第3話「完全支配」
センリが笑うと俺も笑えた。それからも俺たちは懸命に泳ぎ続ける。
何時間か過ぎただろうか。さすがに33万人も参加するレースで独走は厳しいようだった。だいぶ数は減ったとはいえ、俺たちとトップ集団を形成するグループは14組もあった。俺たちはなんとかトップを維持している状態だ。
しかしどれも最低4人以上のチームだ。四つ子にでもなるつもりなのか。それとも別の考えがあるのか。いや、そんなことは問題ではない。
俺たち含む、少人数グループ、は悲鳴を上げていたのだ。
「ばんり……」
センリのつぶやきとともに現れた巨大グループ。まるで魚の群れだ。百人以上が群れ、一つのチームとなっていた。俺たちの倍以上の速度で泳ぎ、彼らは猛追してきた。そしてそのまま、トップ集団を背後から喰らい始めたのだ。
「今時、カミカゼかよ」
スキルも使わない単純な体当たり戦法だ。精子の身体はもろい。ぶつかれば、文字通り命はなかった。魚群は巨大なあぎとを形成し、俺たちを飲み込んでいく。
「あーはっはっは。命が惜しかったら、僕のための道をあけなよ!」
もちろん体当たりを仕掛けた方も無事ではすまない。ぶつかりあった精子たちは両者とも四散し、子宮に沈んでいく。
「まるで、洗脳じゃねーか」
声を上げて嗤う精子が一人。それ以外は無言で弾丸となって、敵を仕留めていく。あまりの異様な光景に、俺は唖然とした。
「どうする? センリ」
魚群は次第にトップ集団を貪り尽くすだろう。そのときは俺とセンリの命もないものとなる。
「……ここは、素直に道をゆずりましょ。私……たちでは勝てないわ」
意気消沈したようにセンリはしっぽを力なく振った。怯える兵士が白旗を振るように。その姿はあまりにもセンリらしくない。俺は眉(もちろんない)をひそめ、それに従う。今は言い争っている時間はないのだ。
半分ほどに体積を減らした魚群が風を切る勢いで、通り過ぎていく。あとに残るのは死屍累々だ。半身を砕かれた精子や、気力を失った精子ばかりだ。
気まずい沈黙が俺とセンリに押しかかる。
「あ、あの……その……」
センリが言い淀む。今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女の様子に、俺は気付けば行動を起こしていた。
「それよりさ!」
努めて明るく俺は言い放つ。
「あいつら、助けてやろうぜ」
「…………へ?」
センリが俺の突然の宣言に呆ける。それはいつもクールぶっているセンリからは想像もできない表情だった。ちょっと爽快だ。
しかし無理もない。俺も自分の発言に驚いているくらいなのだから。突然腹の奥から飛び出してきた衝動――いや欲望――を、そのまま口にしたら、「助けてやろうぜ」なんて台詞が出てきたのだ。
【善意性分配】を用いて栄養を与えたり、子宮細胞から抽出した身体の成分を、再分配して治療をする。泳ぎ疲れ、恐怖にかられた精子たちは一様におとなしかった。
「ちぎれた身体が治っていく、嘘だろ……ッ」
「俺は、なにを……?」
「ありがてぇ……ありがてぇ……」
弾丸にさせられた者たちも一緒に治癒する。治療が終わるころには、100人以上の精子たちが、俺のまわりに集い、頭を垂れていた。
数人、再生不可能な傷を負った者は救えなかったが、ほとんどの精子を救うことができた。彼らは口々に俺に感謝の言葉を述べていた。
弾丸となった者が告発する。魚群の先導者のスキル【完全支配】によって、洗脳されていたことを。続くのは怒りの噴出だ。精子たちが身体をぶるぶると震わす。
欲望にまかせて治癒し終えた俺は、ようやくのことで状況を把握する。そして言った。
「みんな、力を貸して欲しい」
騒がしくしていた精子たちは黙り込むと、俺の方を向いた。俺は彼らの視線を受け止めて、宣言する。
「ここには100人もの仲間がいる。今から協力すれば、追いつけるはずだ」
「あなた、そこまで考えて……」
隣にいたセンリが本心を零したように言った。俺は「たまたま」だよと、首を横に振って見せた。
急に顔を出した欲望がたまたまなら、の話だが。しかし前世の記憶のない俺にはどちらにせよ偶然である。
議論をかわす精子たち。当然だろう。ここで協力したとしても、最後にゴールできるのは数人であるのだから。
それを察して俺は提案する。
「ゴール付近まででいいんだ。そこからはまた個人個人で泳ごう。それよりも今は」
俺は一拍を置く。全員の注目が十分に集まるのを見計らって、続けた。
「先頭のクソ野郎を追い越してやろうぜ!」
読んでくれてありがとうございます! 精子時代はあと数話で完結予定です。そしたらようやく人間のヒロインといちゃらぶできますよ! 早く早く!