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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
《死者の檻の冒険者》編
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第148話 みみずく亭の依頼《上》

 

 エミリアが狙われている理由を知り、マテルは途方もない気持ちになった。

 これは盗み出した賢者の石を返せば帳消しになるような安っぽい問題ではない。

 しかも地下水道で同じ現象を目にしているマテルとフギンは同じ秘密を共有してしまっている。かつてヨカテルと仲間たちを襲った魔の手が今度は一介の冒険者に向けられているのだ。


「理由がわかったとして、これからどうしたらいいんだろう……」


 マテルのつぶやきに、ヨカテルとフギンが同時に顔を上げた。


「帝国の関心を逸らす方法が一つだけある」

「錬金術協会を煙にまくなんざ、簡単なことだ」


 異口同音に言葉を発し、二人の錬金術師は顔を見合わせた。

 相変わらず眠たそうな顔と、とても堅気とは思えない鋭い目つきがお互いを怪訝そうに見つめ合う。


「ふむ。こういうときはまず若者に譲ってやるべきだろうな」


 ヨカテルに促され、まずはフギンが発言する。


「秘密のせいで追われるなら、秘密を秘密で無くせばいい話だ」


 ヨカテルは声を立てて笑った。それも爆笑、といっていい笑い方だ。


「お前さん、冴えない見た目の割に意外と小賢しいじゃねえか。気に入った」

「そりゃどうも。論文の複写は存在してるのか?」

「ある。それよりも帝国が嗅ぎつけてくるのは早いぜ坊主、どうする?」

「とにかく速度だ。短時間で大量に()()()()()()()必要がある」


 初対面のはずなのに二人は何故か息がぴったりと合うようだ。マテルはそんな二人の間で戸惑うことしかできない。


「待って。話の流れが見えないんだけど……」

「何言ってやがる。こんなに明朗な話は他にないぞ。どんな事実であれ大半の人間が知ってしまったら秘密は秘密でなくなる。そう言いたいわけだ、この冴えねえ面した坊ちゃんはよ」


 ヨカテルはフギンの鈍色をした頭を掴み、上機嫌に揺さぶっている。

 フギンはされるがままだ。


「連中が隠したい秘密を、往来のど真ん中で、それも天に届くほどのデカい声で叫んでやるのさ。賢者の石の秘密を白昼に晒してやるんだ。そうだろ?」

「具体的には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「いいねえ、あとは街の隅々、村のひとつひとつを回って焼き払って回らない限り秘密は拡散し続ける。焼き払うよりも認めちまうほうが楽だと思うね。何しろ優秀な錬金術師なら皆うっすら勘づいてる話だ」


 それを聞き、マテルは文字通り青い顔になった。


「それって、つまり、僕たちの手で《事実》を公表するってことか?」


 何十年も前に、そして何十年もの間、闇にひっそりとしまわれていた《賢者の石》の秘密を大陸中に知らしめてやろう、というのだ。この二人は。


「そんなことしたら、どれだけ多くの人たちを敵に回すことになるか……!」

「アホか。とっくの昔にお前らは踏んじゃいけねえ連中のプライドをへし折って泥塗れにしちまってるんだよ。どこから襲われるかわからねえ今の状況より、見る者聞くもの全部敵だって決まってるほうがいくらかマシだ」

「無茶苦茶だ。そもそも、そんなことが僕らに可能なのか?」


 マテルは一縷の望みに縋るかのように、フギンに問いかける。


「確かに、これまでの写本では時間がかかりすぎる……」


 フギンたちが秘密をまき散らそうとするのを帝国や錬金術協会が手をこまねいてみているとは限らない。呪いを送ってきている人物がどっちに属する人間なのかは知らないが、呪いなどという迂遠な代物を手放して直接的な手段を講じてくるのは間違いないだろう。


「だから()()()()()が必要だ」


 フギンははっきりとそう言った。

 

「噂しか知らねえが、活版印刷機ってのはどんなもんなんだ?」

「仕組みは実際に見たことがないからよくわからない」

「そんなもん些細な問題だ。おそらく動力以外は単純なもんだ、くだらねえ。いくらかかるのかって聞いてんだ」

「あぁ……なんでも家一軒分は下らないらしいな。しかも印刷機は全て帝国の管理下にあって、売買は盗みどころか反逆罪と同等の重罪だ。入手方法を置いておくにしても、金の工面をする方法が今のところ見つからない」


 フギンは渋い顔で「ミダイヤにせびられた金が全て手元にあったとしても、とても手が出ない」とつぶやく。


「このオッサン自ら事実を明らかにしてくれたら、話が早いのではないか?」


 ヴィルヘルミナが指摘する。

 何しろ、帝国を離れるまでヨカテルは協会でも重要な地位にあったはずの人物で、当時の伝手も残っているだろう。身を守る手段も何かとあるはずだ。

 ヨカテルはにやりと笑う。


「やだね。なんだって俺が一文の得にもならん事をせにゃならんのだ。何の利益もなく帝国に喧嘩を売るよりは、活版印刷機を開発してお前らに売りつける方がマシだ。なあに、お嬢ちゃんは腕利きだしお前ら二人も若い。冒険者としてまだまだ十分働けるさ」


 邪悪な笑みだった。借金のカタに奴隷契約を結ばせて、死ぬまで働かせようという魂胆が透けて見える。

 この店には只者ではなさそうな護衛たちがたくさんいるが、おそらくそういう風に弱みを掴まれて逃げられないに違いない。

 情報屋というよりは、借金取りのやり口だ。

 引退後に情報屋になったのも納得の性悪さであった。





 黒鴇亭を出たとき、時刻は真夜中を通り過ぎていた。


「まさか因縁の《活版印刷機》に命を救われるかもしれないなんて……」


 隠された階段を上り、マテルは大きなため息を吐き出した。


「いんねん?」


 ヴィルヘルミナが首を傾げる。


「マテルの実家は写本工房なんだ」


 協会の秘密主義のせいもあり、今はまだ写本師たちの仕事も残っている。だがいずれ、印刷機そのものが世に出回ることになれば一気に無くなってしまうだろう仕事だ。


「とはいえ、大金を用意しないことには何ともならないがな。それくらいの金を一気に稼ぐとなると、竜でも殺さない限り話にならない。ヴィルヘルミナ、ちなみに竜殺しの経験は?」


 ヴィルヘルミナの答えはシンプルだった。


「無い。そして無理だぞ」


 いつも最強を自負している彼女があっさりと認めるのを、マテルは意外な気持ちで見ていた。


「君でも無理なの? その、ものすごい魔法の弓の力を使っても?」

「この弓はあくまでも女神の意志に逆らう者を懲罰するために下されたものだ。しかし、竜族は女神様の祝福を受けた種族であるからして、この弓で射貫こうとすれば逆に私が神罰を受けることになる」

「そういう縛りがあったのか……」

「まあ、竜のほかは伝説上の聖人くらいでないと発動しない縛りではあるがな」


 だが、小さな仕事を請けてちまちま稼いでいるのでは、何十年もかかってしまう。その間に呪いが追いついてきてしまうだろう。


「もしもお金があったとしても、本当に、こんなやり方でいいのかな。帝国を相手にやり合うなんて」

「けどな、マテル。フギンの言うことにも一理あると思うぞ。帝国が軍隊を寄越すというのなら、確かにそれは絶対にやめておいたほうがいいだろう。だが、今回の場合はそれはないと断言できる。軍隊を出せば連中はこちらの言い分が正しいと認めることになるからだ。精々、これまでと同じように暗殺だの闇討ちだのというせせこましくて小狡い手を打つだけだ」

「君に説得される日が来るとはね……」


 ヴィルヘルミナは妙なところで鋭いところがある。

 三人は、高台から街へと下る坂道をとぼとぼと歩いていく。宿屋や店の多い通りに向かっていたが、黒鴇亭の《賭け》で稼いだ金はヨカテルに全て取られてしまい、どこかに泊まれるほどの手持ちもない。

 ただ、まったく心当たりがないというわけでもなかった。別れ際、ヨカテルは「知り合いの食堂の主が人探し専門の冒険者を探してる」という情報をくれた。その仕事を請けることで、当座の滞在費を作るしかないだろう。

 住宅街を通り過ぎ、大通りを一本奥に入った、商店や飲食店の多い通りに出た。


「食い逃げだっ! 誰か、捕まえてくれ!」


 そんな怒鳴り声が聞こえて、小汚い身なりの男が汗を散らしながらこちらに走ってくる。

 小汚いとは言っても、革の鎧を着こんで武器を携えた冒険者だ。

 捕まえろと言われても、街の住民と思しき者たちは誰も手を出さない。ギルド街から遠いせいか、ほかに冒険者らしい姿もない。


「よし来た、任せろ!」


 往来の真ん中に出たヴィルヘルミナが両手を構えて腰を低く落とし、食い逃げ犯を待ち構える。フギンは慌てて止めた。


「ヴィルヘルミナ! 相手は人間だ、殺さずに捕まえられるのか!?」

「――――――はっ!?」


 フギンの指摘を受け、ヴィルヘルミナは動きを止め、咄嗟に足払いをかける。

 絶妙のタイミングで前進を止められた男は、無様に地面で二回転し、それでも何とか体制を立て直す。立て直しただけならともかく、その場で剣を抜き、フギンたちに迫ってくる。

 マテルはフギンを庇い、いつものように前に出ようとした。


「下がって、フギン!」

「ヴィルヘルミナと同様の理由で下がるのはお前だ!」

「あぁ――――まあ、そうか……お任せします……」


 マテルはメイスで食い逃げ犯の剣を二、三度受け、攻撃はせずに剣を抜いたフギンと立ち位置を入れ替える。魔物相手には便利で使い勝手のいい武器だが、それで人間を本気で叩くととんでもないことになってしまう。いくら犯罪者とはいえ、ここは街中だ。


「やめろ、お前たちと戦いたいわけじゃないっ!」


 だが男は反転し、震えながらフギンに呼び掛けた。


「た、助けてくれっ!!」

「――――――は?」

「どんでもねえバケモノに追われてるんだ、仲間はみんなやられちまった!」

「いや、あんた、食い逃げなんだろ? バケモノって……」


 街の中にそんなものがいるわけない、と言おうとしたフギンの顔に唾を飛び散らせながら、男は必死に叫ぶ。


「食い逃げなんてかわいいもんだ! あいつはとんでもねえバケモンだ……!」


 状況が全くわからない。男は震えながら通りの向こうを睨んでいる。

 フギンたちも、大の男に泣きそうな顔をさせるものが何なのか、好奇心で同じ方向を見つめる。

 果たして、男の言う《とんでもないバケモノ》が現れた。

 前掛け姿で、きょろきょろと辺りを見回す二十代の若者だ。普通なら、景色に埋没してしまいそうなごく当たり前の青年だが、短い赤毛とそばかす顔はかなり見覚えがあった。

 若者は路地にフギンをみつけると、顔をくしゃりとさせて手を振った。


「あれっ、もしかして、フギンさんたちじゃないっすか? フギンさーん」

「あ……」

「あ、あんたら……あいつの仲間かっ!?」


 若者は笑顔のまま、距離を詰めてくる。

 前にも後ろにも引けなくなった男は、剣を構えて大振りに斬りかかる。


「仲間と会えたみたいで良かったっす。再会を喜ぶ前に、少し用事を済ませちまいますね」


 ルビノは何でもない顔で、振り下ろされた刃を人差し指、中指、親指の三本で受け止める。男も渾身の力を振り絞っているだろうが、刃が相手に届くことはない。そのまま横に倒された、と思った次の瞬間、剣が真ん中から割れていた。

 完全にフギンの理解の範疇を越えたことだ。

 武器を失った男ができることは、この場にはもう何も残っていなかった。

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