人間だと思われているのかな? 私は」


 レヴは世間話のように言う。

 口調は軽やかだが、その表情には何ともいえない凄みがある。

 恵まれているとは言えない境遇を剣の力で跳ねのけた人物だという認識が、そうみせるのだろうか。

 態度をどう取るか決めかねていると、レヴたちの後ろから見知った人物がやってきた。

 もつれていた赤毛は戴冠式に相応しく梳かれ、そばかす顔には薄化粧を施しているが、黄金の聖杖を手にしたその人は《三日夜平原》で別れた聖女リジアであった。

 彼女は薄い唇を開く。

 戴冠式を終えたために《話さずの誓い》が解けたのだ。フギンたちにとっては初めて聞く声音だ。


「こしたらぐだきやねごどはやまなぐまれ! なが考えらごどはむったど茶番だ!」


 その瞬間、レヴは今にも噴き出しそうな表情を浮かべた。


「…………外国語?」


 フギンとマテルはぽかんとして成り行きを見守っている。


「聖女猊下、相変わらずひっどい訛りだねぇ。みんな、何を言ってるかわからないって顔をしているよ」

「さきた生き返きやせたなの仲間ば冥途サ送らぞ」

「方言がわからないだろうからって、わざとひどいことを言っていることくらいはわかるよ」


 リジアは前に進み出てレヴの隣をすり抜け、フギンの前に立つ。

 彼女は右手の手のひらを差し出した。フギンは咄嗟に、貴婦人のためにそうするように彼女の手を取り、跪こうとした。

 しかし、それよりも早く、リジアがはやく《《そうした》》。純白の衣装が汚れるのもいとわず、膝を床に着き、フギンの手の甲を額に擦りつける。


 聖女は、神前のみに拝跪するもの。


 王の前ですら跪かない聖なる存在が地面に跪いているのだ。

 フギンは驚いた。マテルは死にそうになっていた。

 レヴは少しだけ不思議そうな顔つきになった後、ぽんと両手を打ち合わせた。


「はあ、なるほど……。聖女自ら跪くことで、私にも彼らへの敬意を払えと言っているわけですね。心配しなくても功労者たちを傷つけるつもりはないよ。せっかくだから、フギン殿、帰られる前にぜひ、私の歓待を受けて欲しい」


 フギンたちは旧城を出て、ジュイサンヌ宮殿にあるレヴの私室へと招かれた。

 軟禁が解かれた今や、それを咎める者はいない。

 ふかふかのソファに、ずらっと居並ぶ侍女や侍従たち。高価なガラス窓をふんだんに使ったサンルームは美しい場所だったが、埃ひとつなく美々しい空間に、疲れ切った冒険者たちは居心地が悪い。

 アンテノーラも類い稀な宮殿ではあったが、厳かな雰囲気で、女神の教えに従い華美さからはどことなく一線を引いていた。それにくらべ、ジュイサンヌは流石に華やかだ。


「聖女猊下は辺境伯の娘さんで、宮廷に行儀見習いに来ていた頃に私とも知り合ったんだ。まあ当時からも訛りがひどくて、最初は何を言っているのかわからなかったんだけどね。ちなみに、行儀見習いの期間が終わっても、訛りは直らなかった」


 侍女が、銀のワゴンに焼き菓子を載せてやってくる。

 レヴは砂糖菓子の入った陶器のポットを持ち上げ、その蓋を開けた。

 中には淡い桃色や緑、黄色といった様々な色をした、花の形の砂糖菓子が入っている。


「はい、リジア。このままじゃ、誰も君が何を言っているのかわからないから、これを食べてくれ」

「その砂糖菓子は何なのだ?」


 ヴィルヘルミナが訊ねた。


「宮廷魔術師に作らせた特別製の砂糖菓子だ。喋っている言葉を標準化してくれる。魔術道具と言ってもいいかもしれないね」


 リジアは眉間に深い皺を刻んだまま、砂糖菓子を一つつまんで口に入れる。

 紅茶で流し込むと、変化はすぐに起きた。


「レヴ、この茶番は一体何なの? 久しぶりに王都に来たと思ったら、あなたのお遊びに付き合わされて不快だわ」

「うーん、翻訳されても、君が僕のことを嫌っているのは直らないね」


 いかにも朴訥とした優しげな風貌から、とんでもない毒舌が流麗に飛び出してくる。


「パンゴワンの策略やら、暴動やら……私も苦労したんだ」

「策略を働かせたのはどっちよ。間者を紛れこませて、混乱している民を誘導させて、王城まで導いた。すべてはあなたの思惑通りでしょうが」

「いやあ、何を言っておられることやら……。私が王となるのは民の意志によってのことです。さあ、約束通り、そちらのお三方の望みを叶えましょう」

「活版印刷機が貰えれば、それ以上の望みはないな」


 フギンが言うと、レヴは鷹揚に頷く。


「そのようにしましょう。しかし、残りのお二方の望みを聞いていません」


 マテルとヴィルヘルミナは驚く。

 活版印刷機だけでも、とんでもない高価な品物なのだ。


「今回の戦いに部外者である貴殿方は命を賭けてくれたのです。それくらい当然です」

「僕たちも? い、いいのですか?」


 戸惑うマテルに「もらっておきなさい。口止め料です」と、リジアが冷たく言う。


 一国の主にこんな口を聞けるのは、聖女という立場で、しかも幼馴染であるらしい彼女くらいのものだろう。


「私の立場でできることならば何でもしましょう。リジアは私のことを心の冷たい性悪だと思ってるみたいですが、私が掲げる理想は、ずっと変わらないままです」


 王子はそう言って、フギンを見据える。

 すべての人間が偏見なく対等に扱われる未来……。彼が即位したいま、その理想は少しだけ叶えられたと言えるだろうか。

 マテルは少し考えた後、望みを告げる。


「それでは……頂いた活版印刷機を、我々が指定する場所まで運んでいただきたいのです。秘密裡に、そして然るべき護衛をつけて」


 印刷機を運び出すとなると荷馬車が必要だ。結構な労働になるだろうし、目立つ。それに、フギンやエミリアを狙っている敵が妨害してこないとも限らない。


「搬出にかかる費用はもちろん受け持とうと思っていましたが、護衛ですか?」


 フギンは簡単に、自分たちが追われている経緯を説明する。解呪の際に、同じ話をミセリアとリジアにも聞いてもらっているので隠す意味はない。誰かから伝わる話だ。

 一通りを聞き終えると、レヴは考えこんで頷いた。


「なるほど。それで多少なりと因縁があるヴェルミリオンにイヤガラセができるというなら、喜んで私の部下を貸しましょう。印刷機はアリュウたちに面倒を見させます。それでよろしいか?」

「ありがとうございます、陛下」

「最後に、お嬢さんは何が望みだい?」


 ヴィルヘルミナはむっつりと考え込んでいた。

 金か、はたまた地位か、名声か。

 ヴィルヘルミナのことだ。何かとんでもないものを口にしそうだと思い込んでいたが、出て来た答えは意外なものだった。


「私自身に大した望みはないが、よければ《叡智の真珠》という本を、フギンに見せてやってほしいのだ」


 叡智の真珠とは、王宮に出仕したすべての魔術師の呪文を記録した書物のことだ。暴徒たちに焼かれてしまい、その後の事件のあわただしさで、フギンもすっかりとその存在を忘れていた。


「叡智の真珠……というと?」

「ストラトフォ大書店の主が持っている書物だそうだ」

「あぁ、なるほど。その書物そのものは寡聞にして知りませんでしたが、そういうことなら力添えできるでしょう。さっそく案内します。そこでお別れです」


 レヴは、その後は戦いの後処理に向かうので同行できないという。


「共に戦って下さった方々を見送れず、聖女猊下が仰る通り心ない人間だと思われるのが残念でなりません。私はこれからパンゴワンたちの代わりに信頼のおける者たちを宮廷に迎える準備をしなければならないのです」

「陛下、即位のお慶びを申し上げます」


 フギンは心からそう言った。

 レヴは複雑な表情を浮かべる。それは泣き笑いのような、笑顔とも泣き顔ともつかない、疲れた若者の表情のように見える。


「……同胞からの言葉がいちばんうれしい。旅の途上から、私の成すことを見守っていてください」


 喜ばしいことだけではないでしょうが、とレヴは言い添えた。

 望む未来が本当に来るのか、また、それが彼の手によってもたらされるに相応しい未来なのかは誰にもわからない。だが、フギンはレヴが王となることに何の異論もない。

 彼も旅をしているのだろうと感じた。

 冒険者とは違う旅路を。





 フギンたち三人は宮殿内にある大きな図書室に通された。

 そこには物腰柔らかな初老の男がおり、自らをクロード・ストラトフォだと名乗った。


「大書店の先代店主にございます。殿下、ご無事で何よりでございました」


 クロードは、暴動が広まる前にレヴに助けを求め、王宮内に匿われていたのだと話す。現在の店主である娘婿夫婦は先に王都を脱出したが、持病があり、足手まといになるため彼だけはここに留まっているのだとも。

 何よりも書店から持ち出した大事なものを、王宮に届けるためでもあった。

 彼は書見台の上に、一冊の本を置く。

 みるからに素晴らしい書物だった。

 表紙だけでも、青いびろうどに金糸と銀糸が織り込まれ、真珠と宝石が飾り付けられた美々しいものだ。


「こちらが《叡智の真珠》の目録となります。記録そのものは全部で三十八巻あり、呪文だけでなく、当時の魔術師たちの暮らしの記録をかねています」


 許可を取り、フギンはその表紙に触れた。

 魔術的なものは感じないが、妙な気配がある。精霊そのものではなく、表紙の奥にその気配を感じるのだ。

 ただの書物ではない。その向こうは精霊の世界に通じている、とフギンは感じた。


「どなたをお探しですか?」

「呪文からでも探せるだろうか」

「ええ、もちろんでございますとも。《叡智の真珠》は魔術書ではございませんが、数多の呪文を書きつけるうちに不思議な力を備えた書でございます。どうか、そのまま唱えてご覧ください」


 フギンは呼吸を整える。焦る気持ちや、乱れる心を落ち着けるためだ。

 この手の下に、自分が何者なのかを紐解くヒントがある。

 確かにあるのだ。


「《世界を啓く力よ、寄りて来たれ》」


 フギンの口から、言葉が紡がれる。


 其は竜の息吹、天より降りる糸車。

 海神の鳴声、来たれ。

 雷鳴の主よ、来たれ。

 灰の申し子たちよ、来たれ。

 寄りて来たれ。


 自然に、書物の表紙が持ち上がった。

 ページが繰られ、目的のものが現れる。

 かすれたインクで、その名前が記述されているのを見た。



『シャグラン・エルベヒム。

 帝都デゼルト出身。

 ベテル皇帝に仕え、両国の親善のために宮廷に招かれる。』

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