第123話 仲違いの街《上》
噂に聞いていたアーカンシエルはただの禿げ山になっていた。
と、いうのも、街の入口が崩落し、落石ですっかり塞がれていたからだ。
あの崩壊具合では内部の被害も相当のものだろう、と覚悟していたアトゥは、いつもより暗いだけで平穏そのものの街を目にして肩透かしを食らったような気分だった。
いわく、落石はその昔、外敵の侵入を阻むためにわざと崩れやすい状態にして置かれたもので、内部には影響がないよう鉱山師たちが計算し強固な魔術によって固定されていたのだそうだ。
その魔術が解けるような何かが起きたわけだが、原因は調査中ということになっている。大陸の東側で冒険者は煙たがられる存在ではあるが、だから教えてくれないのではなく本当に不測の事態なんだろう、というのが顔なじみのギルド職員の反応から抱いた印象だ。
アトゥは金板クラスの冒険者だ。
その名声と栄誉は自分ひとりで得たものではない。五人の精鋭と暁の星団の名はオリヴィニスでは知らぬものはいない。
彼が仲間のうち二人を連れてこの街までやってきたのは、情報交換と冒険者登録を済ませるためだ。
帝国領内で冒険者証を取得していない者たち、つまりオリヴィニス以西のギルドで冒険者となった者たちは、帝国領内で活動するときに身分を検め、武器携行証を受け取らなければいけないという制約があった。
金板のパーティとして実績を積み、オリヴィニスではそこそこ名の知れた冒険者たちでさえその調子である。これ以上、帝国領内にとどまるのはどこかしら座りが悪い心持ちがする。
しかし、ここまでの旅にかけた労力を考えると手ぶらで帰るのも考えものだ。
迷いを振り払うように、アトゥは両手を打ち合わせ、パチンと音を立てた。
ギルドの前を行きかう人々がその音につられて視線を投げるが、すぐに興味をうしなってどこかへと流れていく。
「今日は何か美味いものでも食おうぜ。俺の奢りだ」
試験というより取り調べに近い職員の嫌がらせをうけ、ぐったりとしていたシビルがうれしそうに顔を上げた。
これまで拠点にしていた小さな鉱山街では、新鮮な食糧や、ましてや美食などとても望めない。
「さんせーい! ねーえ、何を食べさせてくれるの?」
ここのところ埃っぽい街と廃坑を行ったりきたり、砂と泥をきめ細やかな肌になすりつけるような毎日で、日々を無味乾燥に過ごしていたシビルがやっと表情を取り戻してくれた。少女時代に戻ったかのような笑顔に、アトゥの表情も綻ぶ。
パーティメンバーがにこやかに、かつ喜んで仕事をしてくれるようコンディションを整えることはリーダーの大切な役目だ。
「みみずく亭の旦那が紹介してくれた店がこの街にあるんだよ」
そう言った瞬間、シビルは元の無表情になって地面を見つめた。
「ミミズとイモムシのサラダが山盛り食べられるとか?」と不審な顔つきで言う。
「申し訳ないけど、食べられるのはコウモリまでかな……」と、ヨーン。
みみずく亭とは、オリヴィニスにある食堂の名である。メニューにはゲテモノしか並ばず、店主に頼み込まなければ鶏豚牛を出さないと有名だ。
「さすがに昆虫食や獣肉料理を奢って偉そうな顔はしない。郷土料理を手ごろな値段で出す、普通の食堂だよ。旦那はあれで舌はたしかなんだぜ」
「えぇ……」
「まあまあ。まずい店だったとしても、河岸をかえればそれで済むじゃないか」
アトゥは率先して歩きはじめた。残りのふたりも、リーダーがそう言うんなら、ととくに深く考えることなく後ろをついてくる。
ごく自然に誘導できたことに、アトゥは心のなかで黒い笑みを浮かべていた。
これから行く食堂、《瀝青の狐亭》は、表面上は先ほど述べた通りの郷土料理の店なのだが、その裏側には妙なうわさがあった。
みみずく亭の店主が言うには《この店で食事をした冒険者パーティは喧嘩別れをする》というのだ。
もちろん、故郷を出てからずっと冒険を共にしてきたシビルや、パーティ結成当初から加わってくれているヨーンと別れたいわけではない。むしろ、この絆が分かち難いものであると信じているからこそ、その店で何が起きるのか見てみたいのだ。
要するに、ただの好奇心である。
*
瀝青亭は思っていたよりも雰囲気の良い店だった。
店内は清潔で明るく、店員は親切だ。人通りにくらべて客足が少ないのが気になるが、それは大した問題とは言えない。
アトゥは人好きのする笑顔を一分の隙もなく浮かべて地酒の杯を傾けていたが、本当は抜け目なく周囲をうかがっていた。
これまでのところ、うわさが真実だと証明する兆候らしい兆候は見当たらない。
運ばれてきた料理も問題なく、それどころか期待以上の見事なものだ。
今のところ、この店に喧嘩別れをうながす要素はひとつもない。
うわさはうわさ、ジンクスはジンクスだ、ということかもしれない。
半ば安心して酒の杯を進めていると、別のテーブルで派手に騒ぎながら食事をしていたグループからひとりが立ち上がったのが見えた。
鈍い緑色の髪をした少年で、かっこうからしてアトゥたち冒険者に近い。まず間違いなく同業者だろう。
じつは彼らのグループが何ものなのかということは、店の女給にチップをはずんでリサーチ済だった。
彼らは若い街の警備兵のグループだ。
昨晩起きた崩落事故で、巻き込まれた衛兵を冒険者が救ったという出来事があった。兵士たちは仲間を助けた若者らを歓待している真っ最中なのだ。
しかしそれを喜んでいる節がみじんもない少年は、少し迷いながらもまっすぐこちらの席にやって来た。
そして仲間たちを眺めわたし、アトゥに声をかける。
「フギンだ。ザフィリを拠点にしてる冒険者だ」
「俺はアトゥ、オリヴィニスから来た。話は聞いたぜ。街の人を助けたってな。同業者として鼻が高いぜ」
「それは仲間のことだ。怪我をしていて、今は休んでて……それはいいとして、少し聞きたいことがあるんだ。あんたたちがオリヴィニスじゃ有名なパーティだと聞いたんだ」
「まあ、そう急くなよ。夜は長いんだ。手順通り親交を深めたところで罰は当たらないだろ」
フギンはためらいがちに差し出された広い手のひらを握り返す。
アトゥは少しだけ眉をひそめた。
少年の手のひらは滑らか、というほどではないが、少なくとも剣ダコはない。身なりは軽装、体つきも華奢で前衛を張れるとは思えない。
てっきり精霊術師だと見当をつけていたが、腰に剣を提げている。
「何か?」
そのちぐはぐさが何に由来しているのか考えていたわけだが、少年は意外と目ざとく、妙な間の取り方を見逃してはくれなかった。
アトゥはまだ半分ほど入った酒瓶を手に取って揺らしてみせる。
「いや、何にも。酒は飲めるか?」
「俺は飲まない。あ、いや……少しなら」
いかにも人付き合いが苦手で、仕方なく必要に迫られてそうしているようすが手に取るようだ。
あと数十秒もしたら、シビルがこのいたいけな若者をからかいはじめるだろう。
そうなる前にアトゥから切り出した。
「無理に飲ませたりしないさ。要件を聞こうか」
「《メル》という人物に心当たりはないか?」
シビルとヨーンが同時に眉をしかめた。
*
板張りの床に、こつん、と小さな音がする。
アトゥは手を伸ばしてそれを手に取る。
ずっと利き腕にしていたアミュレットが切れていた。冒険者の仕事をはじめる前から、それこそ故郷にいたころからしていた腕輪だった。
誰に言っても信じてもらえそうにないが、あの頃は自分がこの世界でずっとやっていくのだと確信が持てなかった。ただ今を生き抜くためにした最良の選択と、仲間たちの助けと、運のよさに支えられて、風に吹かれるようにたどり着いたのがこの場所だ。
フギンは、シビルの手を引いて故郷を抜け出し、何も持たず、これからどうしたらいいのかも手探りだった頃のアトゥとよく似ていた。
二階席のバルコニーに出ても風は全く感じられなかった。
地下の空間に瞬くランプの並びが眺められるだけの場所だが、誰にも話が聞かれる必要のない空間をあえて選んだ。
いつもだったら、メルというのが何ものなのか遠慮なく話して聞かせてやったことだろう。でも現在、それはできない。
「悪いんだが――」
と、切り出すとフギンはうんざりした顔だ。
「メルについて答えることはできない、だろ。ギルド長からのお達しで箝口令が敷かれてる。理由が知りたい」
これまでもニスミスやデゼルトで《メル》という人物について問い合わせたが、答えは一様だった。ギルド関係者ではなく、冒険者個人に対してなら話は違うかと思ったが、箝口令はずいぶん行き渡っているようだ。
「それも答えられない。悪いな。冒険者ギルドに逆らったら、売れっ子とはいえこっちも商売あがったりだ。それに何故、そんなことを知りたがる?」
「会って話がしたい。ただそれだけだが、俺にとっては大事なことなんだ」
「ふむ……」
人を見る目には自信がある。自信のなさそうな表情やしぐさには、弱さだけでなく何か隠し事の気配がするが、危険人物だという気はしない。
「本当に悪いな。それ以外のことなら、力になれるんだが」
フギンは首を横に振った。
「直接、オリヴィニスに行って自分の足で探す。それなら問題ないんだろう?」
「ああ、そうだな。よほどの危険人物でもなけりゃ、あの街は来るもの拒まずだ。そこのところは保障するぜ」
「ところで、この店の噂は知ってるか」
フギンは無表情だ。少しちがう表情が紛れているかもしれないが、付き合いのないアトゥにはまだ読めない。
「食事をした奴らが喧嘩別れするって話ならな。心配しなくても、俺たちの仲はそんなにヤワじゃない」
「そうか。だったら、いいんだ」
フギンはそう言って階段を降りていく。
その後ろ姿を見下ろしながら、ふと不思議な感覚にとらわれる。
頼りなく行く当てもなさそうな背中が、捉えどころのなく吹く風のむかう先へと飄々と歩んでいく別の背中と、少しだけ重なってみえた気がしたからだ。
時間を置いてアトゥも階下に降りた。
フギンも元のテーブルに戻っており、少しだけこちらを気にする視線がみえたが、すぐに逸らした。
アトゥはにこやかに片手を上げてみせ、席に着く。
異変に気がついたのはまさにそのときだった。
シビルとヨーンが黙りこくっている。
料理はまだたくさん皿の上にあり、酒の量も十分。疲れが出てくるには早すぎ、夜はまだこれから。
それなのに、ふたりは明らかに機嫌が悪かった。
シビルは街中で下種な男に尻を撫でられたときのような顔をしているし、普段は温厚な性格のはずのヨーンは襲い来る魔物を相手にしているときのようだ。
最悪だ。
少し席を離れた間に何があったのだろう。アトゥは気が付かないふりで酒を飲み、様子を探りながら、ひとつだけ残っていた料理に手を伸ばした。
「あーーーーっ!!」
ふたりが大声を上げたのは、鶏肉のハムの一切れがアトゥの口の中に消えたあとだった。
「なんてことをしてくれたのっ!」
「アトゥ、君にしては空気の読めない行動だね……!」
「なんだなんだ、いったい」とアトゥは口の中のものを飲み込んでから、戸惑う。ふたりは明らかに怒りの感情を向けてきている。「食べちゃいけなかったのか?」
「それを議論してたのよ! 今まさに!」
シビルは美しい顔をクシャクシャにして訴える。
「いいかい、アトゥ、君はその美味しいハムをいくつ食べた?」
「ふ、ふた……あ、いや、三つか……」
「私は二つしか食べてないわよ!」
「僕もそうだ。それは最後の一枚だったんだよアトゥ!!」
最後の一枚……。
そうだったのか、とその事実を受け止める気持ちと、だからなんなんだ、とくだらなく思う気持ちが、おそらく表情に出ていたはずだ。
シビルの眉はますます吊り上がる。
「あのね、私たちは、その最後の一枚を誰が食べるべきか、あなたのいない間に徹底した議論をしていたのよ」
「ああ、そうだよ。だけどシビル、君は誰にも断りなく羊肉のからあげをひとつ多く食べたよね」
「あなただって豆料理を多く食べてたじゃない! ハムを食べる権利は私にあるわ」
「豆の数をいちいち数えてたっていうのか!?」
議論は白熱していく。議論というより、それはもはや口喧嘩だ。
席を離れるまでは、こんな雰囲気ではなかった。
いったい何が起きたのか……。これが、数々のパーティを破局に導いたという瀝青亭の、底知れぬ魔力のなせる技なのか。
「食事中にすまないが、少しいいか?」
窮地に陥ったアトゥに声をかけたのは、席にもどったはずのフギンだった。