第三章 ドルチェの森(第二部)
「……何のつもりなの?」
怒りを抑えたような声で言うと、シャルローナはセレンを睨んだ。
「後ろだよ、姫さん。」
クィーゼルの声に、シャルローナは後ろの木を振り返る。
逃げるように幹を登っていったのは。
「危なかったなぁ姫さん。さっきのは毒蛇だぞ。」
ニリウスが指差して言う。
目にも留まらぬ早業で矢を放った張本人のセレンは、構えていた弓を下ろして再び馬車酔いと戦い始める。
怒りや警戒は、それが空回りだったことに気付くと急速に冷めていった。
(狙いを定める時間が無かったせいかしら? 蛇を射止められなかったのは。)
木に刺さった矢をじっと見て、シャルローナは考えた。
射止められなかった?
いや、そうではない。
(ワザと逸らして、威嚇だけに抑えたんだわ。)
あんな一瞬で判断して矢を放ったのだ。
「うう……まだグラグラする……。」
(それにしても情けないわ。使えるのか使えないのか分からない子だこと。)
礼を言おうと思ったが、当の少年がそれどころではなさそうなので、そっとしておくことにしたシャルローナだった。
☆
ハッ、と洗濯物を干す手を止めて、マリアは空を見た。
常人には聞こえぬ音に耳を澄ませる。
「何……?」
森が騒いでいる。
(でも、こんなに激しい声は聞いた事ないわ。)
緊張。おびえ。警告。驚き。
森中のありとあらゆる生物が、必死で彼女に“侵入者”の存在を伝えていた。
「ええ……分かったわ。」
彼らはきっと、帝国の第一皇子を追ってきた者たち。
でなければ、森の精霊たちがここまで激しく動揺するはずが無いのだ。
(待って。)
もう一人……彼らとは別に入ってきた者が居る。
(あの子だわ。)
感じ慣れた気配が、木を伝ってやってくる。
侵入者達を森の中で迷わせ、あの子だけを上手くここに導かねば。
「精霊よ。」
金色の睫に縁取られた瞳が、不思議な光を宿して輝く。
「お前たちがよく知る者のみ、ここに引き寄せなさい!」
森の精霊たちが呼応する。
響きは広がり、やがてはその声音が森全体に浸透していった。