魔女の館
深い森のどこかに魔女が住む館があるという。
そんな噂を耳にした男はその真偽を確かめるために魔女がいるという森に足を踏み入れいていた。
森の中は薄暗く昼間であるはずなのに足元まで日の光は届いていない。
男は草の根を掻き分けるようにして魔女の館を探すが、それらしい館を見つけるどころか、人工物がまったく見当たらない。
周りにあるのは森の草木だけで道も男が通ったあとにできていくばかりだ。
そろそろ探索を諦めて帰ろうか。男はそう考えていた。
森の中なので少々時間はわかりづらいが、微かに見える日の光はオレンジの光に変わりつつあるようだ。
男は手ごろな切り株に腰を掛けてしばし思考を泳がせる。
「ふむ。やはり、収穫がないというのは残念だが素直に帰ることにした方がいいな」
その結論が出るまで十妙もかからなかった。
男は腕っぷしには自信があったが、森の中の獣を相手に夜を過ごすというのはさすがに難しい。
自身の身の安全を考えると、このまま森から出た方がいいという結論に達したのだ。
しかし、そこに思考が思い当たって初めて男はある問題に気づいてしまった。
「……道に目印を付けておけばよかったな……失敗した」
そう。帰り道がわからないのだ。
当初はこんな奥まで行くつもりはなかったし、すぐに帰るつもりであった。
しかし、いざ探し出してみるとなぜか夢中になってしまい気づけば、こんなに奥深くまで来てしまったという次第だ。
らしくない失態だと男は苦笑いを浮かべる。常々子供たちには森で迷わないように注意しろと言っているが、自分がこれではしばらくそれも言えなくなってしまう。
おそらく、このまま森の中で迷って帰らなかったら、自分は魔女の餌食になった人間として話しの中に加えられるのだろう。
もしかしたら、どの話も真相はこんなものなのかもしれない。
そんなことをしている間にも陽は落ちて行って、徐々に森が闇に包まれ始める。
少し耳を澄ませば遠くの方で獣の方向らしきものも聞こえてきて、森は本格的に夜を迎えようとしていた。
男は恐怖をごまかすように暗い森の中で乾いた笑みを浮かべる。
近くの茂みからガサガサという音が鳴ったのはその時だ。
「なんだ?」
噂の魔女だろうか? はたまた、森にすむ獣だろうか?
男は懐から護身用のナイフを取り出して茂みに向ける。
「おや、これは迷子か?」
しかし、男の予想に反して森の木々の間からひょっこりと顔を出したのはまだ幼さの残る金髪の少女だった。
一瞬、彼女が魔女なのではないかと勘ぐってしまうが、彼女はそういったものとはかなり遠い雰囲気を持っているように見えた。
「あぁまぁそうなんだ……」
だったら、なぜこのようなところにこんな少女がいるのだろうか? という疑問を持たざるを得なかったが、今の男にそんなことを冷静に考えている余裕はなかった。
暗い森の中で少なからず心細くなってきていたその時に人に会うことができた。その喜びの方が大きいのだ。
彼女もまた、人に会えてうれしいのか、満面の笑みを浮かべている。
「ねぇ。迷子になっているのなら、朝になるまでうちに泊まらないか? もちろん、お金はとらないからさ」
「いいのか? 俺みたいな男がお嬢ちゃんの家に泊まっても」
一応、これは確認しなければならない。
もちろん、手を出すつもりはないが、彼女自身がどう考えているかということが大切だ。
あまりこういうことは言いたくないが、あとから何かをされたといわれてはたまらない。だからこその確認だ。
少女は一瞬、驚いたような様子を見せてから笑い声をあげる。
「私は何もしないよ。もちろんあんたもさ。だって、それ目的でこんなところで迷子やってるわけじゃないだろ? それにこの森は迷い込む奴が多くてな……自宅とは別にそう言ったやつを泊めるための建物があるんだよ。そっちにいれば、何も心配はないだろ?」
若干男勝りに見える少女はこれまた豪快に笑い声をあげる。
なるほど。確かに森の中に入って行方が分からなくなったのに二日後ぐらいにひょっこりと戻ってくるやつもいないことはない。
彼らは運よく彼女に助けられて生還することができたのだろう。
まったくもって運がいい。
男はなぜ、助かった誰もが少女の話をしなかったのかという疑問を抱きながらも彼女の後について行った。
それこそが、魔女の館への一本道だとは知らずにだ。
少女は暗い森の中で鼻歌を歌いながら歩いていく。
最初は道なき道というような雰囲気だったのだが、徐々に獣道のようなモノが現れる。
おそらく、彼女が普段からとおっている道なのだろう。慣れた手つきで草木をかきわけて少女は進んでいく。
「もうすぐ着くからがんばってね」
少女が笑顔で語りかける。
男は小さくうなづいて彼女のあとを追いかけていく。
正直なところ、足場が悪く疲れもあってかなりきついのだが、こんなか弱い少女の前で音を上げるのは男のプライドが許さなかった。
少女は男のうなづきを肯定と取ってくれたようでペースを落とすことなく森の中を歩き続ける。
それにしてもよくこんな森の奥に住んでいられるものだ。
これほどの森だから、食料も水も豊富なのだろうが、その分獣なども多い。
安全面などを考えると、森の中に住もうという発想にはなかなかいたれないはずだ。
男はそのあたりについて聞こうとも思ったが、なんだかはばかられた。
これから泊めてはもらうが、朝になったら森を出て家に帰るだけだ。そうなれば、この少女と関わるわけではないのだから、プライベートな内容に踏み込むような質問をして険悪な雰囲気にあるなるようなことを避けたいと思ったからだ。
「もうすぐ着くよ」
歩き始めてから数十分。
少女が久方ぶりに口を開いた。
その直後に小さな小屋が二つほど見えた。
それは木で造られたどこにでもあるような小屋で二つともに煙突がついていることから、彼女の言う通り、普段少女が暮らしているのとは別の小屋に泊まることになるのだろう。
少女は向かって右側の小屋に男を案内する。
扉を開けると、中にはこじんまりとした部屋があって、ベッドや机といった必要最低限のモノが置かれている。
「奥の扉がお風呂になっているよ。食事はこの後すぐに夕食と朝食分を持ってくるわ」
少女はそういうと、小屋から出ていく。
おそらく、食事の準備をするためのもう一つの小屋へと向かったのだろう。
彼女の足音が離れて、もう一つの小屋の扉の開閉音を聞きながら男はイスに座り、体を伸ばす。
それにしても、ここまでの道のりは長かった。
好奇心から森に入って、少女に会って、そして今は森の中の家に泊めてもらっている。
本当に不思議な縁だ。
疑問は多々ありつつも、とにかく助かってよかったと今更ながら男は実感していた。
おそらく、少女は森の外へ至る道を教えてくれるだろう。その場所が多少村から遠くても森から出られれば万々歳だ。
男がそんなことを考えていると、控えめなノックの後に少女が姿を現した。
「お待たせしました。今夜の夕食と明日の朝食のパンです。大したものはありませんけれど……」
彼女はそういうと、机の上に盆を置いて立ち去っていく。
そして、帰りがけに振り向いて男を見た。
「……私の家の方……つまりはもう一方の小屋の中を見ないでね。乙女の秘密はのぞいじゃダメだからね」
彼女はそう言い残して、小屋から出て行った。
もとよりもう一方の小屋などのぞくつもりはないが、こんな小屋を用意して、あんなふうな注意をするということは何かがあったのだろうか?
そうだとしたら、かなりのお人よしとしか言いようがないが、こんな森の中に住む彼女のことだ。何かしらの考えがあるのだろう。
この時点で男はすっかりと魔女の話など忘れて食事に手を付ける。
温かいスープを口に含みパンを食べる。
実にシンプルな食事だが、とてもありがたかった。
食事を終えると、疲れからか眠気が襲ってきた。
しかし、このまま寝てしまわずに汚れた体を洗いたかったので風呂を沸かすために外に出る。
家の裏手に行くと、風呂を沸かすための薪などが置いてあり、男はそれを使って風呂を沸かし始める。
「……おや? これからお風呂ですか?」
その直後、少女の声が響く。
男が振り向くと、いつの間にかいくつかの薪と斧を抱えた少女が立っていた。
「薪。足りる? みんな疲れているからか、風呂も入らずに寝ちゃう人が多くて……余り数を用意していないのよ」
「うん。大丈夫……あまり長湯はしないから問題ないよ」
「そう。わかった。でも、一応これだけ置いておくからね」
少女は薪を置いて立ち去っていく。
おそらく、薪が足りないと言えば斧を使って薪割をするつもりでいたのだろう。
しばらくして、風呂がわけると男は小屋の方へと戻っていく。
もう一つの小屋に視線を移すと、そこには煌々とした灯りが灯っていて、少女がその中にいることがわかる。
なんとなく、彼女が何をしているのか気になってそちらの方へと近づいてみる。
「おや、小屋はあちらですよ?」
その直後に少女の声が響いた。
「へっはい!」
中の明かりだけを付けて外に出ていたのだろうか?
なんだか、監視されているかのような気持ち悪さを感じて男はおとなしく小屋に戻った。
*
風呂に入った男が寝入った頃。
少女は男が眠る小屋を訪れていた。
「まったく……小屋の中を覗かれたときはどうしようかと思ったわ。本当に……睡眠薬もあまり効いていまないし……でも、これなら存分に楽しめそう」
彼女は黒い服に身を包んで人の悪そうな笑みを浮かべながら男のそばに近寄る。
男が寝ているのを確認すると、彼女は懐から取り出した薬を男の口元へと持って行った。
「さぁさぁ私の魔法の実験台になりなさい。新しい魔法のね……」
彼女の怪しげな笑い声が森に響く。
その後、男の姿を見た者は誰もいないという……