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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
《死者の檻の冒険者》編
153/238

第150話 燔祭《上》


 原っぱのちょうど真ん中に木でできた柵が立ててある。

 柵は円形になるように建てられ、入り口は無いが、何かの目印のように一か所に黄色い旗をつけた竿が立てられていた。

 その向こうにはくすんだ土壁の村の建物がぽつぽつと並び、さらにその向こう側には神秘と竜が住む白金渓谷を構成する山々が聳えていた。

 ウイエ村はオリヴィニスの北部、山岳地帯にある。冷涼な気候は農耕にあまり適さず、村人たちは羊を育てながら暮らしを立てているという。

 フギンたちは昼ごろにウイエ村に到着した。

 突然の訪問にもかかわらず、村の住人たちは現れた冒険者たちを歓迎してくれた。


「ようこそいらっしゃいました。もう少し早くに来てくださったら、羊祭りのいい時期だったんですけどねえ」


 村長の奥方だというふくよかな女性が、村のちょうど真ん中にある平屋の建物にフギンたちを連れていく。大きな長机が三つ置かれた建物では、村の女たちが炊事をしていた。この村では煮炊きのすべてをこの平屋で行い、食事もするようだ。


「羊祭とはどんなお祭りなんですか?」とマテルが朗らかな笑顔で、あくまでも世間話、というふうに訊ねる。


「このあたりでは牧畜が盛んですからね。祭の日には、山から羊たちを下ろしてきて、夏の間にどの家の羊がいちばん太ったか、競争をするんですよ。もちろん、ごちそうもたくさん」

「それは楽しそうなお祭りですね」

「ええ……。お祭りを行うと、その年の羊は一匹も欠けることなく村に戻って来ると言い伝えられています」

「ところで、この村に《金色の羊》を見たという人はいませんでしょうか」

「さあ……私は聞いたことがありませんけれど。そうだ、よければ昼食を一緒に食べて行ってくださいな。村の男たちもじきに畑仕事から戻りますから、聞いてみればいいでしょう。誰かが見てるかもしれませんからね」


 奥方は三人を椅子に座らせると、村の女たちに声をかけて建物を出ていく。

 女たちが立ち働くのを横目に、ヴィルヘルミナは旅の疲れを粗末な木製の椅子に預けた。


「どうやらこの村も外れのようだな……。意外と難しいぞ、《師匠探し》!」


 マテルは溜息を吐く。

 みみずく亭で依頼を受けたところまではよかったが、捜索は難航していた。

 いなくなったルビノの《師匠》は、街を離れる前、馴染の仕立て屋に《黄金の羊を探しに行く。毛が取れたら君にもあげる》と言って出かけていた。フギンたちはキレスタールに向かって毛織物の産地を特定し、メスヴィエという街でウイエ村の周辺に《金色の羊》が出るという話を聞いた。


「金色の羊ってさ……僕らがオリヴィニスに入る前に見かけたヤツだよね」

「ああ。そのことに気がついたのが少し遅かったな」


 話を聞いてすぐ街の外に出てみたが、変な鳴き声を上げ、フギンを襲おうとしてきたあの羊の姿はなかった。何故、ウイエ村の付近で見られるという羊がオリヴィニスにいたのかは、謎のままだ。

 フギンは女たちに声をかける。


「すまない、誰か、この村の近くで《金色の羊》を見た者はいないか?」


 中年から少女まで、四、五人は顔を見合わせると、黙ったまま首を横に振る。

 そして物も言わずに昼食の支度にうつる。


「おかしいね、メスヴィエの街では結構目撃者がいたのに……」


 羊の毛を仕入れるため、牧畜を行う村を回っている商人たちにとっては珍しくもない出来事のようだった。それが、肝心なウイエ村の人々は見たことが無いと言う。それどころか、フギンたち以前に村を訪れた冒険者にも心当たりはないらしい。


「望み薄だが、村の周辺に野営の跡が無いかどうか後で探ってみる」

「僕も行くよ」

「マテルは村で足を休めているといい。このあたりの山道は、歩き慣れない人間には険しい」


 マテルはむっとするが、最終的には意見を受け入れた。フギンは旅のはじめから魔術を利用して直接持ち運ぶ荷物や武具などを少なくして、移動にかかるマテルの負担を極力少なくするように努めている。祖父の遺品であるメイスも同じようにしまったままで、携帯しているのは柄の短い、比較的重量が負担にならないものだ。

 旅のことに関してはフギンに任せると決めた以上、口出しはしないが、少し寂しい気持ちになるのも確かだ。フギンやヴィルヘルミナとは住む世界が違うのだと言われているようで。


「それにしても、ルビノはどうして《師匠》とやらの名前を教えてくれなかったのだろうな?」


 ヴィルヘルミナは首を傾げる。


「それは……」


 フギンが答えようとしたところで、建物の中に村の者たちが集まってきた。

 女たちがそれぞれの席にチーズやパンを並べていく。さらに薬缶を手にした女たちが杯に白く濁った飲み物を注いでいく。

 全員が揃ったところで、檀上に村長とその夫人が並んだ。


「本日は遠方からお客様がいらっしゃっているようです。この出会いを祝福しましょう。どうぞ皆様、杯を手に取ってください」


 町長に促されて、村人たちは杯を掲げる。

 娘たちが三つの杯を盆にのせてフギンたちのところにもやってくる。

 中身は羊の乳を使った酒のようだ。

 三人はそれぞれ杯を取り、乾杯の音頭と共に飲み干した。


 その直後、重たい眠りが、夏の嵐よりも急速に三人を襲ったのだった。





 夢の中で、マテルは祖父のそばにいた。往時の面影もない、痩せた体からはほのかに死の臭いがする。

 それでもマテルは祖父が大好きだった。

 ここではない世界の話をしてくれて、その場所に行きたければどうすればいいのかを教えてくれる祖父は、いつも父母や工房の人たちとは違う眼差しを向けていた。その瞳の奥に、広大な草原や、まだ見ぬ大海原や、遺跡や神殿の影を見つけるのがたまらなく好きだった。

 その日、祖父は仕事中のマテルを呼び寄せるとインクで汚れた手のひらを撫でながら言った。


「マテル、お前にヴィールテスの秘密の呪文を教えよう」

 

 秘密の呪文?


「精霊の力を借りるための呪文だよ」


 あの銀色の戦槌の? それならもう教わったよ。


 祖父はゆっくりと首を横にふった。


「あの武器に力を貸した精霊たちは、特別な精霊たちなのだ。彼らは太古の昔から《血の契約》によっていまだに縛られている。そして私たちもまた、血の契約によってあれらの武器に結び付けられている。戦う運命であり、宿命なのだ」


 祖父の語り口調はこれまでにないほど真剣で、いつもどんなときでも優しく微笑んでいた姿しか知らないマテルがこれまでに見たことがないものだった。


「この呪文は特別なものだ。特別な血筋のためにしか用いることが許されないもの。もしも私が死んでも、その使命が解かれることがないならば……」


 祖父は緊張しきったマテルを見つけると、いつものようににこりとほほ笑んだ。


「もしも迷子の鴉が困っていたら、お前が助けておあげなさい」


 迷子の鴉? どういうことなの? おじいちゃん…………。


 返事はない。寝台の上で祖父は深く眠っていた。

 カーテンを揺らして暑い夏の陽射しと風とが入りこんでくる。

 中庭を挟んで、工房では職人たちが忙しく働いているというのに、一切音が聞こえてこない。

 静かだった。

 それが祖父の死に際の出来事だったと気がつき、マテルの心臓は高く跳ねる。

 その拍子に夢と眠りとが同時に覚めた。


 周囲には見覚えのない風景がある。


 その戸惑いよりもむしろ、祖父の言葉を何故今の今まで忘れていたのかという疑問のほうが大きく頭を占めていた。あのとき、祖父は何かとても大切なことをマテルに伝えようとしていた。

 けれど時間が経って夢が遠ざかり、気持ちが落ち着いてくると、あれは現実ではなく幻想だったのではないかという気がしてくる。

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