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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
《死者の檻の冒険者》編
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第154話 聖女《上》

 タイミングからして美少女は街でヴィルヘルミナをみつけ、宮殿に戻ってすぐに庭まで走ってきたようだ。

 うしろに控えたふたりの護衛たちは明らかに戸惑っている。

 フギンたち侵入者を前にどうしたらいいかわからないのと、自分たちの主が《ブーツの片足》という無手の状態でも十分武器になりそうなものを的確に選び、ヴィルヘルミナを打っている状況がうまく飲み込めていないのだろう。


「やっと追い払えてせいせいしていたというのに、何故また舞い戻ってきたのだ、この疫病神っ!」


 美少女がヴィルヘルミナを罵る様子はかなり手慣れた様子だ。

 妖精か、それとも野に咲く菫か、といった可憐極まりない見た目が、かえって活火山のように怒り狂う形相を三割増しで恐ろしく見せている。うなだれながら正座するヴィルヘルミナは、いつになく小さく見えた。


「オリヴィニスに行って冒険者になったと聞いたが、仲間を連れ、古巣に舞い戻って強盗でも働くつもりではないだろうな!?」


 美少女はフギンとマテルを睨みつける。


「ま、まさか!!」

「とんでもない!!」


 慌てて否定するが、状況としてはそう勘ぐられてもおかしくはなかった。

 聖女のおわすアンテノーラ宮殿の外壁を乗り越え侵入するなど、盗賊の類のなかでも下の下だろう。


「失礼を働いてしまったことは心より謝罪するが、大変なことになるまえに事情を聞いてほしい、アンナマルテ……様」


 フギンが可能なかぎり下手から切り出す。

 だがジロリと睨みつけてくる眼力は少しも弱まらない。

 たじろいだフギンの後を継ぎ、マテルが言葉を重ねる。


「実はヴィルヘルミナは厄介な呪いを受けていて、それを何とかできないかと思って聖都に立ち寄ったんです」

「呪いだと?」


 ヴィルヘルミナは泣きべそをかきながら、女神像の入った袋を差し出す。

 その袋をちょっと開けて中を確認した美少女は飛び上がらんばかりに驚いた。


「こんな不浄なものをアンテノーラ宮に持ち込むなんて!」


 フギンは手早く、呪いが女神像で封じられていることや、解呪のために聖女に面会したいことを説明する。

 そうしている間にも呪いは進行し、ただでさえ少なくなっている薔薇色の部分が消えていく。


「もう限界だよ、フギン!」

「ヴィルヘルミナ、剣と弓を捨てろ!」


 ヴィルヘルミナは言われた通り、背負っていた弓を放り投げて剣を鞘ごと外す。

 武器を持った状態で暴走されたら、それこそ打つ手がなくなると思ったのだ。


「ううっ…………! みんな、逃げてくれ!」


 ヴィルヘルミナの表情が強張り、その場にうずくまる。

 

「呪いが完成するとどうなるのだ」


 美少女も異常さを感じとったようだ。

 マテルが応える。


「ヴィルヘルミナが暴走して、もうひとりの仲間を殺そうとします」

「この娘を止めるとなると、それは難題だな」


 武器は捨てさせたというのに、誰もが不安げな表情を浮かべている。

 護衛役の騎士たちが前に進み出るが、その顔色は悪い。もしかしたら、ヴィルヘルミナの元同僚たちなのかもしれない。そうだとしたら、すさまじい実力のほどは嫌というほど知っているだろう。

 美少女は真っ黒に染まった像をフギンに投げる。


「狙われているのはお前だな。それを持って逃げろ!」


 危険だと言おうとしたフギンを遮るように言う。


「私はここで解呪を試みる。はやく行け!」


 フギンは少し思案したが、この場でできることは何もないと判断して走りだす。

 とはいえ見知らぬ場所で、どこに逃げたらいいのかもわからない。

 庭を横切り宮殿の内部へと入り込んだが、それがあまり良くない判断だと気がつくのに時間はかからなかった。


「きゃっ」


 外廊下に走りこんだフギンを見て、声を上げたのは侍女服に身を包んだ女性だった。

 というか、宮殿内を通り過ぎるのはみんな女性だ。

 聖女のための宮殿だから当然ではあるのだが、フギンにとっては完全に不利な場所だった。つまり、痴漢の類にしかみえない。


「だ、誰かっ! ここに見知らぬ男の方が!!」

「ちがう、誤解だ!」


 と声を上げたものの、見知らぬ男性であることは間違いない。

 しかも正規の客人ではなく、ただの侵入者であるので言い訳もできない。

 タイミング悪く、戸惑うフギンの視界に白い鎧をつけた騎士の姿が入る。


「そこのお前、何者だ!?」

「助けて! この人、痴漢です!」


 致命的な悲鳴を上げられ、もはや何を言い訳しても無駄だと悟ったフギンは踵を返し、やたら荘厳な彫刻が並ぶ渡り廊下を走り抜ける。


「あ、おい、お前っ! 待て、そっちは――」


 そして別棟の建物に飛び込んだ。

 とにかく誰かが迎えに来てくれるまで、隠れているしかない。

 廊下の両側に並んだどこに続いているのかわからない扉のうちひとつを開け、人気がないのを確かめて中に入った。

 その途端、ひんやりとした空気が肌を撫でた。

 明るい空間だった。天窓や大きく取られた窓からの明かりだ。

 室内はかなり広く、床には高価そうなタイルが敷き詰められ、ラピスラズリの青に染められた柱がずらりと幾列も並んでいた。柱の表面には白と金の唐草模様が描かれている。

 ふと隠れ場所を探して奥に進もうとする足を止めた。

 一段低くなったそこには、水が張られていたからだ。

 階段状に深くなった空間に、たっぷりと水が満たされている。



 まさか、ここは。

 


 ぴちゃり、と小さな音がする。

 音のしたほうに視線を移動させ、さらに深い後悔に襲われる。

 見知らぬ若い娘が裸で水に浸かっていた。

 濡れそぼった赤毛、肋骨が浮き出して見えるほどひどく痩せた体つきが、窓からたっぷりと入って来る陽光によって悲しいくらい露になってしまっている。硝子玉のように澄んだ深い青色の瞳は見開かれ、フギンを見上げていた。


「その、これは――――、これには、訳が……」


 思わず口走っていたが、いったいどんな訳があるというのだろう。先ほどまで痴漢と罵られていたのは、あくまでも誤解による冤罪だった。でももう誤解などではない。犯罪である。

 フギンは断頭台の列に並ぶ死刑囚のように項垂れた。目の前にいる女性が誰であれ、女の園に無遠慮に立ち行って、よりにもよって浴室に入り込むなど、とうてい楽には死ねないに違いなかった。


 しかし、娘は突然の侵入者に驚くこともなく叫び声を上げるでもない。

 ぴちゃり、と濡れた足の裏が立てる音が静かに近づいてくる。


「…………?」


 伸びて来た手のひらが、フギンが抱えていた塩の像を無造作につかむ。

 裸の娘は、無表情に像を奪い取ると水面に放り投げた。


「――――!?」


 女神像は無情にも水中へと泡を立てて沈んでいく。

 しばらくすると沈んだ像から黒いものが染み出してくる。

 像に溜まっていた何かがみるみるうちにあふれ出し、浴室にためられた水を染め上げていく。

 そして水面がすっかり真っ黒になってしまうと、それは靄になって外に溢れはじめた。

 思わず後ずさったフギンの手を娘がつかむ。

 靄は溢れ続け、フギンと娘のことを包み込んでしまう。

 周囲はまるで夜のように暗い。

 だが彼女の周囲だけは、靄に飲み込まれずに残っている。体のまわりに誰にも侵されない膜が張られているかのようだ。

 少女は闇の一点を指で示した。

 フギンがそちらに目を凝らすと、闇のむこうに誰かの後ろ頭が見えた。

 ローブを着こんだ後ろ姿が、こちらの眼差しに気がついてゆっくりと振り返る。

 長い耳の少年がこちらを睨みつけている。


「アマレナ……なのか……?」


 フギンがその名を呟くと、隣の少女が首を横に振った。


「違う?」


 問いかけると、うなずく。


「じゃあ、あれは《鴉の血》なのか?」


 少女はまたも首を横に振る。問いかけに応えることはないが、この娘がフギンには見えないものを見ているのがわかる。フギンが魔術師としての眼差しを持つように、彼女も他の者には触れられない世界を持っている。

 娘は再び水に戻り、アマレナに近づいていく。

 それまで憎悪に燃えていたアマレナの表情が歪んで見えた。身を捩り、娘が近づいてくるのを怖がっている風だ。両手で顔を隠そうとしているようにも見える。

 娘の手が、アマレナの腕を掴んだ。

 そのとき、二人が背にした浴室の戸が勢いよく開いた。

 そこには何故か泥だらけになった例の美少女がヴィルヘルミナの弓を携えて立っており、矢のない弓には白銀の矢が番えられていた。


「《女神ルスタに祈る者。病は癒え、傷はふさがるだろう。祈りによって命は永遠となる。それゆえに、悪しき者の邪な行いは全て打ち砕かれる》《裁かれない罪はなく、打ち砕かれない呪いもない。》《ルスタの威光は雨である。光である。風である。全ての罪びとの頭上に降り注ぐ》《ルスタを讃えよ、光女神を讃えよ、その威光を賛美せよ》!」


 聖句を早口に唱え、矢を放つ。凄まじいエネルギーが放出され、部屋全体が閃光で白く染まる。フギンは咄嗟に娘を庇い、その頭上を光芒が駆け抜けていく。

 抜けて行った先にはアマレナの姿があったが、どうなったのかはわからない。

 光が引いて行ったあとには、もとの静謐な浴室の姿が戻っていた。

 水も透明で、驚愕するくだんの美少女の姿をよくうつしていた。

 美少女はこちらを見るなり、叫んだ。


「聖女様っ!?」


 フギンは自分の腕の中に痩せた娘の体の感触があることをはっきりと感じ取っていた。だが直視する勇気はない。他人が今この状況を見たらどう思うかも、あまり考えたくはなかった。

 白く瞬いていたはずの視界が、途端に暗くなるのを感じた。

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