赤紅
~NО.1 『暁 零』~
「わぉ、すっげぇ。人間いっぱいじゃん」
バラバラと散っていく人、人、人。
それを屋上のフェンスに座りながら見下ろして、ケラケラと笑う。
この笑みの理由は、一体なんだろうか。
頭の中で、ふとそんなことを考える。
「蟻...いや、蜘蛛みたいだから?」
人間が慌てる様はたしかに笑いを誘う。
「あそこから解放されたから?」
まぁ、それも一理ある。
「自由に、なれるから?」
あぁ、これは中々いい答えだと思う。
でもスッキリしない。
「うぅ~ん」
建物の中にきえていく影を見つめて、首を傾げる。
どうして俺は、笑ってたんだっけ。
大きく唸って、順に考えていく。
そうしてポンと手を打って、導き出した答えにニンマリと口角をあげた。
「そうだ、可笑しかったんだ」
今、ゲームの準備に走り回る人間たちが、このあとどんな表情でゲームをするのか、とか。
今後、自分の好き勝手に行動できるんだ、とか。
みぃちゃんのこと、とか。
そういう解放感や期待、昂揚感といった感情たちが、身体中を駆けめぐった結果、笑いがこみあげて。
「こういうの血が騒ぐって言うのかな」
心臓のあたりに爪を立てて、震える息をゆっくりと吐き出す。
そうでもしないと、今すぐにあの蜘蛛の子たちを追いかけてしまいそうだった。
まだゲームは始まっていないのに。
まだその時じゃないのに。
早く、はやくと気持ちが先走り、俺の身体があの衝動を、あの快感を、心底求めて...。
「ダメだよ、まだ、我慢しなきゃ」
小指のツメを噛んで、最後の人影をみおくる。
その内、武器をえらんだら何人か出てくるだろう。
「武器を持って、安心しきったところを、追いかけて、追い詰めて、弄んで、痛めつけて」
どうしよう、想像しただけでこんなにも楽しい。
口から小指をはなして、ニタリと嗤う。
がまん、がまん、と口に出して自分に言い聞かせても、一度想像してしまえばもうダメで。
「あんまり我慢しすぎると、あとが大変なんだよねぇ」
なんて、言い訳にもならない言葉を呟いてみる。
「でも、みぃちゃんと約束したし。約束守れば褒めてもらえるし」
やっぱり、ここは抑えるべきかな。
思考を切り替えるために、何か気を紛らわせるものを探す。
とはいえ、ビルの屋上に変わったものなんてある筈もなく、仕方なしに自分の服を見やる。
「パーカー、黒じゃなくて、紫とかの方が目立って良かったかも」
腕まくりをして、この前いれたばかりの刺青を指でなぞる。
なかなか良い仕上がりだが、服も刺青も黒いため、何だか物足りない。
それに髪が邪魔だ。
「ながいっ!」
自前の赤髪を後ろによけて、フードを被る。
長い方が目立つし、個性的だと思ったからそのままでいたが、これは切ってもらう事になりそうだ。
「ゲームが始まる前に、みぃちゃんに切って貰おうかな」
耳についたピアスを弄りながら、そう計画を立てる。
三時間もあれば、どうにかしてくれるだろう。
鼻歌を歌って、足をぶらつかせる。
「いいじゃん、いいじゃん。鬼ごっこの鬼は目立ってこそだよねぇ」
ガシャン、とフェンスに足をぶつけて、ちらほらと出てきた影たちに、鬼はココですよ、とアピールする。
何人かが俺の方を見て。
そのことに優越感をいだいた俺は、きっと誰がどう見ても上機嫌にしか見えないだろう。
それでいいのだ。
だって、楽しいのだから。
「人生は一度きりなんだから、エンジョイしよう!」
ゲームが始まったら、お前ら捕まえてやるからな、という意味合いを込めて、下のヤツラに手をふる。
折角あそこから出れたんだし、自分の好きな恰好で、自分がしたい事をして、自分の感情の赴くままに動こう。
そうしてこのゲームを目一杯、楽しむのだ。
手に指装甲とよばれる龍の爪のような武器をはめ、首にはあの日貰ったシルバーのネックレスを煌めかせる。
「あの時は、まさかこの首輪が、俺たちをこんなに楽しませてくれるとは思わなかったなぁ」
キヒヒッと笑みを深めながら、シルバーについた逆十字をゆらした。
一か月前のあの日に思いをはせて...。
~・~・~・~
あれはそう。
特にいつもと大差ない、変化のない日のことだった。
独房の中。
いつも通りみぃちゃんに起こされて、たぬきジジィに朝から殴られ、そのあと飯食って。
半年前からずっと続いてるこの生活に、そろそろ飽きたなぁ、なんて思いながら。
今日はどんな風に、あのたぬきジジィを煽ろうか、と考えていた。
..ここまではいい。
ここまでが、俺たちの『日常』だ。
けど、この日だけは違った。
いつもの流れを無視して、黒づくめの男3人と、その男たちに囲まれた真っ白い変な男が現れたのだ。
そこで俺はピンときた。
こいつらは俺たちの日常を壊しに来た、って。
ドキドキ、いやゾクゾクした。
何かが壊れる音と、何かが始まる音がする。
みぃちゃんと、たぬきジジィを見た。
みぃちゃんは、いつも通りの無表情。
たぬきジジィは「面倒だ...」なんてぼやいてはいたが、その目はそんな事言ってない。
面白そうだ、って期待するような、今までの退屈な日常の憂さを晴らそうとしているような、どこか獣を連想させる目をしていた。
皮肉にも、きっと俺もそんな目をしてるんだろう。
ジジィと一緒っていうのはちょっと腑に落ちないが、でもまぁこれからの事を考えれば、あとはどうでも良くなってくる。
ヤバイ、ヤバイ。
あぁ、また外に出て、自分の好きなことができるのか。
此処はつまらない。
灰色のコンクリでできた壁、床、天井。例えるならそう、コンクリの箱だ。
それに全員おんなじ白と黒のボーダー柄の服。何の色味もない。
何か日常に変化があるかと言えば、別に何もない。
灰色、白、黒。
もう、ウンザリしてくる。
どうせなら部屋も、服も何もかも統一してしまえばいい。
そしたら、ペンキで真っ赤に染め上げるのに。
ここは、何もない。
壁を白く塗りつぶす奴はいないし、真っ赤なペンキもない。
ない、ない。
何も、ない。
面白いものもない。
楽しいこともない。
変なこともない。
驚くこともない。
こんな状況が面白い、って奴がいたらぶん殴ってやる。
それくらいつまらない。
でも、唯一ここに『あるモノ』がある。
違うな、モノじゃない。
『色』だ。
そう、こんなモノクロの箱の中にポツリ、ポツリ、ポツリ。
赤と、白銀と、青紫。
俺と、みぃちゃん、あとたぬきジジィの『色』。
他の奴らはほとんど黒髪茶髪だから、俺らの色は物凄く目立つ。
でも、それだけ。
この三色しかない。
新しい奴が来ても新しい色が増える事なんてないし、みぃちゃん以外の奴らには
興味なんてないし。
俺にとって、自分の独房以外はどうでも良かった。
一つ難点を上げるなら、それはジジィも同じ独房にいる事。
すぐキレるし、殴ってくるし、とにかく五月蝿い。
だけど他の独房に居るよりはマシだと、思っていた時にあらわれた“変化”。
漸く、このツマンナイ生活から抜け出せる。
期待以上の変化が目と鼻の先におちてきた。
と思ったのは一瞬で、何故かジジィも一緒らしく気分は急降下。
まぁ、みぃちゃんとこれからも一緒にいられるのは嬉しいけど、ジジィも
一緒って...こいつら馬鹿なのか、と心の中で嘲笑う。
確かにジジィの腕力は強いけど、ただの脳ミソ筋肉で出来ただけの能無しじゃん。
道に迷うし、すぐ暴力で解決しようとするし、役立たずなのに。
やっぱり黒ずくめと白い奴、頭おかしい。
ジジィが俺たちと一緒に出所するという言葉を聞いた瞬間、黒づくめと白い
奴の話を右から左に受け流す。
話に興味失せたし、何するかなと床に転がってみる。
ぼんやりとみぃちゃんを見つめて、暇になると構ってほしくてちょっかいを
かけてみる。
すると視界が真っ黒になった。
「...黒い、封筒?」
手渡された黒い封筒。
中から出てきたのはシルバーの逆十字のネックレス。
最初はブランコみたいに左右に揺らして、飽きてきたから円を描くようにぶん
ぶんと高速で振り回す。
チラリ、と長い前髪の間から男たちを見ると、白い男の額に血管が浮いている
のが見えた。
それに気づかないふりをして、今度はそのシルバーをジジィに向かって投げ
つける。
パシッと簡単にキャッチしたジジィに舌打ち一つ。
ジジィの眉間に皺が寄ってる事なんて知らん振り。
封筒から除くソレをまた指に引っ掛けて、みぃちゃんの首に丁寧につけた。
そしてキラキラ光る白銀の糸を優しく持ち上げて、するりと手から滑らせる。
これで完了。
最後の一つを適当に自分のポケットにねじ込んで、みぃちゃんの脇に両腕を
差し入れ、俺よりも一回り小さい体を抱き寄せた。
俺よりも低い体温。
でもどこか温かくて、眠気が襲ってくる。
先程まで聞き流していただけの男の声なんてもう耳に入ってこなくて、
みぃちゃんのいつもより低い声だけが俺の耳に優しく滑り込んでくる。
「協力?内容が分からない限り、頷くことも、首を振ることも出来ません」
「 」
「何故、私たちなのですか。」
「 」
「...理解しかねます。それで貴方になんのメリットが?」
「 」
「......て..い...........」
やばい、眠気が...。
みぃちゃんの声が、子守唄に聞こえ、てき...。
も、むり.......。
そのまま、吸い込まれるように眠りについて、ジジィもいつの間にか寝ていた
らしい。
起きた時にはもうあの黒づくめも、白い奴もいなくなっていて、寝てしまって
から5時間も経っていた。
結局、あいつ等の話しは全然聞いてないし、何の用件であいつ等が来たのかも
聞いてなかった。
みぃちゃんに説明してもらったけど、やっぱり子守唄にしか聞こえなくて、
また眠ってしまった。
ジジィはちゃんと聞いていたらしく、「お前、馬鹿だな。」って呆れ果てた
顔で言われた時はイラッときたけど、簡単に説明してくれたから殴らないで
おいた。
どうやらこの独房から出してくれるかわりに、仕事を頼みに来たそうだ。
仕事の内容は簡単すぎて拍子抜け。
でも、すごく楽しそうだった。
俺の感が当たった。
やっぱりあいつ等は、この日常を壊してくれるらしい。
仕事は楽しそう、衣食住は提供してくれる、それに給料は高い。
いい話過ぎて疑ったけど、みぃちゃんが大丈夫って言ってたから心配ない。
じゃあ俺にとってメリットしかない生活だ、と1か月後に始まる仕事に胸を
躍らせた。
~・~・~・~
「零、やはり此処に居たのですか。」
コツコツと音が近づいてきて、俺はフェンスに座り込んだまま上体を後ろに
倒した。
「あ~、みぃちゃん!!」
俺の事さがしてたの?とぶら下がりながら言えば、みぃちゃんがしゃがみ
込んで俺の顔を見下ろす。
「いでっ」
「えぇ、二十分も探しました」
パチンと額にデコピンをお見舞いされて唇を尖らすと、みぃちゃんが俺の
おでこを撫でてくれた。
まぁ、デコピンをしたのも、みぃちゃんなんだけど。
でも俺の機嫌は、すぐに良くなってしまうから不思議だ。
きっと、みぃちゃんパワーだ。
みぃちゃんは何でもできる子だから。
「よいしょ」と反動をつけて、上体を起こす。
ストンと地面に足をつけると同時に、屋上から下の階へ続く階段のドアが
吹っ飛んだ。
真横を通り過ぎていくドア。
ついさっきまで、俺が座っていたフェンスにドアが刺さってた。
「ポチ、何してやがった。このノロマ」
いつの間にか俺の目の前まで来ていたソイツは、俺の頭をガシッと掴むと
だんだんと力を込めていく。
ミシミシと頭の中で、音が響いた。
「いだだだだっ、テメッこのくそジジィ!!その馬鹿力で俺の頭、掴むんじゃ
ねぇ!!!」
「あん?人様に迷惑かけといて、生意気だな。少しは反省しろ」
頭にかかっていた重圧が消えてホッと息をついたら、今度はゴツンという
大きな衝撃。
一瞬、熱が走り、次に襲ってくるのは物凄い痛み。
「いってぇ!!!」
頭を抱えて、うずくまる。
無言で俺の頭を撫でてくれるみぃちゃんは、まさしく天使だ。
「大丈夫ですか?」
そう言って、苦笑しているみぃちゃん。
やっぱり違った。女神様だった。
...みぃちゃん、男だけど。
でも、性別なんかどうでも良くて、俺は蹲ったまま男にしては細い
みぃちゃんの腰を引き寄せ、首元に顔を埋める。
すると、くすぐったそうに笑いながら頭を撫でてくれた。
なんか年の離れた兄貴に慰めてもらってる気分。
あまりにも居心地が良くて、つい口が緩んでしまう。
こういうのを幸せって言うんだろうなぁ。
やっと外に出れて、これから退屈しない生活を送れそうで、傍には優しい
みぃちゃんがいる。
これ程、嬉しい事もないだろう。
俺にとって幸せの象徴である、腕の中におさまった体温をギュッと抱きしめる。
「零...」
みぃちゃんに名前を呼ばれてハッと我に返った。
右足に力を込めて、勢いよく地面を蹴る。
後ろに振り返ると、地面から拳を引き抜いているジジィがいた。
コンクリートの地面には拳ほどの大きさの穴と亀裂。
その現況であるジジィに目を移すと、ユラリと静かに立ち上がり前髪の隙間から
こちらを見つめてくる。
あの眼はヤバイ。
本気で怒った時の眼だ。
下手したら殺されるかも。
ジジィの攻撃から避ける時に抱き上げたみぃちゃんを、ゆっくりと下ろしジリ
ジリと後退する。
額から冷汗が流れた。
俺が一歩下がると、一歩前進するジジィ。
もう、逃げ道はない。
ジジィとの距離は二メートル。
あぁ、俺死んだ、そう覚悟した時。
ペチンとやる気のなさそうな音が小さく響いた。
「いい加減にしなさい。仕事があるんですから遊んでいる暇なんかありま
せんよ。ホラ、狩魔も零も、早く行きましょう」
みぃちゃんに背中を押され、屋上に背を向ける俺とジジィ。
俺は死刑が免れて、大きく安堵の息を吐く。
ジジィはというと、先程みぃちゃんに叩かれた頭をガシガシと掻きながら面倒
臭そうに歩き、煙草を咥えていた。
そんな俺たちの前にぬぅっと現れた黒づくめの男二人。
「あの方がお呼びです」
そう言い残すと、クルリと身を翻して歩いていく。
ついてこい、と背中が語っていた。
黙ってついていくのは詰まらないので、後ろを歩いていたみぃちゃんの手を
引っ張る。
俺より小さい白くて華奢な手。
骨をなぞってみたり、指を絡めてみたり、光にかざしてみたり、包み込んで
みたり。
みぃちゃんの向こう側で、ジジィが「玩具与えられたガキか」とぼやいていたが、無視。
俺の指にはまっている指輪を外して、みぃちゃんの指に嵌めてみたり。
爪を撫でてみたり、手を揉んでみたり、くすぐってみたり。
そうこうしている内に、ビルを下りて車に乗り込み、あの白づくめの男の前まで来ていた。
未だに俺の手元にあるみぃちゃんの手。
真っ白い奴の話しを右から左に流して、俺の武器である指装甲をみぃちゃんの
指につけてみる。
うん、中々だ。
ちょんちょんと、みぃちゃんの掌を突くと指を曲げたり伸ばしたりしてくれる。
そんなことを繰り返して、しばらくすると白い奴がいつの間にか眼前に立って
いた。
「君たちには、昨日話したとおりに行動してもらう。いいな」
何かあったら逐一報告を頼む、それから君たちには期待しているので頑張って
くれ。
そう言うと白い奴は、扉へ向かう。
その後に続くみぃちゃん。
俺も寝ているジジィを叩き起こして、扉の外へ出た。
「それではな、君たちの無事を祈っているよ!!!」
高笑いして屋敷の奥に消えていく白い奴。
名前は確か、メティアリムと言っていた。
でも、覚えるのが面倒だからシロって呼ぶことにする。
シロが消えていった方向をボーッと眺めていると、またあの黒ずくめが出て
きてさっきの部屋の向かいの扉を開ける。
「こちらには様々な武器をご用意させていただきました。どうぞご自由に
お使いください」
深々と頭を下げて退室するそいつらを無視して、室内をグルリと見渡す。
銃と爆弾の類はないが、色んな種類の武器がある。
武器の装飾も中々に凝っていて、この武器だけでも結構な金額になるだろう。
シロは金持ちなのか。
武器を探しながら、そんなどうでも良い事を考える。
みぃちゃんは大鎌が好きなようだ。
蛇か骸骨の装飾、どちらにするか迷っている。
対してジジィはナックルと呼ばれる、まぁ人を殴るための武器を両手に嵌める
だけ。
それからはただ只管、煙草を吸っていた。
俺はどうしよう。
武器なら指装甲があるし。
他は要らないかな...あっ、あれ持っていこう。
きっと今の俺は、悪い事を思いついたような顔をしていると思う。
ニヤッと笑って、それをポケットの中に詰め込む。
みぃちゃんも、武器は決まったようだ。
「さぁ~て、行こうぜ。」
みぃちゃんの腕をグイグイ引っ張る。
後ろからジジィのため息が聞こえたが、無視無視。
俺は今、それどころじゃねぇんだ。
ドキドキ、ワクワクっていうのかな。
楽しみで楽しみで仕方がない。
身体が疼く。
無意識の内に、舌なめずり。
あぁ、この昂揚感、たまらない。
始めよう、俺たちにとっては天国のような
でも相手からしたらまるで地獄のような
最低最悪、残虐非道な
この世のものとは思えない
世にも珍しい、楽しいゲームを。
もうすぐ、開始の合図とともに
甘美な赤と、一つの悲鳴が
辺りに 絶望を生み落とす